さとう‐やすみつ【佐藤康光】
佐藤 康光(さとう やすみつ)
![佐藤康光](http://weblio.hs.llnwd.net/e7/img/dict/nsrsk/player/ph_kishi/2013satou-y.jpg)
Yasumitsu Satoh
- タイトル履歴
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竜王 1期(第6期-1993年度) 名人 2期(第56期-1998年~57期) 棋王 2期(第32期-2006年度~33期) 王将 2期(第51期-2001年度・61期) 棋聖 6期(第73期-2002年度~第78期)
-永世棋聖(就位は原則引退後)登場回数合計 37回
竜王:5回(第6期-1993年度~8期・19期~20期)
名人:3回(第56期-1998年~58期)
王位:5回(第31期-1990年度・38~39期・46~47期)
王座:3回(第50期-2002年度・53~54期)
棋王:6回(第24期-1998年度・27期・32~35期)
王将:8回(第47期-1997年度・49期・51~52期・55~56期・61~62期)
棋聖:7回(第73期-2002年度~79期)獲得合計 13期 - 優勝履歴
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銀河戦 3回(第11期-2003年度・第16期-2008年度・第18期-2010年度) 大和証券杯最強戦 1回(第6回-2012年度) NHK杯 2回(第56回-2006年度・第57回2007年度) 日本シリーズ 2回(第25回-2004年度・27回-2006年度) 早指し新鋭戦 2回(第9回-1990年度・10回-1991年度) 勝抜戦5勝以上 1回(第19回-1998・99年度) 優勝合計 11回 - 将棋大賞
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第18回(1990年度) 新人賞 第20回(1992年度) 技能賞 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞 第23回(1995年度) 技能賞 第25回(1997年度) 技能賞 第26回(1998年度) 殊勲賞 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞 第30回(2002年度) 敢闘賞 第32回(2004年度) 技能賞 第33回(2005年度) 敢闘賞 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞 第35回(2007年度) 優秀棋士賞 第37回(2009年度) 名局賞 第39回(2011年度) 升田幸三賞 - その他表彰
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1998年10月 八幡市民有功者表彰 2003年 将棋栄誉賞(通算六百勝達成) 2007年 京都府文化賞 2009年3月 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝達成) 2011年 現役勤続25年
佐藤康光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 09:58 UTC 版)
佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代8位)[1]。永世棋聖の資格保持者。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府綴喜郡八幡町(現八幡市)出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会会長、2017年2月から2023年6月まで日本将棋連盟会長。
- ^ その前の3回戦では、村山聖と対戦して勝っている。ちなみに、このときの準優勝者は中井広恵。また、畠山成幸(前年準優勝)は佐藤と同じく3位であった。5年生の羽生善治(翌年に優勝)も出場していた。
- ^ 佐藤が奨励会に在籍していた当時は、三段リーグの制度がなかった。
- ^ 2017年現在、佐藤の後に「前竜王」の称号を名乗る権利を行使した棋士はいない。
- ^ 羽生は、この竜王戦の直後の王将戦も制し、史上初の七冠独占を達成することとなる。
- ^ 開幕から谷川浩司とともに4連敗し、「このまま2人そろって降級か」ということで一般紙でも話題として取り上げられた。その後、谷川は連敗を4で止め最終局を前に残留を確定させたが、佐藤は6連敗を喫した。
- ^ 「将棋界のいちばん長い日」と呼ばれる
- ^ なお、棋王戦第2局と第3局の間の3月2日に行われたA級順位戦最終局(いわゆる‘将棋界のいちばん長い日’)は、勝っても負けても次期のB級1組での順位さえ変わらない全くの消化試合であったが、名人挑戦の可能性を残していた丸山忠久を負かしている。
- ^ 一般的にそうした将棋は型に嵌らない「力戦」と呼ばれることが多いが、本人によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があると言う(佐藤康光 『佐藤康光の力戦振り飛車』(毎日コミュニケーションズ、2010年)3頁)
- ^ ▲9六歩を初披露したのは2005年2月17日(朝日オープン将棋選手権・対山崎隆之戦)である(結果的に負けたが内容は十分)。しかし、そのときは棋士達の間で見向きもされず、5か月後にタイトル戦で羽生を相手に指して勝ったときから流行り出した。佐藤は「真似されるのは素直にうれしい」と語っている(『将棋世界』2006年7月号)
- ^ 室岡は当初「10億」と言った筈がいつの間にか「1億」になった、と将棋世界2009年9月号で述べている。もちろん佐藤自身も否定しているが、『日本将棋用語事典』p.173 -によれば、1000手を超えることはあるとのことである。
- ^ 前期の谷川との名人戦でも、そのような傾向が見られた。
- ^ なお、佐藤本人は2手目△3二金について、将棋世界の「イメージと読みの将棋感」の中で「挑発ではなく、論理に基づく手」と語っている。実際、第19期竜王戦第7局では2手目△3二金のあと4手目△4一玉の新手を披露しており、これが矢倉戦法を指向する相手に効果的だったことから、渡辺竜王も「ただの挑発ではありませんでした」と評価している。
- ^ この1局で、渡辺の竜王4連覇が決まった。
- ^ 将棋世界2012年6月号「プレイバック2011」に於いても、本局を評した棋士の全てが佐藤の▲5七玉についての驚きを口にした。一方、やられた久保は同誌2012年8月号「イメージと読みの将棋観」に於いてこの局面が取り上げられた際に、「もう一度この局面が現れたら、(本局と同じく)後手を持ってみたい」と述べた。
- ^ 先崎学著 先崎学の「浮いたり沈んだり」の「敗戦の夜に…」にて対局に負けた後に「わんわん泣きます」と佐藤が語ったエピソードが紹介されている。
佐藤康光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
オールラウンダー。若手の頃は居飛車党であった。現代における居飛車定跡の先駆者の一人で米長の影響を強く受けている。成算があると思えば危険でも踏み込んでいく特徴があり、直線的な指し手が多い。かつて居飛車を主に指していたころ、相手の得意戦法を真っ向から受けて立つ棋風であったが、タイトル戦への登場が頻繁になった頃から振り飛車も頻繁に採用するようになった。またこの頃から、数々の新手も編み出すようになった(2006年度の将棋大賞で、最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞)。なお、深く鋭い読みを持つことから「緻密流」と呼ばれるが、先崎学は「緻密ではなく野蛮」と評している。
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佐藤康光 (1969-)
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「棋士 (将棋)」の記事における「佐藤康光 (1969-)」の解説
通算獲得タイトル13期(うち名人2期)。永世棋聖資格者。読みの深さは「1秒間に1億と3手読む」と称されている。
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佐藤康光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 17:34 UTC 版)
「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の記事における「佐藤康光」の解説
第2・4・5・6・8・9巻に登場。羽生の描写と同様に、プロとしての活躍に伴い村山が棋士人生で受けた影響が重点的に描写された。
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