師匠の退職もしくは廃業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:18 UTC 版)
前田山英五郎(高砂) - 止め鋏朝潮太郎:入門時の師匠。前田山が大関の時に廃業し、二枚鑑札で継承させていたため、本名の薦田長吉。引退相撲が行われた当時健在のため、師匠として止め鋏を入れた。 佐賀ノ花勝巳(二所ノ関) - 止め鋏不明:現役中に先代師匠玉ノ海梅吉の廃業により、二枚鑑札で部屋を継承していた。 星岩涛祐二(陸奥) - 止め鋏豊山勝男:師匠星甲良夫の停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。師匠は健在だったが、一門代表として豊山が止め鋏を入れた。 琴ノ若晴將(佐渡ヶ嶽) - 止め鋏琴櫻傑將:相撲協会を停年退職していたため、本名の鎌谷紀雄。師匠琴櫻の停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。 潮丸元康(東関) - 止め鋏高見山大五郎:相撲協会を停年退職していたため、本名の渡辺大五郎。師匠高見山の停年直前に引退、小野川を一時襲名後、停年退職と共に部屋を継承していた。 土佐ノ海敏生(立川) - 止め鋏藤ノ川武雄:入門時の師匠で先代伊勢ノ海親方。相撲協会を停年退職していたため、本名の森田武雄。当初は藤ノ川が協会在職中の2011年5月場所後に開催される予定だったが、大相撲八百長問題の影響で2012年1月場所後に延期されていた(藤ノ川の停年は2011年9月場所後)。当代師匠北勝鬨準人も鋏を入れたが、後述する高見盛のように新旧師匠2人掛かりの止め鋏ではなく、別々に鋏を入れる形式であった。 高見盛精彦(振分) - 止め鋏高見山大五郎:入門時の師匠で先代東関親方。相撲協会を停年退職していたため、本名の渡辺大五郎。高見山の退職からは4年が経過していたが、高見盛の希望か当代師匠潮丸の計らいか理由は不明。先に潮丸が半分ほど鋏を入れ、高見山が残りを切り落とすという流れだった。また断髪後の四方への礼は新旧師匠が揃って行われた。
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