角田三男とは? わかりやすく解説

角田三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/21 04:44 UTC 版)

 角田三男 八段
1939年ごろ
名前 角田三男
生年月日 (1910-02-02) 1910年2月2日
没年月日 (1985-05-06) 1985年5月6日(75歳没)
プロ入り年月日 1934年10月1日(24歳)[注 1]
引退年月日 1985年3月(75歳)
棋士番号 13
出身地 鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町
所属 日本将棋連盟(関西)
→将棋大成会(関西)
→日本将棋連盟(関西)
師匠 木見金治郎九段
弟子 賀集正三
段位 八段
棋士DB 角田三男
順位戦最高クラス B級2組(1期)
2017年8月21日現在
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角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。

生涯

同門の先輩に大野源一、後輩に升田幸三大山康晴がいる。

第5期(1964年度)王位戦で予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグに進出。リーグ戦白組では1勝3敗に終わった。

順位戦はB級2組に1期在籍。第37期(1978年度)昇降級リーグ4組(順位戦C級2組)は0勝10敗で3つ目の降級点がつき、リーグ陥落するも、1985年3月まで現役を続行した。

1985年5月6日に死去。同日に八段を追贈。

エピソード

  • 近代将棋』の講座で加藤治郎が「打ち歩回避のナラズは実戦ではない」と書いたところ、読者に1958年度C級1組順位戦12回戦、佐藤庄平五段-角田六段戦で74手目の△同角不成という実戦例があるという指摘がなされ、棋譜が注目されたことがある。
  • 「角田流ひねり飛車」(角田流空中戦法)と呼ばれる戦法の創始者。
  • 作家藤沢桓夫が『小説棋士銘々伝』において角田を主人公にした小説『角田流空中戦法』を著している。

昇段履歴

  • 1929年00月00日:入門
  • 1934年10月01日:四段
  • 1948年04月01日:五段
  • 1954年04月01日:六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1973年11月03日:七段(表彰感謝の日表彰)
  • 1985年03月00日:引退
  • 1985年05月06日:死去(享年75)
    1985年0506同日:八段(追贈)

将棋大賞

  • 第10回(1982年度) 東京記者会賞

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ ここでは四段昇段日をプロ入り日として扱う。なお、関西奨励会の創設は1935年であるため、当時は「初段昇段時から専門棋士として扱われていた」可能性がある。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった[2]
  2. ^ a b ただし、岸本町は1955年成立であり、角田が生まれた時期には未成立。

出典

  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220

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