戦法の歴史とは? わかりやすく解説

戦法の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 16:54 UTC 版)

横歩取り8五飛」の記事における「戦法の歴史」の解説

プロ対局では、中座真1997年8月26日C級2組順位戦(対松本佳介戦)で採用したのが最初である。そのため、彼の名字と5段目に置かれ飛車位置をかけて「中座飛車」とも呼ばれている。中座本人対局相手警戒され用い機会少なかったが、同じくC級2組順位戦で同じ部屋対局していた野月浩貴が、その1局をたまたま見て戦法の優秀性に気づきその後対局多用した。 そして翌年井上慶太A級順位戦最終戦1998年3月2日対島朗戦)でこの戦法用いて勝利して5勝4敗でA級残留果たし米長邦雄が4勝5敗ながらもA級陥落という劇的なドラマ生まれるなどして注目集めたそのようなこともあり、この戦法は「生みの親中座育ての親野月世間広めたのが井上」とも言われている。なお、この戦法創始者として中座真第26回1998年度升田幸三賞受賞した。 『将棋世界2007年9月号の「現役棋士が選ぶ衝撃新手・新戦法ベスト10!」で、藤井システム次いで2位ランクインした。 △ 歩二 ▲ 歩二図2 松尾新手の手前 ▲3五桂まで △ 歩 ▲ 角歩二図3 新山崎流対郷田新手△2三歩 興味深いのは、野月飯塚祐紀戦った1998年度早指し新鋭戦(かつてテレビ東京放送されていた棋戦)での一局である。野月対局前のインタビュー秘策考えてきたと語った。その「秘策」とは、初手▲1六歩と突いて先手番で無理矢理中座飛車にするというものであった実際その形が実現して野月勝利しその後も勝ち進んで優勝した)。 また、この戦法恩恵受けたのが丸山忠久である。1999年度A級順位戦では、後手番の4局全てでこの戦法用いて1位の成績となり、佐藤康光名人への挑戦を得る。そして迎えた2000年名人戦でも、やはり丸山後手番の3局はすべてこの戦型選択した。この戦法での勝敗は、順位戦で3勝1敗、名人戦で1勝2敗という微妙な結果ではあったが、丸山名人になれたのはこの戦法のおかげ、とする向きさえある。ただし、当時丸山は、逆に先手番を持って相手にこの戦法を指させても強かったという。なお、丸山1999年度将棋大賞最多勝利賞(50勝)、連勝賞(18連勝)などを受賞している。 この戦法多く棋士によって研究され様々な新手生まれた後手の手としては、序盤飛車を角筋上の5五へ動かしてしまう「8五飛松尾流」、先手対応策としては、連続の歩捨て飛車動き封じ込める山崎新手、▲8七歩と打たないことによって△8五飛と引かせない「(旧)山崎流」、居玉のままでより攻撃性の高い陣を組む「新山崎流」などが特に有名である。 後手飛車を5五に回す松尾新手1999年11月王座戦予選最初に指されたが、もとは橋本崇載松尾との10将棋冗談指した手である。その10年後の2009年復活遂げる。『イメージ読み将棋観2』(2010年日本将棋連盟)によると松尾新手最初に指されてから2010年まで後手成績6570敗であるという。同書によると図2では後手には△5五歩の他に△7五歩もあり、一時期は△5四歩も指されたという。△5五飛は以下▲4五歩△5四飛▲3三角成△同▲6六歩などで、後手は△7五歩として▲8三角に△4五桂▲同△4六角などや、再度△5五歩などがあげられており、一方で△7五歩からの進行一例として▲3三角成△同▲3五歩△2五歩▲1六飛△8四歩▲3四歩△同飛▲5六角△5四飛▲3四歩に△2八角の他にじっと△7六歩、などの手順がある。以前から指しているという羽生善治佐藤康光によるとこの戦形は下手をすると詰みまで行くような将棋で、この戦形を研究していてこの先15手から20手先で何かを用意していないと指せいとしている。また谷川浩司によると、先手よりも後手選択権があるので、戦法として新たな展開見込めるという。また図3の新山崎流に対する△2三歩2006年9月行われた王将戦リーグ初め指されて、『イメージ読み将棋観』によると第1号局から2010年3月まで17指され後手10勝7敗となっており、当初新手指した郷田真隆がその一局敗北したので注目されなかったが、その後先手がこの局面避けるようになる。現在では定跡形となるこの順は渡辺明羽生善治によると居玉であることや6四歩型が想像以上に傷になるため、あまり先手をもって指す気がしないという他、佐藤康光一直線で終わることが好きでなく、後手勝率が高いイメージがあり、以前先手をもってさして第1号局を勝利した森内俊之最初ありがたいと思ったが、考えると難しいことが分かったという。図3以降は▲6八玉とし、以下△5五角に▲3七△4四もしくは△3五歩▲同飛△同角という戦いを選ぶか、▲8四△7一銀▲8三角などの攻めの手順が示されているが、以下は△6二▲7二成△8五飛▲6二成桂△8三飛▲7一成や△6七同金△8五飛など、先手難しく谷川浩司によると先手リード消えている気がするという。また藤井猛先手の玉は狭くて後手の玉の方が固いこの状況下で攻めているということは先手良くならないとおかしいとしている。 横歩取り8五飛は、上記丸山の例以外でもタイトル戦大舞台でもたびたび現れる戦法となった劇的な一手勝負がほぼ決してしまうこともあり、2004年名人戦森内俊之羽生善治から名人位を奪取)における▲7四歩、2004年竜王戦渡辺明森内俊之から竜王位奪取)における△3七歩などはその例であろう。 だが、近年前述のように一手勝負決まったり、事前研究力で勝負決まったりする傾向があり、あまり指されなくなっている。後手番一手損角換わりゴキゲン中飛車などが登場したことも一因である。 オールラウンダータイプの棋士には採用されることが少なくなったものの、高橋道雄王将リーグ参加A級昇級)や考案者中座真竜王戦2期連続昇級王位リーグ参加)などの棋士積極的に採用して深浦康市渡辺明といったタイトルホルダー勝利するなど好成績収め少数限られたスペシャリスト達の戦法として指し続けられている。 2008年度は、初め後手番の勝率先手番を上回るという、後手番の戦法多様性反映した画期的な年度であった。△8五飛戦法改良一因であった考えられており、「後手番では△8五飛」と公言していた高橋がA級に昇級したこともさらにこの戦法の優秀性を再認識させる契機となった2009年タイトル戦羽生が△8五飛戦法を連採して、先手新たな対応策迫られる状況となり、戦法新しステージで進化進み始めている。羽生三浦弘行挑んだ2010年名人戦では、4局中3局が横歩取りになり、うち2局で△8五飛と引く形になった第一局では羽生が、第二局は三浦が△8五飛側を持ったが、どちらも羽生が勝ち、8五飛戦法という視点から見れば1勝1敗という結果であった。 なお、松尾歩その後中原囲いの玉を本来の定位置である4一ではなく5二に置く指し方採用し2013年度第41回将棋大賞にて升田幸三賞受賞している。

