寺下紀子とは? わかりやすく解説

寺下紀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 05:26 UTC 版)

 寺下紀子 女流四段
名前 寺下紀子
生年月日 (1940-06-20) 1940年6月20日(84歳)
プロ入り年月日 1974年10月31日(34歳)
引退年月日 1985年5月(44歳)
LPSA番号 4
出身地 東京都大田区
所属 日本女子プロ将棋協会
師匠 (なし)
段位 女流四段
プロフィール LPSA所属女流棋士
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寺下 紀子(てらした のりこ、1940年6月20日 - )は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属する将棋の女流棋士東京都大田区出身、千葉県市川市在住。女流棋士一期生6人のうちの一人。1985年引退。引退後に日本将棋連盟からLPSAへ移籍し、LPSAの中で最年長。LPSA番号4。日本将棋連盟所属時の女流棋士番号は旧5。師匠はいない[1]

人物

  • 1974年ごろにアマチュア大会で活躍し、同年創設された女流棋士第1号の一人として、初段でスタートした。
  • 女流棋士公式戦の第1号局は、1974年10月31日に将棋会館で行われた、第1回女流名人位戦予選の寺下紀子初段-村山幸子初段戦だった。名人位戦予選では決勝で関根紀代子二段を相手の反則で破り、初代の女流名人位を蛸島彰子三段と争った(段位は当時)。
  • 1985年、女流育成会成績優秀者であった清水市代との入れ替え戦で敗退し、女流育成会入りとなるのを拒否して引退を選ぶ。
  • 2007年の日本女子プロ将棋協会独立にあたり、日本将棋連盟を退会して、移籍。
  • 趣味はゴルフと生花で、生花は草月流師範の腕前である。

昇段履歴

  • 1974年10月31日 - 女流初段
  • 1974年11月00日 - 女流二段
  • 1985年05月00日 - 引退、女流三段
  • 1993年11月00日 - 女流四段

棋戦歴

脚注

  1. ^ 寺下紀子 女流四段(女流棋士番号5)”. 日本将棋連盟. 2002年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月22日閲覧。

関連項目

外部リンク



寺下紀子

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女流棋士 (将棋)」の記事における「寺下紀子」の解説

女流初段1962年始まった将棋連盟女性教室第1号生徒であり、成績優秀者。1985年現役引退

※この「寺下紀子」の解説は、「女流棋士 (将棋)」の解説の一部です。
「寺下紀子」を含む「女流棋士 (将棋)」の記事については、「女流棋士 (将棋)」の概要を参照ください。

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