将棋棋士一覧とは? わかりやすく解説

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将棋棋士一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/18 02:29 UTC 版)

将棋棋士一覧(しょうぎきしいちらん)は、日本将棋連盟将棋の棋士の一覧である。現役・引退[注 1]・物故を問わず、棋士のすべてを棋士番号順に記す。


注釈

  1. ^ 棋士は現役引退をしても、退会しない限りは依然として「棋士」(現役と区別するときは「引退棋士」という)であり正会員である。
  2. ^ 井上義雄八段門下から移籍。
  3. ^ 2度目の名人失冠後に現役を引退して十四世名人に襲位しており、引退前の肩書は「前名人」の扱いとなる。
  4. ^ a b 没後、名誉十段(1978年追贈)と実力制第二代名人(1989年追贈)を追贈された。
  5. ^ 内訳は十五世名人、永世十段永世王位永世棋聖永世王将。うち、永世王将と十五世名人は現役中に名乗る。
  6. ^ a b c d 第4期(1949年度)順位戦では、東のC級乙組(現在のC級2組に相当)に清野静男三段(棋士番号47)・浅沼一二段(同56)、西のC級乙組に神田静男三段・増田敏二二段の参加が許された。清野と神田は1位の成績でC級甲組に昇級。1950年00
    04月付けで清野と神田は六段へ、浅沼と増田は四段へ、それぞれ飛び昇段。
  7. ^ 当初は南口繁一九段門下。南口の逝去後に移籍。
  8. ^ a b c d e 中学生棋士としては、加藤一二三は中学3年(14歳7か月)、谷川浩司は中学2年(14歳8ヶ月)、羽生善治は中学3年(15歳2か月)でそれぞれ四段昇段(前述3名はプロ入り決定日に即時プロ入り)。三段リーグ制度導入後はプロ入り決定直後の4月1日付または10月1日付での昇段となるが、渡辺明の場合は四段昇段決定日が卒業前の3月中のため、中学卒業直後の4月1日付で四段昇段、記録上は4人目の中学生棋士とされる。藤井聡太は中学2年の10月に(14歳2か月)史上最年少で四段昇段。新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸/将棋ニュース”. 日本将棋連盟 (2016年9月3日). 2017年10月31日閲覧。
  9. ^ 木下晃は、引退が2000年3月、七段昇段が同年4月であるが、七段昇段の事由は引退棋士の昇段規定ではない。
  10. ^ 内訳は、十六世名人・永世十段・永世棋聖・永世王位・名誉王座で、いずれも現役中に名乗る。
  11. ^ 日本将棋連盟のサイト(2010年00
    03月15日閲覧)によれば「ひろふみ」。平成10年版将棋年鑑および将棋世界2000年00
    01月号付録によれば「ひろぶみ」。
  12. ^ a b 小林宏(棋士番号167)と小林裕士(棋士番号223)は、氏名の読みが同音。
  13. ^ 内訳は、十九世名人、永世竜王、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世棋聖、永世王将の資格を保持。その他に名誉NHK杯選手権者の称号者でもある。
  14. ^ 渡辺は伊奈の妹である漫画家の伊奈めぐみと結婚
  15. ^ 内訳は永世竜王・永世棋王の資格を保持。
  16. ^ 宮本広志は三段リーグで勝ち越した会員が在籍年限を満29歳まで延長できる規定が1994年に施行されて以降の最年長昇段記録保持者。
  17. ^ 史上最年少四段昇段記録保持者および21世紀生まれ初のプロ棋士。
  18. ^ 「そうほ」と「そうふ」の二説がある。
  19. ^ 関根金次郎によって棋聖の称号が贈られたが、日本将棋連盟では公認されていない。
  20. ^ a b 両説があり、日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  21. ^ 当初は天野の指導を仰いだがその後宗桂の元に身を寄せる。両説があり、日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  22. ^ 小菅に名誉名人の称号が贈られた経緯については、記事「神田事件 (将棋)」を参照。
  23. ^ 八代伊藤宗印門下とする資料もあるが、日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  24. ^ 元は8代伊藤宗印門下だったが、伊藤家断絶後に12代大橋宗金門下となった。
  25. ^ 生前は免状の署名、著書の名義、新聞での記載などいずれにおいても「坂田三吉」と表記されていたが、死後に作成された日本将棋連盟の系図での表記は「阪田三吉」となっている。
  26. ^ 若い頃に小林から助言を受けており、小野から八段の免状を与えられて以降は小野門下を自称していた。日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  27. ^ 関根金次郎門下とする資料もあるが、日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  28. ^ 小林東伯斎門下とする資料もあるが日本将棋連盟の公式な資料では師匠が記載されていない。
  29. ^ 移籍。日本将棋連盟は井上門下としている。
  30. ^ 「小泉雅信」は改名後の氏名である。四段昇段当時の氏名は「小泉兼吉」。
  31. ^ 近代将棋』1977年12月号192ページに掲載されている町田進のエッセイ[6]に「長谷川七段はもうこの世にはいない。 (中略) ごめい福を祈る。[6]とある。
  32. ^ 本間爽悦の回想[10]によると野口忠雄は本間(1919年生まれ)よりも4歳年上。一方、『将棋世界』の四段昇段報道[11]によると野口は1943年3月時点で29歳。

