市川伸
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市川 伸 元五段(退会) | |
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名前 | 市川 伸 |
生年月日 | 1935年10月18日 |
プロ入り年月日 | 1954年 8月15日(18歳) |
引退年月日 | 1968年(32歳) |
出身地 | 鳥取県西伯郡手間村 (現・南部町) |
所属 | 退会までは日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 大山康晴十五世名人 |
段位 | 元五段(退会) |
市川 伸(いちかわ しん、1935年10月18日[1] - )は、元・将棋棋士。棋士時代は関西本部に所属し[2]、大山康晴十五世名人門下であった[2]。鳥取県西伯郡手間村(現・南部町)出身[2]。1967年、引退・退会[注釈 1]。
経歴
9人きょうだいの第2子として生まれる[2]。父親の将棋好きに影響されて6歳頃から将棋に興味を覚え、小学生時代は同県のアマチュア、椿四段、新居初段の指導を受ける[2]。
1949年(昭和24年)8月、父親の意向もあり、隣県岡山県の大山康晴十五世名人への入門を懇請、14歳の時に内弟子となる[2]。同時期の入門であった有吉道夫とともに大山の愛弟子として生活、日夜将棋に明け暮れる日々を過ごす[2]。当時大山は倉敷市在住だったが、有吉と2人で屋根裏の四畳半に住み、3年半生活を共にした[4]。
入門試験は飛落の7級で[2]、入門から1年9か月後の1951年5月には2級、1952年に初段[2]。
1954年(昭和29年)8月15日に四段昇段[5]。同1954年8月1日付で四段昇段した加藤一二三に続く四段昇段であった[5]。
同1954年9月より第9期順位戦C級2組に参加[5]。順位戦参加1年目の成績は6勝6敗の指し分け[2]。
翌1955年度の第10期順位戦は12勝4敗でC級2組2位の好成績であったが、同成績であった関根茂四段による「頭ハネ」で昇級はならなかった[2]。
東西二組に分かれて行われた1956年度の第11期順位戦では西組2位の8勝4敗の成績で、同成績の東組2位であった佐藤庄平四段との東西決戦を制し(不戦勝)、C級1組への昇級を果たして、1957年4月より五段昇段[6]。佐藤の不戦の原因は二度寝による寝坊であった[7]。
1967年度の第22期順位戦の最中、32歳にして一身上の都合により引退・退会[8][注釈 1]。『将棋世界 1968年4月号』では、市川の退会は「自家の都合」と記されている[9][10]。引退後は、有吉によれば「米子に帰った」という[4]。
棋風はオールラウンダーで、有吉曰く「ナマクラ四つ」。非常に力強い棋風だったという[11]。若い頃は有吉よりもむしろ市川の方が将来を嘱望されており、有吉も「将棋を続けていれば、間違いなく八段まで昇った」とのちに語っている[4]。
昇段履歴
- 1949年[2] 8月 :7級 = 奨励会入会
- 1951年[2] 5月 :2級
- 1952年[2] :初段
- 1954年 8月15日:四段 [5]
- 1957年 4月 1日:五段(第11期順位戦C級1組昇級)[1]
- 1968年 :引退・退会 [8][1]
主な成績
在籍クラス
開始 年度 |
順位戦
出典[12]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | ||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||
1954 | 9 | C217 | 西組6-6 | |||||
1955 | 10 | C208 | 12-4 | |||||
1956 | 11 | C204 | 西組8-4 (西2位) 東西決戦 勝利 |
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1957 | 12 | C113 | 4-8 | |||||
1958 | 13 | C201 | 8-6 | |||||
1959 | 14 | C204 | 5-8 | |||||
1960 | 15 | C208 | 3-9 | |||||
1961 | 16 | C209 | 5-6 | |||||
1962 | 17 | C207 | 7-6 | |||||
1963 | 18 | C205 | 4-8 | |||||
1964 | 19 | C209x | 3-9 | |||||
1965 | 20 | C215*x | 5-7 | |||||
1966 | 21 | C214*+ | 6-6 | |||||
1967 | 22 | C206*x | 2-10 (退会) | |||||
順位戦の 枠表記 は挑戦者。 右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) |
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 「43年の引退棋士」『将棋年鑑 昭和43年版』日本将棋連盟、1968年、293頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『近代将棋 1956年7月号』110-111頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ a b c 『有吉道夫名局集』(マイナビ、2012年)p.78
- ^ a b c d 『近代将棋 1954年10月号』57頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 山本武雄『将棋百年 改定新版』時事通信社、1976年、316-321頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1957年5月号』129頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ a b 山本武雄『将棋百年 改定新版』時事通信社、1976年、522-527頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「検索結果」『国立国会図書館デジタルコレクション』。
- ^ 『将棋世界 1968年4月号』。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『有吉道夫名局集』p.70
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
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