角振隼明神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 15:13 UTC 版)
経緯は不明ながら、東三条殿の西北隅には、春日社と関わりの深い角振明神・隼明神の2社が勧請され、鎮守となっていた。兼家が東三条殿を新造した永延元年(987年)10月、一条天皇の行幸を受けて従四位下に加階され、道長の改築後の寛弘3年(1006年)3月にも一条天皇の里内裏となったことにより正二位に加階された。その後、久安6年(1150年)、近衛天皇の元服の里内裏となった際にも加階を受けた。 『栄花物語』には「三条院の隅の神の祟り」が東三条院詮子の病を悪化させたと語られ、『中外抄』には東三条殿にで真言法を受けていた時に天狗法師が数人現われたため、忠実が「角明神」を呼んで追い払ったことが語られ、後に夢の中の出来事として『春日権現験記』第4巻に絵画化されている。『中外抄』には他にも角振明神を篤く信仰し、その板敷を寝殿の板敷より高くしていたこと等が語られている。また、『今昔物語集』巻19には、この社の神が顕現し、いつも拝んでいた僧に報恩する話が収められている。
※この「角振隼明神」の解説は、「東三条殿」の解説の一部です。
「角振隼明神」を含む「東三条殿」の記事については、「東三条殿」の概要を参照ください。
- 角振隼明神のページへのリンク