攻撃開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
1940年8月3日、AOI軍は自国側の国境を越えて英領ソマリランドへの侵攻を開始した。起伏が激しく悪路の多いソマリランドにおいて、首都であり紅海沿岸の重要な港であるベルベラ占領を行うには3つの方法が考えられた。その中でハルゲイサ市を経由して直接ベルベラに向かう中央ルートが最短距離で到達が可能であった。他にハルゲイサ市からオウェイア市に東へ迂回して進むルート、北に進んで沿岸部の要衝ゼイラ市を落とし、そこから西回りに進むルートが存在した。 AOI軍は部隊を3つに分け、ハルゲイサ市へ向かう道を含めた3つのルートにおける同時攻撃を選択した。攻撃ルートの内、西周りのルートは仏領ソマリランドとの国境を封鎖する狙いもあった。東周りのルートには少数部隊だけが送り込まれ、主戦力が投入された中央ルートの腹背を守る役目を負った。 攻勢開始から2日後の8月5日、西回りのルートを進んでいたベルトルディ司令官はゼイラ市を陥落させて仏領ソマリランドとの国境を封鎖した。これで自由フランス軍による英ソマリランド軍への援護は全く可能性が無くなった。ベルトルディ司令官は予定通りゼイラ市から分隊を派遣して、沿岸部占領と西からのベルベラ攻撃に向けた準備を開始している。 山岳地帯を進むカルロ・ディ・シモーネ司令官の中央ルートの軍勢はより多くの労苦を払わねばならなかった。8月5日に西回りのゼイラ市より近いハルゲイサ市に到達したシモーネ司令官はソマリランド騎兵隊とローデシア大隊の抵抗を受けたが、豆戦車を押し立てた突撃でハルゲイサ市を陥落させた。だが中央軍の消耗も軽視できず、ハルゲイサ市でベルベラ攻撃に向けた2日間の再編成を行った後にアルガン砂漠へ向けて進軍を再開した。これに東回りの部隊もオウェイア市を経由して側面を守りながら同行した。英軍側は主力となっていたソマリランド騎兵隊だけでは都市部を防衛できず、アルガン砂漠へ後退を強いられていた。
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