鈴木禎一
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鈴木 禎一 五段 | |
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名前 | 鈴木 禎一 |
生年月日 | 1899年[注釈 1] |
没年月日 | 1955年1月7日(55歳没) |
プロ入り年月日 | 1924年頃 |
出身地 | 東京府(現:東京都) |
所属 | 将棋同盟社 →日本将棋連盟(関東) →将棋大成会(関東) →日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 大崎熊雄九段 |
段位 | 五段 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2022年2月21日現在 |
鈴木 禎一(すずき さだかず、1899年〈明治32年〉出生日未詳〈9月16日[1]または10月16日[2][注釈 1]〉 - 1955年〈昭和30年〉1月7日[3])は、将棋棋士。五段。大崎熊雄九段門下[3]。東京府(現:東京都)出身。
経歴
1899年〈明治32年〉東京の神田生まれ[1][2]。出生日については9月16日[1]あるいは10月16日[2]、文献によって異なる記載がある[注釈 1]。
1912年(大正11年)1月、万朝報ほか複数の試験将棋を突破し[1]、初段を免許されて将棋同盟社に入り[1]、萬朝報棋戰で7人拔きの快挙により入会5か月で二段昇段[1]。
なお、死没時の訃報記事では、1919年(大正8年)、将棋同盟社に入会・入段との記述もある[3]。
同年9月の関東大震災で被災したため奧州二本松で約1年滯在、その後東京に戻り四段昇段[1]。
1924年(大正13年)10月発行の『大正十四年 報知年鑑』で四段の棋客(棋士)として掲載[4]。また、1925年(大正14年)に行われた「八王子新年将棋会席上」の棋譜、同年発行の文献に四段との記述がある[5][6]。このほか、1933年に東京朝日新聞の新進棋士登龍戦に四段で登場[要出典]。
戦災のために戦後の第1期(五、四段戦 = C級)には参加せず[8]、第2期順位戦(B級)は休場[9]、1948年の第3期順位戦にC級2組(第3組)で予選参加し、予選落ち。その後もC級2組で参加し続ける。1951年の第6期順位戦では成績低迷により次期休場(1期)扱いとなるも、翌年の第7期はC級2組に張り出しで特別参加[10]。第8期にもC級2組で出場。
1954年の第9期順位戦にはC級2組の11位で参加予定であったが休場する事を表明、1955年1月7日に現役死去[3]。享年56。
昇段履歴
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主な成績
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関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 『将棋世界 1942年3月号』日本将棋連盟。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 山田道美『九段山田道美手合『将棋精華』』山田交友研究グループ、1970年11月12日、43頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 『近代将棋 1955年3月号』13頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『大正十四年 報知年鑑』報知新聞社、1924年10月5日、797頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「棋界の消息」『将棋月報 1月号』将棋月報社、1925年1月10日、51頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「大正十四年八王子新年将棋会席上」『将棋月報 5月号』将棋月報社、1925年5月10日、39頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 菅谷北斗星「第3期順位戦」『将棋五十年』時事通信社、194頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 菅谷北斗星「第1期順位戦参加者」『将棋五十年』時事通信社、132頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 菅谷北斗星「第2期順位戦」『将棋五十年』時事通信社、161頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 菅谷北斗星「第7期順位戦」『将棋五十年』時事通信社、281頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
固有名詞の分類
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