うえき‐ひとし〔うゑき‐〕【植木等】
植木等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 10:27 UTC 版)
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年〈昭和2年〉2月25日[注釈 1] - 2007年〈平成19年〉3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。仲間内での愛称は「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。
注釈
- ^ 実際の生年月日は1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日。詳細は植木等#来歴を参照。
- ^ 植木は周囲には2月25日を誕生日としていた。小松政夫著『昭和と師弟愛』P.49など
- ^ 身ぶり・手ぶりをまじえてする話。また、それを取り入れた落語。植木は勝手に設定を作って話を膨らますのが得意で、これは小松やその後輩であるタモリのトーク芸にも反映している。
- ^ 小松や中尾ミエの証言。
- ^ 小松政夫著『昭和と師弟愛』P49-53。
- ^ ドラマ『植木等とのぼせもん』製作発表時に伊東が植木の思い出として語ったもの。
- ^ 小松政夫著『昭和と師弟愛』P140。
- ^ 歌手としての著名な作品としては1971年の特撮ヒーロー作品『ミラーマン』(円谷プロ / フジテレビ)の主題歌がある。
- ^ 1990年に小堺一機と関根勤のラジオ番組『コサキン増刊号』に植木がゲスト出演した際の発言。小松政夫著「昭和と師弟愛」P.168-170にも同様の記載あり。
- ^ なお、脚本の田波靖男によると、この「平均(たいらひとし)」にはモデルがおり、東宝の社員でもないのに会議に参加して発言する変な男で、後にハイジャックをして逮捕されたという[9]。
- ^ NHK-BSハイビジョン特集『スーダラ伝説 植木等 夢を食べ続けた男』における植木の証言より。
- ^ NHK・ラジオビタミン「ときめきインタビュー」での小松の発言。
- ^ 小松政夫著「昭和と師弟愛」P.214など
- ^ 『ホンダラ行進曲』では、クレージーキャッツのメンバーもコーラス参加。
- ^ 『スーダラ節』『無責任一代男』『ドント節』『だまって俺について来い』『ハイそれまでョ』のメドレー。
- ^ 小松政夫著『昭和と師弟愛』P106-108。
- ^ 2017年には小松の著作である『のぼせもんやけん』を原作とする『植木等とのぼせもん』がテレビドラマ化された。
出典
- ^ 『植木等ショー! クレージーTV大全』p.185
- ^ 戸井十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』p.19
- ^ 『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』 戸井十月 小学館
- ^ 『徹子の部屋』1994年1月7日放送分より
- ^ a b “植木等さん死去、肺気腫10年延命拒む”. asahi.com. (2007年3月28日). オリジナルの2014年2月24日時点におけるアーカイブ。 2014年2月24日閲覧。
- ^ “植木等さん幻の主演映画「本日ただいま誕生」35年ぶりにスクリーンに復活! : 映画ニュース”. 映画.com. 2021年1月18日閲覧。
- ^ “株式会社 渡辺プロダクション:グループ会社一覧:渡辺プロダクショングループ”. www.watanabe-group.com. 2021年1月18日閲覧。
- ^ 植木等『夢を食いつづけた男—おやじ徹誠一代記』朝日文庫、1987年(北畠清泰との共著、新版2008年)。初刊は朝日新聞社、1984年/ちくま文庫、2017年。ISBN 4480434992
- ^ a b c d 小林信彦『喜劇人に花束を』新潮文庫
- ^ “植木裕子さん、父・等さんDNAドイツバレエ界で開花”. ZAKZAK. (2007年3月29日). オリジナルの2014年2月24日時点におけるアーカイブ。 2014年2月24日閲覧。
- ^ 柴田浩一. “第7回「戦後のその後:モカンボ・セッション」”. YOKOHAMA JAZZ PROMENADE. 公益財団法人 横浜市芸術文化振興財団. 2019年8月8日閲覧。
