朝潮太郎 (3代)
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朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。第46代横綱。本名は米川 文敏(よねかわ ふみとし)、現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。得意技は左四つ、寄り[1]。
注釈
- ^ 朝日新聞1959年3月26日付朝刊によれば、「少なくとも四人は見送り論者がいたわけで、内規に忠実に従えば「朝汐の横綱昇進は承認出来ず」と答えるべきだったわけである。」と横審の態度を批判し、その「四人」を舟橋聖一、田崎勇三、尾崎士郎、石井鶴三としている。なお、当時の内規では横綱推薦には横審の全会一致が必要であった。
- ^ 「稽古を熱心に行えば毛という毛が擦り切れるのであって、毛が残っているということは稽古が足りない」という意味でこういったジンクスが成り立った。
- ^ 若ノ花・若羽黒と優勝決定戦
- ^ 琴ヶ濱と優勝決定戦
- ^ 脊椎分離症・坐骨神経痛・腎臓炎により9日目から途中休場
- ^ 脊椎分離症・坐骨神経痛により初日から全休
- ^ 脊椎分離症・坐骨神経痛により初日から全休
- ^ 脊椎分離症により初日から全休
- ^ 腰部及び左膝関節捻挫により10日目から途中休場
- ^ 腰椎分離症・坐骨神経炎により4日目から途中休場
- ^ 腰椎分離症・坐骨神経炎により4日目から途中休場
- ^ 腰椎分離症・坐骨神経炎により7日目から途中休場
- ^ 1月場所前に引退表明
出典
- ^ a b c d e f g h i ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p16
- ^ a b 三宅充「相撲界20の星」『大相撲』1958年第11号、読売新聞社、1958年、46頁。
- ^ 【感動】壮絶な相撲界入門の経緯〜若貴兄弟との出会い 貴闘力部屋 2020/10/03 (2021年12月4日閲覧)
- ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p28-29
- ^ a b c d e f g 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)62ページから63ページ
- ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p43
- ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p52-55
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p41
- ^ 朝日新聞1959年3月26日付朝刊
- ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p62
- ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p78
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p46
- ^ ハワイから来日したばかりの小錦に「横綱を目指せ」と言った“胸毛の横綱”の眼力(3/3ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/07/08 06:00 (2022年10月5日閲覧)
- ^ ハワイから来日したばかりの小錦に「横綱を目指せ」と言った“胸毛の横綱”の眼力(1/3ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/07/08 06:00 (2022年10月5日閲覧)
- ^ 佐藤祥子(2016年) p.21
- ^ 佐藤祥子『相撲部屋ちゃんこ百景 とっておきの話15』 p.18 河出文庫 2016年 ISBN 978-4309414515
- ^ 佐藤祥子(2016年) p.14
- ^ 朝日新聞 2010年5月27日
- ^ 佐藤祥子(2016年) p.20
- ^ 佐藤祥子(2016年) pp.21-22
- 1 朝潮太郎 (3代)とは
- 2 朝潮太郎 (3代)の概要
- 3 来歴・人物
- 4 エピソード
- 5 主な成績
- 6 改名歴
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