内藤 國雄(ないとう くにお)
Kunio Naitoh
- タイトル履歴
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王位 2期(第13期-1972年度・23期) 棋聖 2期(第15期-1969年度後期・23期) 登場回数合計 13回
王位:5回(第13期-1972年度~14期・16期・23~24期)
王座:1回(第31期-1983年度)
棋王:1回(第1期-1975年度)
王将:1回(第18期-1968年度)
棋聖:5回(第15期1969年度後期~16期・20期・23~24期)獲得合計 4期 - 優勝履歴
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王座戦 1回(第30回-1982年度) 棋王戦 1回(第1回-1974年度) NHK杯戦 1回(第19回-1969年度) 勝抜戦5勝以上 1回(第3回-1980年度) 日本将棋連盟杯戦 2回(第4回-1971年度・6回) 最強者決定戦 3回(第4回-1964年度・6回・10回) 名将戦 3回(第4回-1964年度・10回~11回) 東西対抗勝継戦10勝以上 1回(第15回-1965年度) 優勝合計 13回 - 将棋大賞
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第 1回(1973年度) 技能賞 第10回(1982年度) 技能賞 第22回(1994年度) 升田幸三賞 - その他表彰
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1979年 将棋栄誉賞(通算六百勝達成) 1983年 現役勤続25年 1983年9月 神戸市文化特別賞 1987年 将棋栄誉敢闘賞(通算八百勝達成) 1991年11月 西宮市民文化賞 1998年 現役勤続40年 2000年 特別将棋栄誉賞(通算千勝達成) 2000年11月 兵庫県「誉」賞 2008年 現役勤続50年
内藤國雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 10:00 UTC 版)
内藤 國雄(ないとう くにお、1939年11月15日-)は、将棋棋士。棋士番号77。兵庫県神戸市出身。藤内金吾八段門下。演歌歌手、詰将棋作家としても活動。レコードジャケット、音楽配信での氏名の表記は「内藤国雄」。棋聖、王位のタイトルを通算4期(各2期)獲得。竜王戦1組通算3期。順位戦A級通算17期。
注釈
- ^ ちなみに内藤の順位戦A級における最高成績は、第28期(1973年度)の2位(7勝3敗)、当期は大山康晴が最終局前の直接対決で内藤に勝利し、8勝2敗で1位となり中原誠名人に挑戦した。
- ^ プロ棋士歴としては加藤一二三が最古参であるが、出生日は内藤の方が2ヶ月ほど早い。
- ^ 以下、C級2組で降級点が3つになるとフリークラスに降級して引退が決定となる。
- ^ 第73期は同い年の加藤一二三も降級してC級2組となっており、同じく記録更新の可能性があり、後に達成した。
- ^ 登録上の引退は3月31日付。
- ^ 後に加藤一二三が77歳5ヶ月まで現役続行、記録を更新した。
- ^ 藤内忍はその後、奨励会三段リーグで年齢制限を迎え指導棋士となった。
- ^ その代表例として、谷川浩司や、井上慶太を同じ藤内門下の若松政和に委ねた。
- ^ 自身が現役中に孫弟子が棋士となった例は、内藤の他には大山康晴・坂口允彦・佐瀬勇次など、ごく数例しかない。
- ^ 2016年3月現在、名人位獲得歴が無い棋士同士としては同一カードの最多記録である。尚、両者のカードはタイトル戦番勝負で発生したことが無く、タイトル戦番勝負で対局が無い組み合わせに限定すると、同一カードの最多記録である。
出典
- ^ 藤井六段の4部門独占に“初代”内藤九段「いちばん強くなるのは16歳から」 2018年3月14日0時12分 スポーツ報知
- ^ a b 将棋:内藤國雄九段が公式戦1000勝を達成、毎日新聞社、2000年9月18日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ “内藤國雄九段、1,100勝を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
- ^ 内藤國雄九段が引退表明 将棋現役最年長、体調不良で 神戸新聞 2015年1月8日閲覧
- ^ 内藤國雄九段 3月末での引退決める
- ^ 将棋の内藤九段、引退の意向「膝と腰が痛い」 朝日新聞 2015年1月8日閲覧
- ^ a b “引退棋士のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2015年4月1日). 2019年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月9日閲覧。
- ^ “引退棋士のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2015年3月13日). 2019年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月13日閲覧。
- ^ 『NHK杯 伝説の名勝負』 p.36
- ^ 『駒の音有情』(東京新聞出版局)P.161
- ^ “内藤國雄九段が関西本部長を退任|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
- ^ 同一記録|日本将棋連盟
- ^ 将棋の内藤國雄九段 本紙詰め将棋コーナーを引退 連載は半世紀超え2746回「ファンに感謝」 - 神戸新聞NEXT(2022年12月23日)
- ^ 内藤國雄九段 3月末での引退決める
- ^ 囲碁棋士 石田芳夫(3) 自分が歌ったレコード
- ^ 酎ハイを55杯も…神吉宏充七段「将棋と酒は生活の両輪」 - 日刊ゲンダイ・2017年1月16日
- ^ 内藤國雄九段と酒 - 将棋ペンクラブログ・2009年11月24日
- ^ 能智映「フォークが顔にグサリ」(『将棋世界』1983年6月号164ページ「棋士の楽しみ(最終回)プロレス」所収他多数
- ^ “内藤國雄vs大山康晴 成績”. kenyu1234.php.xdomain.jp. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 『近代将棋』 2000年12月号、近代将棋 / 国立国会図書館デジタルコレクション、187頁 。
- ^ 『内藤國雄九段、1,100勝を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟』2009年1月26日 。
- ^ 『内藤國雄九段 現役最後の対局で千敗/芸能』デイリースポーツ online、2015年3月12日 。
- ^ “内藤國雄九段が旭日双光章を受章|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月24日閲覧。
内藤國雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
相振り飛車なども得意のオールラウンダーだが居飛車が多い。指し手のバリエーションが豊富で、「自在流」と呼ばれる。横歩取りの後手番で角を3三に上がり、飛車・角が高く舞う「空中戦法」で、升田幸三賞を受賞。江戸時代の古典将棋に精通し、昭和・平成期の棋戦に度々採用していた。
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内藤国雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 17:34 UTC 版)
「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の記事における「内藤国雄」の解説
第6巻のみ。内藤が詰むと見ていたA級順位戦の局面を、当時奨励会員だった村山が詰まないと反例をもって指摘したエピソードが描写された。
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