おうのまつ‐みどりのすけ〔あふのまつ‐〕【阿武松緑之助】
阿武松緑之助
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阿武松 緑之助(おうのまつ みどりのすけ、1791年(寛政3年) - 1852年1月20日(嘉永4年12月29日))は、能登国鳳至郡七見村[1](現:石川県鳳珠郡能登町)出身で武隈部屋(一時期粂川部屋、雷部屋)に所属した大相撲力士。第6代横綱。本名は佐々木姓までは多くの文献で一致しているが、名は「長吉」や「常吉」とする文献が存在するほか、名を記さずに佐々木姓のみ記述する文献があるため、不明である。
- ^ a b c d e f g h 阿武松の生立 『加越能力士大鑑 : 一名・三州相撲史』 森紫南編 (加越能力士大鑑発行所, 1912)
- ^ a b c d 阿武松の石碑、残った 能登町出身の横綱 地元住民「さすが」 北國新聞 (2024年1月24日閲覧)
- ^ a b c d 阿武松緑之助 『鳳至読本』(石川県教育会鳳至郡支会, 1938)
- ^ a b c 深川・清澄白河駅周辺 江東区 (2024年1月24日閲覧)
- ^ 萩では『あぶの松原』と読む。この阿武の松原は萩にある現在の菊ヶ浜のことで、萩市大井にも「阿武の松原」が存在するが、こちらは「おうのまつばら」と呼ばれている。[要出典]
- ^ 萩市立大井小学校の校歌にも「阿武(おう)の砂浜…」という歌詞が存在するが、大井地区が萩よりも古くから栄えた土地だと考えると、四股名を「おうのまつ」と呼ぶことは自然なものと考える。[要出典]
- ^ 小野川喜三郎と市川門之助 阿武松緑之助と中村芝翫『珍書刊行会叢書. 第9冊 (世界綱目・芝居年中行事・劇界珍話)』 (珍書刊行会, 1916)
- ^ 翫雀と阿武松『俳優逸話』元宿源右衛門 編 (小美文舎, 1899)
- 1 阿武松緑之助とは
- 2 阿武松緑之助の概要
- 3 人物
- 4 エピソード
- 5 関連項目
- 6 外部リンク
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