羽太正養とは? わかりやすく解説

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羽太正養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/03 05:15 UTC 版)

 
羽太 正養
羽太正養(谷文晁『近世名家肖像』より)
時代 江戸時代後期
生誕 宝暦2年(1752年
死没 不詳
別名 弥太郎、左近、主膳
諡号 正養
墓所 品川天妙国寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家治徳川家斉
父母 (父)羽太正香
(母)横地長救の娘
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羽太 正養(はぶと まさやす、宝暦2年(1752年) - 文化11年1月22日1814年3月13日))は、江戸時代中期から後期の旗本箱館奉行、松前奉行。通称は弥太郎、左近、主膳、庄左衛門。北海道千歳市の名付け親。

略歴

宝暦2年(1752年)、旗本・羽太正香の子として産まれる。母は横地長救の娘。明和5年(1768年)、将軍・徳川家治御目見する。安永5年(1776年)、家督を継ぐ。

安永9年(1780年)、大番に属する。寛政元年(1789年)、御蔵奉行となる。寛政5年(1793年)、田安家用人となり布衣着用を許される。寛政8年(1796年)に西丸目付、次いで本丸目付となる。

箱館奉行・松前奉行時代

羽太正養(左側の人物。右側は渡辺胤、中央は蜂屋成定)

幕府が東蝦夷地を仮上知した寛政11年(1799年)1月、松平忠明石川忠房・大河内政寿・三橋成方とともに蝦夷地取締御用掛に任命される[1]享和元年(1801年)、東蝦夷地を国後島まで巡視する[2][3]

享和2年(1802年)2月、新設された蝦夷奉行[注釈 1]に就任、500石を加増される[3]。同年12月、安芸守となる。箱館奉行は毎年春を境に1年毎、箱館在勤と江戸在勤を交代しており、文化元年(1804年)および文化3年(1806年)に箱館在勤となる[4]。なお、箱館奉行所建設に際して富山元十郎井戸の水量不足を補うために箱館山を調査し湧水を発見した際、羽太はこれを「富山泉」と命名し、「くみそめし泉とともにいさをしのその名もつきず世々に伝へて」という歌を添えた[5][注釈 2]

文化2年(1805年)、現在の千歳川であるシコツ川を、当地に鶴が多かったことから「鶴は千年、亀は万年」にちなんで「千とせ(千年、千歳)川」と名付け、これが「千歳」の由来となる[6][注釈 3]

文化3年(1806年)10月4日の箱館大火に際しては、奉行自ら馬に乗り消火を指揮した[7]

文化3年(1806年)から文化4年(1807年)の文化露寇に際して、東北諸藩に動員をかける。文化4年10月、奉行所の松前移転に伴い、引き続き松前奉行に任じられる。

晩年

文化4年11月、文化露寇の責任を問われ、松前奉行を罷免。逼塞(文化5年(1808年)4月免ぜられる)および小普請組入りとなる。文化11年(1814年)没。墓所は、東京都品川区南品川天妙国寺にあるが、無縁墳墓となっている[3]

著書

脚注

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注釈

  1. ^ 同年5月に箱館奉行と改称された。
  2. ^ 富山元十郎は、享和元年6月、幕命により調査にあたった得撫島に、深山宇平太らとともに「天長地久大日本属島」の標柱を建てた人物[5]
  3. ^ シコツはアイヌ語でSi-kot、「大きな窪地」の意。「支古津」「支骨」などの字を当てられたが、「死骨」に通ずることから縁起が悪いとされた。

出典

  1. ^ 『函館市史』通説編第1巻第3編 蝦夷地取締御用掛任命
  2. ^ 『函館市史』通説編第1巻第3編 箱館役所
  3. ^ a b c 大谷敏三「志古津から千歳 (PDF) 」 『『新千歳市史』編さんだより 志古津』第7号、千歳市、2007年11月、 31-38頁、2022年11月1日閲覧。
  4. ^ 『函館市史』通説編第1巻第3編 箱館奉行所建築
  5. ^ a b 麓(1994)
  6. ^ 西田秀子「シコツと千歳の地名解 (PDF) 」 『『新千歳市史』編さんだより 志古津』第9号、千歳市、2009年3月、 27-37頁、2022年11月1日閲覧。
  7. ^ 『函館市史』通説編第1巻 p.435”. 函館市. 2014年8月27日閲覧。
  8. ^ 函館市指定文化財 1”. 函館市 (2020年2月17日). 2022年11月3日閲覧。

参考文献




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