第1期幕領時代とは? わかりやすく解説

第1期幕領時代(1802年 - 1821年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 00:34 UTC 版)

遠国奉行」の記事における「第1期幕領時代(1802年 - 1821年)」の解説

前期奉行治世中には寛永通寳鉄銭広く流通し高田屋嘉兵衛による択捉航路開設北前船参照)及び近藤重蔵らによる新道開削等がおこなわれ間宮林蔵らの樺太調査による間宮海峡確認や、松田伝十郎山丹交易改革アイヌ累積債務支払えない分を肩代わりした。 アダム・ラクスマン来航はじめとするロシア南下政策警戒した幕府は、北辺警固のため松前藩領地であった東蝦夷地北海道太平洋岸および北方領土得撫郡域)を寛政11年1799年)に仮上知。そして、享和2年1802年2月永久上知の上箱館蝦夷奉行設置され戸川安論羽太正養の2名が任命され、うち1名が1年交代箱館駐在した同年5月箱館奉行改称する文化元年1804年宇須岸館(別名・河野館または箱館)跡(現在の元町公園)に奉行所を置き、これに伴い同地にあった蝦夷地総社函館八幡宮会所町(現八幡坂の上)に遷座した。文化2年(1805年)2月斜里山道(斜里越)を開削し八王子千人隊千人原胤敦箱館奉行支配調役に任ぜられた。原胤敦配下同心文化5年(1808年)に八王子に戻る。文化4年1807年)、文化露寇機に和人地及び西蝦夷地北海道日本海岸とオホーツク海岸および樺太)も上知箱館奉行松前奉行改め松前移転したまた、遠山景晋遠山景元の父)が西蝦夷地検分行い最上徳内8度目の蝦夷地赴任となったのも、第一次幕領期の文化4年ころであった樺太は、文化6年1809年)に西蝦夷地から分立し北蝦夷地改称された。 ロシアの脅威収まった文政4年1821年)、和人地及び全蝦夷地松前氏還付し松前奉行廃止された。

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