なべおさみとは? わかりやすく解説

なべおさみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 01:52 UTC 版)

なべ おさみ
本名 渡辺 修三
ニックネーム なべちゃん
生年月日 (1939-05-02) 1939年5月2日(86歳)
出身地 日本東京府東京市大森区(現:東京都大田区
身長 161cm
言語 日本語
最終学歴 明治大学文学部演劇学専攻
師匠 ハナ肇
芸風 コント
事務所 オフィスコットン
活動時期 1960年代 -
過去の代表番組 シャボン玉ホリデー
ルックルックこんにちは
他の活動 司会者
放送作家
著作家
声優
配偶者 笹るみ子(2016年死別)
親族 長男(なべやかん
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なべ おさみ
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年2月12日 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 1,850人
総再生回数 161,122回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年9月5日時点。
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なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年昭和14年〉5月2日 - )は、日本コメディアン俳優タレントラジオパーソナリティ司会者放送作家著作家声優。2024年末まで吉本興業所属。

東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。

妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん

経歴

  • 5兄弟(姉と兄が1人、妹が2人)。工場経営者の子として大森で生まれ、4歳から10歳まで茨城県東茨城郡鯉淵村(現在の笠間市水戸市)に疎開[1]。実家は伯父が創業した石綿パイプ製造の会社で、千坪を超す大森の本社のほか、新潟などにも工場を持っていた[2]
  • 大田区立大森第八中学校を卒業。
  • 渋谷での不良時代に、伝説のヤクザ花形敬から、「不良は不向きだから大学へ行け」と自身の母校を勧められ1958年明治大学文学部演劇学専攻に入学。父親が小堀甚二平林たい子元夫婦と古くから付き合いがあったことから、作家として成功していた平林に借金を申し込んで独立[3]。大学で石津謙介の三男・啓介と知り合い、石津家と親しくなる[4]
  • 在学中から三木鶏郎門下としてラジオ台本を書いた。このとき指導してくれたのが無名時代の野坂昭如だった[5]。本来コメディアン志望で、勝新太郎水原弘の付き人となり、水原の渡辺プロダクション入りを機に同時に渡辺プロに入る。芸名の由来は、なべが本名の渡辺を名乗って勝新太郎に電話をした際に、勝に渡辺プロの社長だと勘違いをさせてしまったため、勝から「お前は渡辺じゃねえ、ただのなべだ」と叱られたことからである。その後水原は渡辺プロを退社するが、なべはそのまま残ってハナ肇の付き人となる。付き人時代からなべは自分の名刺を持っており、テレビ局の関係者らに配っていたという[6]。大学在学中の学費は渡辺プロダクションが負担した。1962年に「<お笑い三人組>における大衆の笑い」という卒論で、大学を卒業。
  • 付き人時代から、ラジオのディスクジョッキー構成作家ジャズ喫茶の司会などをこなしていたが、1964年日本テレビバラエティ番組シャボン玉ホリデー』でお茶の間の圧倒的な人気を獲得し、一躍スターダムにのし上がった。『シャボン玉ホリデー』での代表コントである「キントト映画」は、なべ扮する架空の映画会社・キントト映画社の映画監督安田伸扮する助監督との掛け合いで、なべがメガホンで安田に「ヤスダーッ!」と怒鳴り散らすというもので、同番組の定番ネタとなった。大先輩の安田を相手に遠慮のない演技で、この空威張り演技の面白さはなべの武器の一つとなっていく。1968年松竹映画『温泉ゲリラ 大笑撃』で主演に抜擢、続けて山田洋次監督の『吹けば飛ぶよな男だが』でも主役に起用され、サトウサンペイ漫画を実写映画化した『夕日くん』シリーズでは平凡なサラリーマンを演じるなど、映画俳優としても地位を確立した。しかし、その後学生時代からの恩師である渡辺晋と対立してしまい、渡辺プロダクションを退社して森繁久彌の付き人を務めた後に、1979年9月から日本テレビのワイドショールックルックこんにちは』で「ドキュメント女ののど自慢」の司会を担当。番組随一の人気コーナーに成長させた。
  • 息子はたけし軍団に入団しなべやかんとして芸能活動をスタートさせた。なべが息子をビートたけしに預けた一つの理由として、なべがマスコミに散々袋叩きにされてしまい芸能界の殆どの"友人"が揃えて「なべ」と呼び捨てでマスコミのインタビューなどでコメントしてたのに対し、ビートたけしだけは「なべさんは…」と以前と変わらずに「さん」付けで呼び続けてくれていたことに大変感激したからだという。その他にも舟木一夫が何度も食事に誘ったりとなべに対して気を遣っていた。この騒動中の1992年3月、立川談志が結成した「シャークハンター必殺隊」になべは副隊長として参加したが、発案者かつ「隊長」の談志は航海に同行せず、なべも松山入りした直後に早々と帰京した[7]。またこの話題は各局のワイドショー番組にも取り上げられ、談志やなべらの軽率で無責任な行動に関して否定的に報じていた。
  • 謹慎期間終了後、最初の仕事が『笑っていいとも!』の看板コーナー・テレフォンショッキングのゲスト出演(1992年8月12日)。この際、1年ぶりにテレビの仕事が来た事へ感謝の意を込めて、同番組ホスト役のタモリに自身がはめている腕時計を外して番組放送中にプレゼントした[出典無効]
  • 1994年12月、銀座のソミドホールで本格的に芸能活動再開。応援に駆けつけた長年の友人である尾崎将司尾崎健夫尾崎直道の尾崎三兄弟の前で、発売し損ねた『母恋酒』を涙ながらに熱唱した。
  • その後、一時期は吉本興業に所属し、ルミネtheよしもとの新喜劇などに出演していた。2010年2月1日、オスカープロモーションに所属して、お笑い部門の司会者をするなどした。2019年5月1日から再び吉本興業と契約したことを、8月26日に出演した復帰初仕事の情報番組『ちちんぷいぷい』で発表した[8]
  • 2025年1月よりオフィスコットンに所属。

