飯野健二とは? わかりやすく解説

飯野健二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/14 07:47 UTC 版)

 飯野 健二 八段
名前 飯野 健二
生年月日 (1954-07-07) 1954年7月7日(69歳)
プロ入り年月日 1975年3月4日(20歳)
引退年月日 2011年7月6日(56歳)
棋士番号 117
出身地 東京都葛飾区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 関根茂九段
弟子 金井恒太坂東香菜子飯野愛
段位 八段
棋士DB 飯野 健二
戦績
通算成績 445勝544敗(0.4499)
竜王戦最高クラス 4組
順位戦最高クラス C級2組
2019年4月4日現在
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飯野 健二(いいの けんじ、1954年7月7日 - )は、将棋棋士関根茂九段門下。棋士番号は117。東京都葛飾区出身。

棋歴

10歳の頃、父から教わり将棋を始める[1]

1968年、6級で奨励会に入会。以降、三段昇段までは、各昇級昇段に1年以上をかけることなく順調に昇る。

1973年度後期から三段リーグ(旧制)で3期(1年半)を戦うが四段に上がれず、そこで三段リーグ制度が廃止。それから約1年後の1975年3月4日武市三郎に勝ち、12勝4敗の規定により四段昇段(プロ入り)。その武市との一局で採用した戦法は、奨励会入会以来2度目の採用の振り飛車阪田流向かい飛車)であった。「知らない将棋を指せば震えないだろう」と考えたからだという[2]

プロ3年目の1977年度に、全棋士中5位の勝率(0.667)を挙げる。

第17期十段戦の予選(1977 - 1978年)で5連勝し、狭き門の十段リーグ入りにあと一歩と迫るが、予選決勝で大山康晴に敗れる(当時、本戦入りできるのは毎期2人のみであった)

第41期(1982年度後期)と第47期(1985年度後期)の棋聖戦で一次予選・二次予選を通過し、本戦進出。

第42期(1983年度)と第43期(1984年度)のC級2組順位戦で、2期連続で次点(4位)となり昇級を逸する(いずれも8勝2敗)。第49期(1990年度)にも8勝2敗の成績を収めたが、9位。

第1期竜王戦(1987 - 1988年)で5組優勝。本戦進出するとともに4組昇級。

第59期(2000年度)C級2組順位戦で累積3点目の降級点を喫し、フリークラスに陥落。以降、2011年までに順位戦復帰を果たせず、規定により引退[3]

人物

  • 家族は妻と3人の娘[4]
  • 1997年からの一時期、関東奨励会幹事を務める[2]。2009年には、関東研修会幹事に就任。
  • 1970年代後半、棋士達の間では矢倉が全盛だった。若手棋士の殆どがそれに倣い矢倉に傾倒する中で、飯野はひねり飛車や力戦型の将棋をよく指した。

弟子

棋士となった弟子

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
金井恒太 2007年4月1日 六段、タイトル挑戦1

(2023年4月1日現在)

女流棋士となった弟子

名前 女流プロ入り日 段位、主な活躍
坂東香菜子 2001年10月1日 女流初段
飯野愛 2013年10月1日 女流初段

(2018年4月1日現在)

  • 飯野愛は三女。女流育成会のち研修会に参加し、2013年10月より女流2級となり、女流プロとしての資格を得た。
  • 娘の愛が女流プロを目指し始めたのは高校2年(2003年頃)と遅く、しかも、唐突に女流棋士を目指すと宣言されたので、驚かされた。これまで女流棋士として育ててなかったのもあり、日頃の優しい父とは一変し、師匠として厳しく指導。約10年後に何とか女流棋士となった[5][6]
  • 金井が2008年度のNHK杯戦で本戦出場したときに解説役を務め、その際、金井への期待として「棋士は(実力だけではなく)人気もなくてはいけない」と語った。

昇段履歴

主な成績

通算成績

989対局 445勝544敗 勝率0.4499

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
順位戦 竜王戦
名人 A級 B級 C級 F 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組
1組 2組 1組 2組
1975 30 C216
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 C214
1978 37 C204
1979 38 C230
1980 39 C216
1981 40 C218
1982 41 C217
1983 42 C219
1984 43 C203
1985 44 C202
1986 45 C209
1987 46 C222 1 5組
1988 47 C232 2 4組
1989 48 C215 3 4組
1990 49 C227 4 5組
1991 50 C209 5 5組
1992 51 C220 6 5組
1993 52 C233 7 5組
1994 53 C243 8 5組
1995 54 C240 9 5組
1996 55 C209 10 5組
1997 56 C222 11 5組
1998 57 C235 12 5組
1999 58 C217 13 5組
2000 59 C237 14 5組
2001 60 F編 15 5組
2002 61 F編 16 5組
2003 62 F編 17 5組
2004 63 F編 18 5組
2005 64 F編 19 5組
2006 65 F編 20 5組
2007 66 F編 21 5組
2008 67 F編 22 5組
2009 68 F編 23 6組
2010 69 F編 24 6組
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F」はフリークラス (F編:フリークラス編入 / F宣:宣言による転出)
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

  • 1999年 現役勤続25年

主な著書

  • 実戦に勝つ!詰め将棋 (1998年9月18日、池田書店)
  • いちばんやさしい7手からの詰将棋(2009年7月20日、池田書店)

出演

ウェブテレビ

脚注

  1. ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟
  2. ^ a b 将棋世界」2000年1月号付録
  3. ^ 飯野健二七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2011年7月7日). 2017年8月26日閲覧。
  4. ^ 師匠でもある父とともに。高2から女流棋士を目指してきた道のり ― 飯野愛女流初段インタビュー-日本将棋連盟・将棋コラム 2020年2月6日
  5. ^ 棋譜で親子が会話する 将棋棋士・飯野愛女流1級と父の師匠・飯野健二七段の関係”. AbemaTIMES (2017年12月21日). 2018年1月3日閲覧。
  6. ^ 将棋・飯野愛女流1級、高校2年からプロ志望に父・健二七段も驚き「え?って言いました」”. AbemaTIMES (2017年12月27日). 2018年1月3日閲覧。
  7. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。
  8. ^ ニコファーレ, 【叡王戦開催記念】チーム対抗 詰将棋カラオケ|スケジュール|nicofarre. “【叡王戦開催記念】チーム対抗 詰将棋カラオケ|スケジュール|nicofarre ニコファーレ”. nicofarre.jp. 2018年4月17日閲覧。

関連項目

外部リンク



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