出典

  1. ^ 橋本崇載八段が退会/将棋ニュース”. 日本将棋連盟 (2022年11月2日). 2022年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月2日閲覧。
  2. ^ 吉田正和五段が結婚 渡辺姓に/将棋ニュース”. 日本将棋連盟 (2015年11月18日). 2017年10月31日閲覧。
  3. ^ 日本将棋連盟調査室編「近代将棋史年表 (十六) 山田道美棋聖の誕生 昭和四十一年~昭和四十二年」『将棋世界』第46巻第3号、日本将棋連盟、1982年3月、60頁。 
  4. ^ 渡辺大助「将棋の関口慎吾杯 戦火に消えた幻の天才しのぶ おいに橋渡し 大会に刻まれた名」『北海道新聞北海道新聞社、2021年3月13日、全道夕刊、5面。
  5. ^ 渡辺大助「戦火に消えた幻の天才棋士 関口慎吾六段(7)」『将棋世界』2019年7月号、日本将棋連盟、96-99頁。 
  6. ^ a b 町田進「続 将棋万華鏡 井野金蔵氏の巻 一」『近代将棋』第28巻12号(通巻333号)、1977年12月、190-192頁。 国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)
  7. ^ 日本将棋連盟調査室編「近代将棋史年表 (十一) 大山、三冠を奪還 昭和三十三年~三十五年」『将棋世界』第45巻第9号、日本将棋連盟、1981年9月、61頁。 
  8. ^ a b c d 日本将棋連盟調査室「近代将棋史年表(四) 戦火受難 昭和十五年~同二十年」『将棋世界』第44巻第12号、日本将棋連盟、1980年12月、107頁。 オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ a b 加藤久弥「歴史スポット 戦前編45 太平洋戦争と将棋界」『週刊将棋』日本将棋連盟、1989年5月24日、17面。
  10. ^ a b 本間爽悦「随筆 十階の頃」『近代将棋』第14巻10号(通巻164号)、1963年10月、122頁。 オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b 「関西だより 野口忠雄氏四段へ」『将棋世界』第7巻第3号、日本将棋連盟、1943年3月、36頁。 オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「新人紹介 市川伸」『将棋世界』第18巻第11号、日本将棋連盟、1954年11月、103頁。 国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定公開)「(昭和)29年6月三段、同年8月四段(18才)」とある。
  13. ^ 「43年の引退棋士」『将棋年鑑 昭和43年版』日本将棋連盟、1968年、293頁。 五段 市川 伸……昭和10年10月18日、鳥取県米子市に生れ……29年四段……42年一身上の都合により退会」とある。


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