クレージーの殴り込み清水港
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『クレージーの殴り込み清水港』(クレージーのなぐりこみしみずみなと)は、1970年に制作されたクレージーキャッツ主演作品。前作『クレージーの無責任清水港』の続編であり(東宝クレージー映画では唯一の続編[1])、「時代劇シリーズ」最終作である。本作が制作・公開された時期、世間的には大阪万博が開催を目前に控えていたこともあり、未来志向のムード一色であったが、ミュージシャン時代の古巣である国際劇場で催された浪曲のイベントを観覧に訪れた際、満員御礼の大盛況であったことにヒントを得た当時の渡辺プロ社長・渡辺晋の“鶴の一声”により、時代の逆を行くかのような本作の制作は決定したという[2]。本作はまた、クレージーのメンバー7人が顔を揃えた最後の東宝クレージー映画でもある[3]。同時上映は、松林宗恵監督の『社長学ABC』(森繁久彌主演の“社長シリーズ”の1本)。
- ^ 『ニッポン無責任時代』と『ニッポン無責任野郎』にも部分的な関連性はあるが、ストーリー上のつながりは無い。
- ^ 田波靖男・著『映画が夢を語れたとき』(1997年・広美出版事業部、ISBN 4877470077)P.179
- ^ 翌1971年4月29日にも、メンバー勢揃いの『だまされて貰います』が公開されているが、同年1月にクレージーから独立した石橋エータローは出演しなかった。東宝映画以外では1988年の『会社物語』に7人が揃っているが、石橋のみは短い別撮りで、バンクフィルム使用と誤記されることも多い[要出典]。
- ^ 布施は当時クレージーと同じ渡辺プロに在籍し、『シャボン玉ホリデー』などで数多く共演してきた後輩の歌手だが、本作には布施の歌唱シーンは無い。なお、坪島監督によれば「彼は走るシーンで、よく転んでましたね」とのこと(『クレージーの無責任清水港』DVD音声特典・坪島監督のオーディオコメンタリーより)。
- ^ a b c 「今度は内藤洋子がムスメやくざ」『週刊文春』1969年11月17日号、文藝春秋、20頁。
- ^ 『クレージーの無責任清水港』DVD音声特典・坪島監督のオーディオコメンタリーより。
- 1 クレージーの殴り込み清水港とは
- 2 クレージーの殴り込み清水港の概要
- 3 キャスト
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