外国貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 09:30 UTC 版)
「ドイツ民主共和国の経済」の記事における「外国貿易」の解説
高度な産業立国であった東ドイツは、様々な商品、食料、原材料の輸入を必要としていた。東ドイツマルクは他国では通貨として交換可能ではなかった。海外から輸入するには、例えば交換可能通貨であるUSドルに対して何かを売ることで、貿易するか外貨を獲得するしかなかった。その際、貿易量の増加を達成した(単位10億ドイツマルク:実効価格)。 年次合計貿易売上高内社会主義国内発展途上国内資本主義国1950 3,678 2,660 0,014 1,004 1960 18,487 13,799 0,791 3,897 1970 39,597 28,340 1,601 5,346 1980 120,101 79,810 7,331 32,960 1988 177,337 122,549 5,889 48,898 東ドイツ国民経済の主要問題のひとつは、非社会主義国への輸出は、莫大な助成金を貰わなければならなかった。1980年と1988年のあいだ、原材料の海外市場での価格が高騰し、国内経済へ充分に投資できなかったため、輸出に必要な費用は倍増した。西ヨーロッパと東ドイツの生産性の格差はますます増えていった。さらに、ドイツマルクはその間にUSドルに対して極めて強く高騰した。 最も重要な貿易パートナーは、ソ連と西ドイツであった。比較的小さかった東ドイツは、ソ連との貿易に占める割合は11%であったのに対して、逆にソ連が東ドイツとの貿易に占める割合は40%であった。1950年に15億ドイツマルクであったソ連との貿易額は、1960年に79億ドイツマルクにまで増大し、1987年には710億ドイツマルクにまで到達した。第二次世界大戦直後には、まだ賠償(Reparationen)が重い負担になっていたが、その後すぐに貿易は通常通り行われるようになり、発展していった。貿易は、東ドイツの産業力と原材料の需要にかかっていた。例えばルール地方とかつてのオーバーシュレージエンからの石炭供給ルートは分断されており、技師のゲオルク・ビルケンロート(ドイツ語版)が発展させた褐炭の高温ガス化技術で補わなければならなかった。東ドイツは、国内の褐炭だけでなく、とくにソ連のドルジバパイプラインからの石油を必要としていた。ソ連の方では、産業設備・消費財・(軍事的)電子機器が必要であった。 東ドイツが経済相互援助会議に1950年に加盟したことで、加盟国での経済を分業化し、それぞれ専門化して、相互に協力し合い、不足分を補うことが試みられた。東ドイツ経済は、とくに、ソ連の工業化をなしとげる課題を持っていた。インフラ、農業機械、輸送設備、船舶、長距離列車、工作機械、クレーンなどが必要であった。それ以上に、核兵器製造を始めていたソ連に東ドイツは閃ウラン鉱をヴィスムート社(ドイツ語版)を通じて供給した。1983年に決定された軍事産業と武器輸出を著しく拡大させるというマイクロエレクトロニクス・イニシアチブは、ゴルバチョフ政権のもとでは適用されなかった。 東ドイツ貿易量の15%は、西ドイツとのいわゆる相互地域貿易(ドイツ語版)のなかで無関税のまま取引された。東ドイツはこの枠組を通じて、西側の技術をソ連に移し、間接的に西ヨーロッパのマーケットにもつながることができた。このような部分的に非合法な輸入には、兵器に関連する物資も含まれていたが、西側の禁輸規制をすり抜けた。貿易調整部(ドイツ語版)とシュタージは、この西ドイツからの輸入には、西ドイツへの輸出と同じぐらいに強い関心を持っていた。西ドイツとのビジネスは、東ドイツにとってかなりの輸出チャンスでもあった。こうして、東ドイツは、国内と社会主義国の商品を通商協定違反であったにも関わらず、西ドイツとECCに輸出することができた。その際、密輸、コピー品などのような違法な手段が用いられた。そのことでパラドックスな状況が生じた。一方ではドイツ社会主義統一党は、東ドイツが経済相互援助会議に属していること、計画経済システムの重要な意義と優越性とをプロパガンダしていたが、他方では密かに西側との貿易、特に利益の多い西ドイツとの貿易を進めていた。「経済とプロパガンダされたイデオロギーとのあいだの股割り状態」をごまかし、しかしにも関わらず、ソ連の方針からも身を守るために、東ドイツは西ドイツとの貿易の売上を低く申告していた。 1970年代に東ドイツは、ソ連の重油とそこからできる化学原料や燃料を西側に流す中継ぎ業で大きな利益を得ていた。貴重で消費者にとって高価だった輸入材は、コーヒーであった。1954年ソ連のコーヒー供給ルートが中止されると、東ドイツで初めてコーヒー不足が起こった。コーヒーは1970年代までには東ドイツ国民にとっては家計のなかで最も重要な位置を占めるものになっていた。西ドイツの人間との関係がある東ドイツ国民にとってコーヒーを手に入れる拠り所だったのは、長いあいだ西側から送られてくる小包「ヴェスト・パケート(ドイツ語版)」であった。劇的にコーヒー価格が高騰したため、代用コーヒー(Muckefuck)を美味しくブレンドしようとしたが失敗し、そのことは広範囲でいつにないほど強烈な国民の抵抗運動を呼んだ。党指導部は、再び海外市場でのコーヒー取引に乗り出したが、そのメンツは著しく失われた。
※この「外国貿易」の解説は、「ドイツ民主共和国の経済」の解説の一部です。
「外国貿易」を含む「ドイツ民主共和国の経済」の記事については、「ドイツ民主共和国の経済」の概要を参照ください。
「外国貿易」の例文・使い方・用例・文例
- 外国貿易
- 外国貿易の拡大
- 僕は将来、外国貿易をやりたい。
- 彼は外国貿易に従事している。
- 彼は外国貿易に従事して20年になる。
- 私は将来、外国貿易をやりたい。
- 私の父は長年、外国貿易に従事しています。
- 外国貿易に制限を加えるべきではない。
- その国の外国貿易はこの港に完全に依存している。
- アルバートは外国貿易をしていて、しばしば外国へ行く。
- その会社は外国貿易に携わっている.
- 外国貿易.
- 我が国の外国貿易は不況に陥った.
- 先月の外国貿易は 400 万ドルの輸入超過を見た.
- 本年の外国貿易は著しく増進した
- 外国貿易が盛んだ
- 外国貿易は順調に復した
外国貿易と同じ種類の言葉
「外国貿易」に関係したコラム
-
FX(外国為替証拠金取引)の口座を開設するには、FX業者の設けた基準をクリアしなければなりません。ここでは、一般的な基準をまとめています。なお、基準はFX業者によりまちまちのため、すべてのFX業者に該...
- 外国貿易のページへのリンク