師匠らと衝突、突然の廃業とは? わかりやすく解説

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師匠らと衝突、突然の廃業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)

北尾光司」の記事における「師匠らと衝突、突然の廃業」の解説

1987年12月27日6代立浪との若い衆に関する意見の対立から部屋脱走そのまま「(破門同然の)廃業という事になった発端は、同日夜に部屋若い衆が「『あんなちゃんこ食えるか』と横綱双羽黒)が言っている」と6代立浪言いつけたことだった。6代立浪主張によればちゃんこ味付けについて立浪大喧嘩した北尾は、仲裁入った女将突き飛ばし、「二度と戻らないと言って部屋出て行ったという。立浪は「絶対に許せない」「(「もう双羽黒土俵上がらないという結論になるのかという質問に)そういう風になると思う」と述べ怒りあらわにした。一方12月30日夜のニュースステーションでは、「立浪親方夫人殴ったというのは事実無根」という双羽黒談話伝えた後年北尾著書では「ちゃんこ美味い不味い問題ではなく若い衆料理作れないほどたるんでいることで、日頃から親方再三指導するよう求めてきた。その日その事言ったら全く取り合ってもらえず、果てには逆に若い衆謝罪するよう求められた。それが納得できず、部屋脱走試みるも女将止め入ったため、それを振り切る形で部屋を後にした。すると親方がそれを見て暴力振るった』と新聞記者を煽って大騒ぎになった」と主張している。 後年北尾亡くなった際には主要な一般紙多くが「ちゃんこ味付け巡って衝突した」という6代立浪主張について触れておらず、その説を支持否定もしていない。ただ、日本経済新聞朝日新聞などは女将突き飛ばしたという主張肯定している。 部屋出て行った双羽黒都内マンションの一室籠城していたが、部屋付き11武隈が見つけて部屋に戻るように説得する失敗その間6代立浪協会双羽黒廃業届を提出した。この事態を受け、同年12月31日に緊急理事会開かれ双羽黒廃業届を受理することを正式決定した。出席者中には退職金功労金が支給されない「除名」を主張する向きもあったが、「まだ若く将来配慮して」「廃業」という形が採用された。また立浪当面謹慎および3ヶ月間3割の減俸処分理事全員が3ヶ月間2割の減俸処分決定した春日野理事長は「協会恩情だ」と強調し、「これからの人生考えると、何をやっていくつもりなのか」「何も功労にあたることはしていないよ」と吐き捨てた。横審委員長高橋は「破門になると思っていたので、廃業というのは協会寛大な措置受け止めている」「横審双羽黒横綱昇進賛成答申出したことはあの時点では間違っていなかったと考えている」とコメントした同日午後4時ごろ、双羽黒マンションから出て都内通信社に赴き記者会見開き廃業決定について「悲しいことかもしれませんが、決定には従います」と述べた失踪騒ぎについては「親方相撲道のことで口論になった。私と師匠考え方食い違い師匠にはついていけない思った」「幕下ころから考え方が違うと感じていた」「私が部屋若い衆意見をすると、親方は『オマエ意見述べ立場じゃないと言った横綱である前に私も人間人間として親方許せなかった」「ただ、この世界は、師匠逆らった時点でもう弁解の余地はなかった」と悔しそうな表情述べた角界からの追放については「九年間自分なりにがんばり燃え尽きた横綱の名をけがしたことはよくなかったが、自分相撲道を貫き通したと思う」「好きな相撲何らかの形で続けたい」とした。今後のことを問われると「実業家にもなりたいが、タレントとしてもやっていく。取材ならギャラ払ってほしい」と発言し周囲だけでなくマスコミ関係者からも大バッシング受けたまた、ニューヨーク・タイムズには「日本人にとって怒り爆発させることは無作法であり、無礼者面目を潰される」と評論されたほど、世界騒がせたニュースとなった。 既に発表されていた1988年1月場所番付には、双羽黒の名が東張出横綱残っていたが、横綱在位数は僅か8場所(番付上では9場所)と、琴櫻三重ノ海と並ぶ最短記録2位タイ短命横綱終わったケガ体力衰え引退したではなく師匠喧嘩した挙句廃業とあって世間見方は非常に厳しく双羽黒への同情論はほとんど聞かれなかった。一方野坂昭如など僅かに双羽黒支持する者もいた。一方で立浪についても「中学出たばかりで全く世間知らず少年を「部屋ドル箱とばかり寄ってたかって過保護に育ててきたツケ回ってきたといえよう」として、その管理能力問われた。 横審委員長高橋は、双羽黒廃業受けて今後は「大関で二場所連続優勝」とした横綱推薦内規第二以上に品格力量抜群」とした第一項を絶対的に尊重していきたい」と述べ、さらに1988年1月場所後の横審でも「横綱昇進について、いやが上にも慎重でありたい」と申し合わせた一方横審委員稲葉は、廃業決定前夜取材対し情状酌量余地はないが、もし本人やる気があれば、しばらく謹慎させ、鉄砲四股基本からたたき直す道を考えてやってもいいではないか」と述べた。 「横綱#横綱をめぐる議論」も参照 1988年3月には東京都内ホテル断髪式が行われたが、同年3月場所直前だったため関係者後援会からは一人出席せず、最後止め挟を入れたのは父親だった。この廃業事実上の「破門」であることは、6代立浪双羽黒双方認めている。

※この「師匠らと衝突、突然の廃業」の解説は、「北尾光司」の解説の一部です。
「師匠らと衝突、突然の廃業」を含む「北尾光司」の記事については、「北尾光司」の概要を参照ください。

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