棋歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 00:09 UTC 版)
明治16年(1983年)、水谷縫次に先で対戦するが、縫次の有名な130手目の妙手にあって敗れる。同年高橋杵三郎と十番碁。 明治29年(1896年)、55歳の時、秀栄門下となっていた22歳の田村保寿四段(先)と対局。三日三晩をかけての打ち切りで行い、166手まで白番中押し勝ちとし、保寿は盤側に伏してしまったという。 明治32年(1899年)、読売新聞の企画で、大阪方円分社長の泉秀節と電信手合を行い(ジゴ)、人気を博した。
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