第一次通貨交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 14:52 UTC 版)
1946年3月25日に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第7号「紙幣両替、外国貿易及び金銭取引」により、1946年4月15日からアメリカ軍が自らが発行するB型軍票、日本銀行券(新円)、新円と見なされる日本銀行券(旧円)の証紙貼付券の3種類を法定通貨とした。そのためこの時期の沖縄県や奄美群島においては、これらの通貨が混合して流通していた。 これにより、同年4月15日から4月28日までの期間に台湾銀行券・朝鮮銀行券ならびに5円以上の日本銀行券(旧円)は回収されて1人当たり一定金額を上限にB型軍票に交換のうえ、上限超過分は強制預金させたうえで預金封鎖された。実質的に、本土において同年2月16日に実施された新円切替と類似した対応が行われたこととなる。新円ではなくB型軍票に交換された理由は、新円の日本銀行券が本土地域でも供給不足状態であり、通貨交換での必要量を確保できなかったためとされる。日本円とB円の交換比率は1日本円 = 1B円とされた。 次いで、同年4月29日からは上記に加えて5円未満の日本銀行券(旧円)、補助貨幣(硬貨)の2種類も法定通貨に追加された。 これらの対応と共に賃金制度が復活し配給制度も有償化され、およそ1年振りに貨幣経済が再開した。
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