森安 多恵子(もりやす たえこ)
森安多恵子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 07:42 UTC 版)
森安多恵子 女流四段 | |
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名前 | 森安多恵子 |
生年月日 | 1948年5月5日 |
没年月日 | 2020年8月2日(72歳没) |
プロ入り年月日 | 1976年9月(28歳) |
引退年月日 | 2012年3月31日(63歳) |
女流棋士番号 | 3 |
出身地 | 鹿児島県霧島町 |
所属 | 日本将棋連盟 |
師匠 | 高島一岐代九段 |
段位 | 女流四段 |
女流棋士DB | 森安多恵子 |
戦績 | |
通算成績 | 471対局 164勝307敗 |
2022年7月8日現在 |
森安 多恵子(もりやす たえこ、1948年5月5日 - 2020年8月2日)は、日本将棋連盟に所属していた女流棋士。鹿児島県霧島町(現・霧島市)出身。高島一岐代九段門下。女流棋士番号は3(2011年3月31日までの旧番号は旧11)。
人物
- タイトル挑戦は2回。女流棋士になって間もない1976年に第3期女流名人位戦の挑戦者、79年に第2期女流王将戦で挑戦者となったが、ともに蛸島彰子に退けられている。なお、1976年にタイトル挑戦者となったことで女流1級から女流二段に飛び昇段したが、これは女流棋士で初の事例であった。
- 2011年8月31日、8歳年長の関根紀代子女流五段が現役を引退した。これに伴い、日本将棋連盟所属の現役最年長女流棋士となった。(次に年長者は16歳年少の長沢千和子、LPSA所属では2歳年長の蛸島)
- 2012年1月17日の対局を最後に、同2012年3月31日付で現役を引退した[1]。生涯成績は164勝307敗[2]。引退女流棋士昇段規定により引退日翌日の4月1日付で女流四段に昇段した[3]。
- 「おしゃべりインコ」とのあだながあり、また桐山清澄の結婚の仲人をつとめた[4]。
- 2020年8月2日に死去[5]。訃報は約2年後に明らかになり、2022年7月8日に日本将棋連盟が発表した[5]。
昇段履歴
- 1976年 9月 - 女流1級
- 1976年11月26日 - 女流二段(タイトル挑戦/女流プロ名人位戦)
- 1989年 5月22日 - 女流三段(贈昇段/第11期女流王将戦〈林葉直子女流王将〉就位式)[6]
- 2012年 3月31日 - 現役引退(女流棋士総則)[1]
- 2012年 4月 1日 - 女流四段(引退女流棋士昇段規定)[3]
- 2020年[5] 8月 2日 - 死去(2022年7月公表)
主な成績
- 通算成績:471対局 164勝307敗(勝率0.3482)[2]
タイトル挑戦
タイトル挑戦 2回(タイトル獲得なし)
表彰
- 日本将棋連盟 表彰
- 2001年11月:勤続25年[7]
参考文献
- 「平成26年版 将棋年鑑 2014」599頁[8]
脚注
- ^ a b 「引退棋士のお知らせ」『日本将棋連盟』2012年4月5日。
- ^ a b 「女流棋士成績一覧(2012年3月25日対局分まで)」『日本将棋連盟』。2012年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ a b 「2012年4月1日付昇級・昇段者」『日本将棋連盟』2012年4月4日。
- ^ 能智映『愉快痛快棋士365日』日本将棋連盟、1982年6月、108-110頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b c 「訃報 森安多恵子女流四段」『日本将棋連盟』2022年7月8日。2022年12月20日閲覧。
- ^ 『近代将棋 1989年7月号』78頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「第27回「将棋の日」感謝状・表彰状贈呈者(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 日本将棋連盟『平成26年版 将棋年鑑 2014』マイナビ出版、599頁。 - Google ブックス
外部リンク
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番号一覧には退会者の番号を含む / 詳細は 将棋棋士一覧 および 将棋の女流棋士一覧 を参照 |
固有名詞の分類
- 森安多恵子のページへのリンク