第1期女流プロ名人位戦
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「女流名人戦 (将棋)」の記事における「第1期女流プロ名人位戦」の解説
第1期ではもともと唯一の女性プロだった蛸島彰子は別格とされ、他の5人によるトーナメントの優勝者と蛸島が三番勝負を行い、勝者が初代女流名人となるシステムであった。 その中から関根紀代子と寺下紀子が挑戦者決定戦に進出。挑戦者決定戦では関根が風邪を引いていて、対局中にゆったりしたセーターを着ていたために、その袖に引っ掛けて落した香車を気づかずに持ち駒として使ってしまい、関根の反則負けとなった。これが女流棋戦初の反則負けである。第1期は蛸島と関根の対局の実現を期待されていたが、この影響で結局その後も両者の番勝負が実現することは無かった。 蛸島と寺下による三番勝負は1974年11月に行われ、蛸島が第1局・第2局を連勝して三番勝負を制し、第1期女流名人となった。 なお、1974年度の第1期のトーナメントの金額は1局ごとに5000円。別に化粧代として同額。決勝三番勝負の対局料は8万円で優勝賞金は15万円であった。
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