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戦法の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:39 UTC 版)

角換わり」の記事における「戦法の歴史」の解説

角換わり中でも半世紀上の研究続けられているのが、先後同型角換わり腰掛け銀である。この戦法研究を軸として、他の戦法角換わり棒銀角換わり早繰り銀歴史推移していった。 したがって以下、角換わり腰掛け銀歴史中心に述べる。

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戦法の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:05 UTC 版)

横歩取り」の記事における「戦法の歴史」の解説

横歩取り戦法の歴史は古く江戸時代棋譜でも確認されている。大橋柳雪著した平手相懸定跡奥義』が横歩取りについて記した最古書物であると考えられている。しかし、明治 - 昭和初期にかけては、先手が△3四歩を取るのは悪手と見なされていた。それを示すのが「横歩三年の患い」という格言である。すなわち、たとえ横歩をとって1歩を手にするという実利があっても、陣形整えるのが遅れるため、先手指しにくくなるという考え方支配的だった。 だが、昭和5年ごろから、その考え方変わっていく。木村義雄通説挑み横歩取り2三歩戦法で、横歩を取る形で高い勝率挙げてから は、先手は横歩を取るのが一般的になった。 また、相がかり戦法においては、5五の位が非常に重視されており、相手中央位どりに対抗するために横歩をとる戦法がとられ、横歩とられ側が中飛車速攻をする横歩取り超急戦流行したが(1947年昭和22年)の第6期名人戦第七局の塚田正夫木村義雄から名人奪取した一局が有名)、やがて下火となった昭和後期となると後手側の指し方進歩していく。内藤國雄横歩取り後手番(主に横歩取り△3三角戦法)を積極的に採用し、その華麗な駒さばきから内藤空中戦法称された。米長邦雄中原誠谷川浩司といったトップ棋士横歩取り戦法好んで採用した一方で横歩取り好まない棋士もおり、1990年王将戦では挑戦者米長普段横歩取り採用しないタイトル保持者の南芳一意識して「横歩の取れない男に負けわけにはいかない」と新聞紙上でコメントその後対局で南が横歩取り応じてきた。 横歩取り戦法として格段進歩遂げたのは1980年代末頃からである。羽生善治森内俊之佐藤康光といった、現在の将棋界支えいわゆる羽生世代トップ棋士らの出現に伴い序盤中盤研究飛躍的に進歩したその結果横歩取りいくつかの形では、横歩をとっても先手指せるという結論定まっていった。 1997年中座真によって初め披露され横歩取り△8五飛戦法によって、横歩取り戦法新たな局面突入した後手五段目飛車を置くという発想は、従来あらゆる戦法になかったため、プロ棋士たちが少年期から積み重ねてきた将棋感覚では太刀打ちできず、一時後手勝率が7割近くを誇るという異例事態起こった。この戦法研究重ねた丸山忠久は、1999 - 2000年A級順位戦後手全局で△8五飛戦法採用して名人挑戦獲得し名人戦でも後手番の全戦で同戦法用いて名人についた(ただし△8五飛戦法戦績自体は1勝2敗、先手角換わりが3勝1敗での名人奪取)。 21世紀に入って青野照市による5八玉型青野流)、佐々木勇気による6八玉型勇気流)など新たな戦法生み出され研究進んでいる。

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