松浦卓造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 23:03 UTC 版)
松浦 卓造 八段 | |
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名前 | 松浦 卓造 |
生年月日 | 1915年1月22日 |
没年月日 | 1977年3月11日(62歳没) |
プロ入り年月日 | 1944年(29歳) |
出身地 | 広島県三原市 |
所属 |
将棋大成会(関西) →日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 神田辰之助九段 |
段位 | 八段 |
順位戦最高クラス | A級(3期) |
2022年2月14日現在 |
松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日[1] - 1977年3月11日[2])は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下[1]。広島県三原市出身[1]。棋士番号なし[注釈 1]。
経歴
中学を中退後にアマチュア強豪として活躍[1]。 入門は遅く、27歳だった1942年に神田辰之助に入門[1]。
戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加し六段特進[1]。以後トントン拍子にA級へ昇級。
晩年は病気のために休場する事がしばしばあり[1]、第30期順位戦B級2組を休場したのが順位戦の最後となった。
主催者変更問題に伴う順位戦の中断期間の最中、1977年3月に現役死去[2]。
人物・エピソード
研究熱心で、豪快な攻め将棋で知られる。いち早く用いた「棒銀戦法」がのちにブームとなる[1]。
左美濃戦法(天守閣美濃)や、4二銀型三間飛車破り(▲5五歩△同歩▲4五歩)の創始者である。左美濃は1960年のA級順位戦の加藤博二戦で、はじめて採用した[3]。
松浦といえば酒、ケンカに本間爽悦[4]。熊のような体格に一番の趣味がケンカ。いっぺん熊と勝負したいと吹いていた[4]。昼間に茶碗で濃いお茶を飲んでいると思ったらウイスキーをガブ飲み。東京に出てきて新宿二丁目のボッタクリバーに連れ込まれ高額を請求されたが、二人のホステスを片手ずつ持ち上げ顔と顔とをガチンコさせた。「あの女達はしばらく使いもんにならんかったじゃろう」と言っていたという[4]。
恵まれた巨体、抜群の腕力の一方、病気がちであった[1]。
昇段履歴
- 1942年[1] : 入門
- 1944年[1] : 四段
- 1947年 5月10日 : 六段(跳び昇段、順位戦C級〈西組〉昇級)[1]
- 1948年 4月 1日 : 七段(順位戦B級1組昇級)[1]
- 1954年 4月 1日 : 八段(順位戦A級昇級)[1]
- 1977年 3月11日 : 死去 [2]
主な成績
在籍クラス
開始 年度 |
順位戦 出典[5]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | ||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||
1946 | 1 | 四段・五段戦 1組 4位 |
10-4 | |||||
1947 | 2 | C 04 | 西9-2 | |||||
1948 | 3 | B級 | 予選4組 3-1 | |||||
1949 | 4 | B級 | 2-6 | |||||
1950 | 5 | B級 | 7-5 | |||||
1951 | 6 | B 07 | 6-6 | |||||
1952 | 7 | B114 | 7-5 | |||||
1953 | 8 | B105 | 8-3 | |||||
1954 | 9 | A 10 | 3-5 | |||||
1955 | 10 | A 08 | 2-8 | |||||
1956 | 11 | B103 | 6-7 | |||||
1957 | 12 | B108 | 7-5 | |||||
1958 | 13 | B105 | 8-4 | |||||
1959 | 14 | B103 | 8-4 | |||||
1960 | 15 | A 10 | 0-9(不戦敗4) (不戦 6-9回戦) | |||||
1961 | 16 | B102 | 3-7 | |||||
1962 | 17 | B107 | 6-7 | |||||
1963 | 18 | B111 | (休場) | |||||
1964 | 19 | B114 | 10-4 | |||||
1965 | 20 | B103 | 4-9 | |||||
1966 | 21 | B111 | 5-7 | |||||
1967 | 22 | B109 | (休場) | |||||
1968 | 23 | B114 | 1-11 | |||||
1969 | 24 | B202 | 5-7 | |||||
1970 | 25 | B214 | 6-6 | |||||
1971 | 26 | B211 | (休場) | |||||
1972 | 27 | B218 | 4-6 | |||||
1973 | 28 | B213 | 4-6 | |||||
1974 | 29 | B214x | 2-8 | |||||
1975 | 30 | B221* | (休場) | |||||
順位戦の31-35期は回次省略・欠番/次期は36期 | ||||||||
1977 | 36 | B2 | (死去) | |||||
順位戦再開前の1977年3月死去〈B級2組は1977年再開〉 | ||||||||
順位戦の 枠表記 は挑戦者。 右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) |
脚注
注釈
- ^ 棋士番号割り当て(1977年4月1日)の直前の1977年3月に死去したため、松浦には棋士番号の割り当てがない。
出典
関連項目
将棋 棋士番号・女流棋士番号 一覧 |
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番号一覧には退会者の番号を含む / 詳細は 将棋棋士一覧 および 将棋の女流棋士一覧 を参照 |
固有名詞の分類
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