- ^ 毎日新聞のインタビュー記事(1977年6月)〜産経新聞2007年5月2日『植木等伝説(4)』より
- ^ 植木等さんとお別れする会(2011年1月4日時点のアーカイブ) - 東洋大学ニュース 2007年6月11日発信
- ^ 植木等 - オリコンTV出演情報
- ^ 『東京ガス 暮らしとデザインの40年 1955→1994』1996年2月1日発行、株式会社アーバン・コミュニケーションズ。 128頁~131頁
- ^ 植木等 - オリコンCM出演情報
- ^ 「ザ 宴会ソング」『読売新聞』1983年12月13日付夕刊、11面。
- ^ “植木等「スーダラ伝説」 | ドリーミュージック”. dreamusic.co.jp. 2021年12月19日閲覧。
- ^ “植木等「スーダラ外伝」 | ドリーミュージック”. dreamusic.co.jp. 2021年12月19日閲覧。
- ^ “植木等「植木等的音楽」 | ドリーミュージック”. dreamusic.co.jp. 2021年12月19日閲覧。
- ^ 桑田佳祐『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』P11 - 12、新潮社、1984年。
- ^ 『ワンダ アフターショット』新TVCM 桑田 佳祐 氏 夢の共演 第2弾 「桑田+植木」篇 9月25日(火) 放映開始!アサヒ飲料 2007年9月21日配信 2020年10月17日閲覧
- ^ 青島幸男『わかっちゃいるけど…シャボン玉の頃』文春文庫
- ^ 小林信彦『日本の喜劇人』新潮文庫
植木等
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「ハナ肇とクレージーキャッツ」の記事における「植木等」の解説
詳細は本人の項目を参照 植木等(1926年12月25日(戸籍上は1927年2月25日) - 2007年3月27日、ボーカル、ギター) 三重県多気郡宮川村大字栗谷(現:多気郡大台町)、浄土真宗・常念寺住職の三男として生まれる。本名同じ。1950年東洋大学文学部卒業。いくつかのバンドを経て、1957年3月に渡辺晋とハナ肇によってシティ・スリッカーズからクレージーキャッツに引き抜かれた。1962年に公開された映画『ニッポン無責任時代』以降は、「無責任男」が植木のキャッチフレーズとなり、以降数多くの映画に主演する。ボーカルとして数々のコミックソングがヒットし、テレビでも「お呼びでない?」など、後世に残るギャグで爆発的な人気を得る。1970年代以降は俳優としての活動の場が多くなったが、演技に対する評価は高く、多くの賞を獲得している。1990年には自身のヒット曲メドレー「スーダラ伝説」で人気が再燃し、23年ぶりに第41回NHK紅白歌合戦にも出場(この年の歌手別最高視聴率を獲得)した。翌年の1991年には、自身初となる全国ソロコンサートツアーも行っている。晩年は前立腺癌、肺気腫と闘病しながら活動を継続していたが、2007年3月27日、肺気腫による呼吸不全で死去。80歳没
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「植木 等」の例文・使い方・用例・文例
- 植木屋さんが庭仕事をしに来る
- 植木鉢に土をいっぱいに入れなさい
- 私が留守の間うちの植木を見てもらえませんか
- 毎日植木に水をやりなさい
- 今まで植木鉢に植えていた花を庭に移植した。
- 「どうしたの?」「あのね、植木の枝の剪定をして欲しかったのよ」
- 隣人から休暇で留守の間植木の世話をしてくれるように頼まれました。
- 母は植木の世話をよくする人だ。
- 彼女は植木鉢に新しい土を入れた。
- 植木鉢が歩道に落ちてガチャンと割れた。
- 植木屋さんに木を何本か植えてもらった。
- 私は植木が好きだ。
- 私の留守中、植木の世話をしてくれる?
- 植木が水を欲しがっている.
- 臨時雇いの植木屋.
- この植木は水不足で枯れかかっている.
- 霜にあってもこの植木は枯れない.
- 植木屋はこれを葉ものと言う
- 庭に植木を植える
- 植木に水をやる
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