沿岸部占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 10:32 UTC 版)
開戦当日よりイオニア海域に出動したイタリア王立海軍はプレヴェザ沖でオスマン海軍の水雷艇を迎撃して機先を制し、敵の輸送路を遮断させた。主な戦場となるアフリカに視線を向けたイタリア軍は上陸準備を完了するまでの間、まずトリポリ港の封鎖を実施、10月3日午後に攻略に着手した。この時に先遣隊として揚陸された海兵部隊はたちまち駐屯していたオスマン軍を撃退し、48時間ぶりにトリポリを占領した。 戦前の喧伝通り、オスマン軍の正規軍は数千名しか展開していなかった。加えて援軍を送るためのルートは海路しかなかったが、優勢なイタリア海軍を恐れてオスマン海軍は消極的な行動に終始した。従ってオスマン軍は新しい司令官や将校などを派遣する時ですら、欧州の中立国を通じて移動するという手段をとった。現地司令官はどうにか戦力を増加させるべく、異教徒への敵愾心を持つ現地兵を軍に加わらせた。 対するイタリア軍も10月10日に2万名の第一次遠征軍をトリポリタニア・キレナイカの主要拠点に揚陸させた。戦闘でトリポリ・トブルク・デルナ・ベンガジなど両地域の沿岸部を占領した。イタリア陸軍は先進的な装備で敵を圧倒したが、その中には空軍だけでなく装甲車も含められていた。世界初の航空攻撃も行われたが、まだ空軍はそれほど重要な存在になることはできなかった。
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