京須行男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 06:05 UTC 版)
京須 行男 八段 | |
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名前 | 京須 行男 |
生年月日 | 1914年1月23日 |
没年月日 | 1960年5月2日(46歳没) |
プロ入り年月日 | 1943年10月(29歳) |
引退年月日 | 1960年2月(46歳) |
出身地 | 千葉県一宮町 |
所属 | 将棋大成会(関東) →日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 宮松関三郎八段 |
段位 | 八段 |
順位戦最高クラス | B級 |
2022年2月14日現在 |
京須 行男(きょうす ゆきお、1914年〈大正3年〉1月23日 - 1960年〈昭和35年〉5月2日)は、将棋棋士。八段(追贈)。宮松関三郎八段門下[1]。千葉県一宮町出身[1]。日本将棋連盟理事・奨励会幹事を務めた[1]。
経歴
1938年9月、宮松関三郎門下として初段で入門。
翌1939年10月、26歳で二段昇段。1941年3月、三段昇段。
戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加し、B級へ昇級するなど活躍。
1960年2月、発病による体調悪化のため第14期順位戦を最後に引退[2]。
同1960年5月、癌性肋膜炎で死去(享年46)[1][2][3][4]。
人物
- 没後の孫に、のちに十八世名人有資格者となる将棋棋士、森内俊之がいる。
- 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美は金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ[5]、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った[4]。
- プロ入り前の経歴として、日本紙業就職後、1937年8月に召集により戦地へ赴くも戦闘中に左胸に貫通銃創を受け帰還した[6][7]。こののち、日日新聞アマ名人戦に優勝[1]。
- 二段当時、早く昇段したいという焦る気持ちの中、敗戦を重ねて特に生活が苦しい状況にあったが、自らの生活を確立するために意を決し、敢えて結婚をしたという[6][8]。
- 三軒茶屋の将棋道場で指導にあたる[1]。京須の没後は上述の山田道美が土日に指導に入り道場再建の一助とした[9]。
昇段履歴
- 1938年[6][10] 9月 :初段(25歳で入門)
- 1939年10月[6][11] :二段
- 1943年[6][12] 3月 :三段
- 1943年10月[6][13] :四段
- 1947年順位戦C級下位) 5月10日:五段(
- 1948年 4月 1日:七段(跳び昇段、順位戦B級昇級)
- 1960年[2][14] 2月 :引退
- 1960年[2] 5月 2日:死去
- 1973年11月[2] 3日:八段(追贈)
主な成績
順位戦クラス
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開始 年度 |
順位戦
出典[15]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | ||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||
1946 | 1 | |||||||
1947 | 2 | |||||||
1948 | 3 | |||||||
1949 | 4 | |||||||
1950 | 5 | |||||||
1951 | 6 | |||||||
1952 | 7 | |||||||
1953 | 8 | |||||||
1954 | 9 | |||||||
1955 | 10 | |||||||
1956 | 11 | |||||||
1957 | 12 | |||||||
1958 | 13 | |||||||
1959 | 14 | |||||||
順位戦の 枠表記 は挑戦者。 右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) |
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 『近代将棋 1990年7月号「名棋士の思い出 京須行男八段のこと/ 原田泰夫」』120-123頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b c d e 『写真でつづる将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1987年3月、243頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1960年6月号「京須七段逝く」』近代将棋社、86-88頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b 『山田道美将棋著作集 8巻』大修館書店、55-61頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』大修館書店、12-13頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b c d e f 『将棋世界 1943年12月号』日本将棋連盟。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 『近代将棋 1960年7月号「京須道場の再建に」』近代将棋社、121頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 『近代将棋 1960年5月号「昭和34年度 第14期順位決定戦時成績表 B級II組」』近代将棋、13頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
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