木村定跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 14:28 UTC 版)
9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
香 | 桂 | 香 | 一 | ||||||
飛 | 金 | 金 | 王 | 二 | |||||
桂 | 歩 | 銀 | 歩 | 三 | |||||
歩 | 歩 | 歩 | 銀 | 歩 | 歩 | 歩 | 四 | ||
歩 | 歩 | 五 | |||||||
歩 | 歩 | 歩 | 銀 | 歩 | 歩 | 歩 | 六 | ||
歩 | 銀 | 歩 | 桂 | 七 | |||||
玉 | 金 | 金 | 飛 | 八 | |||||
香 | 桂 | 香 | 九 |
木村定跡(きむらじょうせき)は、初代実力制名人・木村義雄が発表した将棋の定跡である。角換わりのうち、▲5八金型の先後同型腰掛け銀における定跡の一つであり、先手の勝利まで研究が終わっていることから、完成された定跡とも言われている。
手順
△持駒 角
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△持駒 歩四
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△持駒 飛桂二歩五
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初手▲7六歩から始まり、△8四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△7七角成▲同銀△4二銀と進んで角換わりになる。以下、▲3八銀△7二銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6六歩△5二金▲5八金△4一玉▲6八玉△5四銀▲5六銀△3一玉▲7九玉△1四歩▲1六歩△9四歩▲9六歩△7四歩▲3六歩△4四歩▲3七桂△7三桂▲2五歩△3三銀(図2)が手順の一例。ここから▲8八玉△2二玉(図1)の後に、先手が▲4五歩の突き捨てから戦端を開く。
図1から、先手は▲4五歩△同歩▲3五歩と仕掛ける。以下、△4四銀▲7五歩△同歩▲1五歩△同歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2八飛△6三角▲1三歩△同香[注 1]▲2五桂(図3)△1四香[注 2]▲3四歩△2四歩[注 3]▲3三桂成△同桂▲2四飛△2三金▲1一角△3二玉[注 4]▲3三歩成△同銀▲4四桂△同銀▲2三飛成△同玉▲4四角成(図4)が代表的な投了までの手順。図4以降、△4三金としても▲4五銀△4四金▲同銀で振りほどけない。
補足
▲7五歩の突き捨てが入っているため、▲1五歩の突き捨てに手を抜けず、2筋の歩交換も後の先となっているのが巧妙。以下手順に3筋の取り込みを実現させる。▲3三歩成ではなく▲3三桂成とするのも、細かいながら飛車先を通す好手。その結果、図4となった時点で致命的なミスを起こさない限り先手の勝ちとなる。なお、▲4五歩に後手が△6五歩と突き返した場合は、▲4六角△8三飛▲6五歩と進めて先手十分となる[1]。
略歴
誕生
常勝将軍の異名を持っていた木村を倒すために若手棋士たちが研究したのが、持ち時間の短い将棋に有利な角換わり腰掛け銀戦法であった。木村はこれに苦戦を強いられ、第6期名人戦では塚田正夫に2勝4敗で敗れ名人位を奪われてしまう。そのため木村自身も角換わり腰掛け銀を研究するようになり、考え出したのがこの定跡である。現在でも先手必勝で間違いないと言われている。
問題点
このように、基本形態である図1になった瞬間に後手の敗北がほぼ決定する。したがって、後手はこの形を避けなければならない。そもそも△2二玉と囲いに入るのが敗着なので、この手を省略して△6五歩と後手側から木村定跡の仕掛けを行えば後手が良いのではないかと考えられている。ただし、後手の玉が3一にいるために飛車を捨てるといつでも王手が掛かる点には注意が必要。
以下、▲同歩△7五歩▲6六銀△3五歩▲同歩△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8二飛▲4七角△9五歩▲同歩△9七歩▲同香△8五桂▲9六香△7六歩▲8六歩△7七桂成▲同桂△8六飛▲8七金△9九角▲7八玉△7七歩成▲同銀△6六桂▲同銀△同飛[注 5]▲6七金△7七歩で後手が優勢となる[2]。そもそも先手にとって後手から先攻されるのは面白くないし、攻めている方が工夫しやすいなどの理由で、先手も▲8八玉を指さなくなった。つまり、『先手の疑問手(▲8八玉)に対し後手が大悪手(△2二玉)で返す』という条件がつくのが、木村定跡最大の欠点とも言える。
その後
