京須行男とは? わかりやすく解説

京須行男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 06:08 UTC 版)

 京須 行男 八段
名前 京須 行男
生年月日 (1914-01-23) 1914年1月23日
没年月日 (1960-05-02) 1960年5月2日(46歳没)
プロ入り年月日 1943年(29歳)
引退年月日 1960年(46歳)
出身地 千葉県一宮町
所属 将棋大成会(関東)
日本将棋連盟(関東)
師匠 宮松関三郎八段
段位 八段
順位戦最高クラス B級
2022年2月14日現在
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京須 行男(きょうす ゆきお、1914年大正3年〉1月23日 - 1960年昭和35年〉5月2日)は、将棋棋士。八段(追贈)。宮松関三郎八段門下[1]千葉県一宮町出身[1]日本将棋連盟理事・奨励会幹事を務めた[1]

経歴

1938年、宮松関三郎門下となる。1943年に四段に昇段[1]

戦後の1946年順位戦C級クラスに参加し、B級へ昇級するなど活躍していたが、体調悪化により第14期順位戦を最後に1960年引退。

同1960年5月、癌性肋膜炎で死去(享年46)[1][2]

人物

  • 没後の孫に、のちに十八世名人有資格者となる将棋棋士、森内俊之がいる。
  • 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ[3]、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った[4]
  • プロ入り前の経歴として、日本紙業就職後に戦地へ赴き、胸に貫通銃創を受け帰還した。のち日日新聞アマ名人戦に優勝[1]
  • 三軒茶屋の将棋道場で指導にあたる[1]。京須の没後は上述の山田道美が土日に指導に入り道場再建の一助とした[5]

昇段履歴

  • 1938年00月00日:入門
  • 1943年00月00日:四段
  • 1947年05月10日:五段(順位戦C級下位)
  • 1948年04月01日:七段へ跳び昇段(順位戦B級昇級)
  • 1960年00月00日:引退 [6]
  • 1960年05月02日:死去
  • 1973年11月03日:八段(追贈)

関連項目

脚注

出典





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