第一次遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 06:00 UTC 版)
「モスクワ・リトアニア戦争 (1368年-1372年)」の記事における「第一次遠征」の解説
1368年の秋にアルギルダスはリトアニアの大軍を引き連れてモスクワへ進軍した。アルギルダスは伝統的な遣り方に乗っ取って敵の極限地点を不意に突こうと試みた。即ちいつものように北西からではなく南西から攻撃したのである。これに対してドミートリーに出来たことと言えば僅かにモスクワ、コロムナ、ドミートロフの市民から構成されドミートリー・ミーニンとアキフ・シューヴァが指揮する民兵を派遣したことぐらいであった。この時にリトアニア軍はセミョーン・ドミートリーヴィチ・クラーピヴ率いるスタローブ公国の親兵を撃破している。 その後、アルギルダスはオボロスクを占領して同地でコンスタンティン・ユーリヴィチを討ち取っている。11月21日にトロスナ川でモスクワ民兵軍を壊滅させて全ての公、貴族、軍司令官を討ち取った。既にリトアニア軍がモスクワに差し迫ったことを受けてドミートリーは同都市に籠城した。この状態が3日間続きリトアニア軍はクレムリンを陥落させることは出来なかったがモスクワ周囲を荒らし回って多くの捕虜と家畜を得た。アルギルダスは、リヴォニア騎士団がリトアニアを攻撃したとの知らせを聞きモスクワへの包囲を解いた。リトアニア軍は先に自らが荒廃させた道を辿るように西に去った。リトアニア軍の主要な戦力が激減したところを見計らってドミートリーの従兄弟であるヴラディーミル勇敢公率いるモスクワ軍はスモレンスクとブリャンスクに報復の攻撃を行った。
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