上記の理由から、今では公式戦で木村定跡が現れることはまずない。代わって升田幸三実力制第4代名人が▲7九玉△3一玉の形(図2)で▲4五歩と仕掛ける升田流を考案。千日手が起因する停滞時期があったものの、腰掛け銀は角換わり戦法の一戦型として形を変えながら指され続けた。現在では2011年に現れた富岡流によって、図2の局面は先手良しとされている。そのため、角換わり腰掛け銀は指され続けているものの、図2のような先後同型の局面に達する前に変化するようになった。また、図5からの塚田新手の出現などによって、先後同型であっても、図2とは端歩の形が異なる先後同型角換わり腰掛け銀が増加している。
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飛 | 金 | 金 | 二 | ||||||
歩 | 桂 | 歩 | 銀 | 歩 | 三 | ||||
歩 | 銀 | 歩 | 歩 | 歩 | 四 | ||||
歩 | 歩 | 歩 | 五 | ||||||
歩 | 歩 | 歩 | 銀 | 歩 | 歩 | 歩 | 六 | ||
歩 | 銀 | 歩 | 桂 | 七 | |||||
金 | 金 | 飛 | 八 | ||||||
香 | 桂 | 玉 | 香 | 九 |
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『新版 角換わり腰掛け銀研究』 ISBN 4839900663
関連項目
木村定跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:39 UTC 版)
第1図 角換わり相腰掛け銀の先後同形△持駒 角 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 王 桂 香 一 飛 金 金 二 桂 歩 銀 歩 三 歩 歩 歩 銀 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 銀 歩 歩 歩 六 歩 銀 歩 桂 七 金 金 飛 八 香 桂 玉 香 九 ▲持駒 角38手目△3三銀まで 詳細は「木村定跡」を参照 プロの角換わりは指し手が限定されるため、両者が慎重に駒組みを進めていく。その結果、40手目△2二玉までに駒組みが限界にまで達して手詰まりになる。ここで先手が攻めなければ千日手(すなわち先後交替で指し直し)なので、41手目に先手が攻撃開始を余儀なくされる。この攻めが成立するかが角換わり戦法の焦点となった。昭和30年代、この形に結論を出したのが木村義雄であった。現在では、41手目から▲4五歩以下の先手の攻めは、後手の投了近くまで研究がなされている。この41手目からの一連の指し手は木村定跡と称される。 木村定跡で先手優勢(先手勝勢に近い)であるため、絶対に後手はこの形にできない。そのため39手目先手の▲8八玉の後、40手目に後手から攻め込まざるをえない。こうすると、木村定跡の応用で後手が指せることが分かった。つまりこの定跡は先手▲8八玉の悪手に後手が△2二玉の大悪手で返す形が前提だった。よって双方が矢倉囲いの中に玉を動かす前である39手目(現在の角換わり腰掛け銀同型、第1図)に先手が攻め込んだらどうなるかが課題となった。まだ昭和30年代には精緻な研究が成されていないものの、若干先手が指せるという見解が強かった。その後後述の富岡流によって一連の変化では先手勝勢、その他の変化でも先手が有利とされている。そのため、後手はひたすら千日手を狙う専守防衛の構えをとった。第1図は『イメージと読みの将棋観2』(2010年、日本将棋連盟)では2009年から2010年だけでも20局近く指される居飛車党にとって重要テーマとなっているが、平成以降から2010年までに先手戦績が160勝110敗、5割9分2厘となっていて、1998年以降に限っても先手の26勝15敗となっており、2010年以降は、この後手陣の撃破が困難なため、第1図の角換わり戦法の局面は採用されなくなった。どうしても先手が攻めて後手が受けに回るという展開がはっきりしているためもあり、先手の作戦に対してすべて対応する必要があるが、過去にある重要手順や定跡は一通り後手の受けが確立し研究も進んでおり、新たな手順がなければ先手をもって確実には攻めきれないことも分かっている。このため数十年以上長きにわたり指されているということで、それだけ難しい将棋であるとされている。 藤井猛はこの将棋は何か1手新手が発見されるとがらりと評価が変わるため、後手も5割勝てると思わなければこの局面を避ける、棋士全員でこの局面を指せば先手の勝率は6割はいく、素人同士で指せば間違いなく先に攻めた方が有利となるとしている。
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