角換わり腰掛け銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:49 UTC 版)
△持駒 角 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 王 桂 香 一 飛 金 金 二 桂 歩 銀 歩 三 歩 歩 歩 銀 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 銀 歩 歩 歩 六 歩 銀 歩 桂 七 金 金 飛 八 香 桂 玉 香 九 ▲持駒 角角換わり同型腰掛け銀。ここから▲4五歩と突くのが升田定跡 「角換わり」も参照 腰掛け銀は、主に序盤で双方の角行を交換する角換わり戦法の一戦型、角換わり腰掛け銀戦法で採用される。左翼は飛車先を守るために矢倉(▲7七銀 - ▲7八金)となるが、角の打ち込みを避けるために金は▲5八で待機、または▲4七金か▲4八金でバランスを取る。「角交換は5筋を突くな」の格言通り▲5七歩型に腰掛け銀を採用することが多く、角換わりの本手ともいえる。先手腰掛け銀に後手早繰り銀は相性が悪く、後手棒銀または相腰掛け銀が採用され、後者が本流である。一方で先手棒銀に後手腰掛け銀は作戦負けになることもある。先手早繰り銀には、相早繰り銀もあるが、後手は腰掛銀で対抗することが多い。 形は矢倉に似ているものの、角が持ち駒となっているために陣形が制限されるのが大きな違いで、玉形があまり堅くならないため、攻めの反動がよりきつい。 角換わり腰掛け銀の代表的な定跡として木村定跡が挙げられる。昭和30年代に生まれた木村定跡は、図から▲8八玉△2二玉の交換を入れてから先手が攻め込む変化に結論を与えたもので、完成された定跡とも言われ、先手勝利まで研究が終わっている。また先手のみが▲8八玉とした場合、後手には木村定跡の逆バージョンが存在し、後手優勢が確立している。そのため、先手は▲8八玉と入城できず、▲7九玉型から仕掛ける升田定跡が研究された。その後、角換わりは千日手に向かう変化が多く一時停滞したが、飛車先の歩を保留して右四間飛車にする打開策が昭和60年代に発見され、後手にも左銀を4二で待機させるなどの対策もあり、▲4七金型から端を攻める手順なども研究された。 その後、升田流がまた主流となり、先手の有力戦法となっていたが、後に富岡英作が考案した富岡流によって先手勝ち(最終局面は後手玉必至、先手玉即詰み無し)が結論付けられた。そのため、後手は同型となることを避けるために7三桂を保留して2五歩を取られる前に3三銀と上がる手、8八にいる角を後手から交換する後手番一手損角換わりが出現。これに対してあくまでも腰掛け銀を目指す戦法、他にも一手得を活かして棒銀・早繰り銀とする戦法もある。 ただし、いずれの変化でも富岡流に合流してしまうと先手必勝なので、後手は警戒しなければならない。
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