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森安多恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 00:47 UTC 版)

 森安多恵子 女流四段
名前 森安多恵子
生年月日 (1948-05-05) 1948年5月5日
没年月日 (2020-08-02) 2020年8月2日(72歳没)
プロ入り年月日 1976年9月(28歳)
引退年月日 2012年3月31日(63歳)
女流棋士番号 3
出身地 鹿児島県霧島町
所属 日本将棋連盟
師匠 高島一岐代九段
段位 女流四段
女流棋士DB 森安多恵子
2022年7月8日現在
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森安 多恵子(もりやす たえこ、1948年5月5日 - 2020年8月2日)は、日本将棋連盟に所属していた女流棋士鹿児島県霧島町(現・霧島市)出身。高島一岐代九段門下。女流棋士番号は3(2011年3月31日までは11)。

人物

  • タイトル挑戦は2回。女流棋士になって間もない1976年に第3期女流名人位戦の挑戦者、79年に第2期女流王将戦で挑戦者となったが、ともに蛸島彰子に退けられている。なお、1976年にタイトル挑戦者となったことで女流1級から女流二段に飛び昇段したが、これは女流棋士で初の事例であった。
  • 2011年8月31日、8歳年長の関根紀代子女流五段が現役を引退した。これに伴い、日本将棋連盟所属の現役最年長女流棋士となった。(次に年長者は16歳年少の長沢千和子LPSA所属では2歳年長の蛸島)
  • 2012年1月17日の対局を最後に、3月31日付で現役を引退した。4月1日付で、引退女流棋士昇段規定により女流四段に昇段した。生涯成績は164勝307敗。
  • 「おしゃべりインコ」とのあだながあり、また桐山清澄の結婚の仲人をつとめた[1]
  • 2020年8月2日に死去。訃報は約2年後に明らかになり、2022年7月8日に日本将棋連盟が発表した[2]

昇段履歴

タイトル挑戦

タイトル挑戦 2回(獲得0期)

表彰

日本将棋連盟 表彰
  • 2001年11月:勤続25年[5]

参考文献

  • 平成21~30年 将棋年鑑棋士名鑑10年分 p230[6]

脚注

  1. ^ 能智映『愉快痛快 棋士365日」(日本将棋連盟)P.109
  2. ^ 訃報 森安多恵子女流四段”. 日本将棋連盟 (2022年7月8日). 2022年12月20日閲覧。
  3. ^ 女流棋士昇段規定(FAQ)」『日本将棋連盟』。1998年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  4. ^ 当時の「女流棋士昇段規定」の「勝星による昇段/三段(二段から)150勝」による[3]
  5. ^ 第27回「将棋の日」感謝状・表彰状贈呈者(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  6. ^ 平成21~30年 将棋年鑑棋士名鑑10年分 - 書籍編集部 - Google ブックス

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