短命横綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:23 UTC 版)
順位四股名在位数在位期間在位中成績在位中勝率1位 前田山英五郎 6場所 1947年11月-1949年10月 24勝27敗5休、優勝なし 勝率(休場含まない) .471、勝率(休場含む) .429、優勝率 .000 2位 琴櫻傑將 8場所 1973年3月-1974年5月 66勝34敗20休、優勝1回 勝率(休場含まない) .660、勝率(休場含む) .550、優勝率 .125 三重ノ海剛司 1979年9月-1980年11月 55勝23敗30休、優勝2回 勝率(休場含まない) .705、勝率(休場含む) .509、優勝率 .250 双羽黒光司 1986年9月-1987年11月 74勝33敗13休、優勝なし 勝率(休場含まない) .692、勝率(休場含む) .617、優勝率 .000 5位 旭富士正也 9場所 1990年9月-1992年1月 71勝29敗24休、優勝1回 勝率(休場含まない) .710、勝率(休場含む) .573、優勝率 .111 6位 玉の海正洋 10場所 1970年3月-1971年9月(現役中に死亡) 130勝20敗0休、優勝4回 勝率(休場なし) .867、優勝率 .400 7位 若乃花勝 11場所 1998年7月-2000年3月 61勝38敗57休、優勝なし 勝率(休場含まない) .616、勝率(休場含む) .429、優勝率 .000 8位 稀勢の里寛 12場所 2017年3月-2019年1月 36勝36敗97休、優勝1回 勝率(休場含まない) .500、勝率(休場含む) .213、優勝率 .083 9位 隆の里俊英 15場所 1983年9月-1986年1月 95勝42敗75休、優勝2回 勝率(休場含まない) .693、勝率(休場含む) .448、優勝率 .133 10位 朝潮太郎 (3代) 16場所 1959年5月-1961年11月 102勝58敗95休、優勝1回 勝率(休場含まない) .638、勝率(休場含む) .400、優勝率 .062 太平洋戦争終了後の1945年(昭和20年)11月場所以降の記録。 前田山は、年6場所制定着以前の昇進。在位中に終戦後の混乱で本場所開催が不定期だった期間がある。 琴櫻、双羽黒は番付上では9場所。朝潮(3代)は17場所。なので三重ノ海が番付上では単独2位の短命在位数である。また、年6場所制となった1958年(昭和33年)以降でも三重ノ海が最も短い。 横綱在位中に不祥事を起こした前田山は引退、双羽黒は廃業とそれぞれ追い込まれている。 玉の海は勝率8割6分7厘で休場なしの優秀な成績であったが、現役中の1971年(昭和46年)10月11日に27歳の若さで急病死した。 上記力士の横綱土俵入りは前田山・三重ノ海・稀勢の里・朝潮の4人が雲龍型、他の6人は不知火型を選択している。 休場を含まない勝率では休場を計算に加えていない。休場を含む勝率では休場を敗戦扱いにして計算している。玉の海は横綱在位中、休場なし。
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