人物

  • 世田谷区の一戸建て豪邸に居住しており、「芸能人御宅訪問」でテレビ放送された時には、たけし軍団入りと同時に自宅を離れたなべやかんも出演。その時、なべやかん所有の旧車トヨタ・スポーツ800が映っていた。
  • 各界に広い人脈を持っているとされ、溝口敦のノンフィクション『食肉の帝王』では、ハンナングループの元会長浅田満の側近と描かれている。

その他

出演

映画

Vシネマ

ラジオ

テレビドラマ

劇場アニメ

テレビアニメ

バラエティ番組など

CM

舞台

ディスコグラフィ

著書

共著

関連書籍

  • 『ドキュメント女ののど自慢〈part 1〉―私の人生、唄わせて!!』(1985年3月、日本テレビ放送網
  • 『ドキュメント女ののど自慢〈part 2〉―私の人生、唄わせて!!』(1985年4月、日本テレビ放送網)

関連項目

家族
芸能関係者
所属事務所

脚注

注釈

  1. ^ タウンページなどの広告欄にて[要文献特定詳細情報]。誌上での肩書きは「キャッシングコメンデーター」。
  2. ^ この回は息子のなべやかんが監督・脚本を手掛けている。

出典

  1. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p10
  2. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p15
  3. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p49
  4. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p52
  5. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p60
  6. ^ 小林信彦『日本の喜劇人』P182
  7. ^ 『日刊スポーツ』1992年3月22日号即売版社会面20頁「ジョーズ狩り」なべ敵前逃亡 「何しに来たんや」あきれる漁民 急用というけれど… マジメな必殺隊は交代で2週間」(日刊スポーツ新聞社)
  8. ^ なべおさみ、5月から吉本興業に所属 生番組で発表”. 日刊スポーツ (2019年8月26日). 2019年8月27日閲覧。
  9. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
  10. ^ “北大路欣也主演「さすらい署長」第16弾、A.B.C-Z戸塚祥太がITコンサル会社社長に”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年4月6日). https://natalie.mu/eiga/news/519642 2023年4月6日閲覧。 
  11. ^ キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション作品ラインナップ. 長靴をはいた猫 80日間世界一周. 東映アニメーション. 2024年5月30日閲覧。
  12. ^ 松本幸大・今江大地らの「ラフテイル・オブ・アラジン」ビジュアル解禁、声の出演に速水奨”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年10月23日). 2023年10月24日閲覧。
  13. ^ 松本幸大がギャル組長にこき使われるフリージャーナリストに「仁義なきギャル組長」”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年2月1日). 2024年3月17日閲覧。

参考文献

外部リンク


なべおさみ(NHK第三期)(1981年 - 1985年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:31 UTC 版)

ピーナッツ (漫画)」の記事における「なべおさみ(NHK第三期)(1981年 - 1985年)」の解説

第一期谷啓らによって一度公開されたにもかかわらず第二期になべおさみらによって新たに収録しなおされ作品も何点かある。 また、第二期声優の他に日本語訳にもその特徴がある。通常ペパーミントパティチャーリー・ブラウンチャックマーシーチャールズと呼ぶが、この第二期吹き替えではチャーリーもしくはチャーリー・ブラウンと呼ぶようになっているまた、シュローダーという名前がシュレーダーとされている。 この他にも第二期吹き替えでは、原作そのままだと日本語的に不自然になってしまう箇所秀逸意訳している。放送時間短く谷啓版とは異なり本編中の一部カットされていたり、エンディング部分カットされることなども多かった。そのため、赤毛の女の子登場回の、チャーリー・ブラウン最後に浮かれまくる場面長いセリフは、最初最後強引に繋ぎ合わせていたため、非常に不自然である。 声優 チャーリー・ブラウン(声: なべおさみ) サリー・ブラウン(声: 斉藤友子ルーシー・ヴァンペルト(声: 一条みゆ希ライナス・ヴァンペルト(声: 塩屋翼シュレーダーシュローダー)(声: 島田敏) ペパミントパティ(声: 神保共子マーシー(声: 鵜飼るみ子木藤聡子フランクリン(声: 西川幾雄ピッグペン(声: 緒方賢一バイオレット(声: 榊原良子パティ(声: 吉田恵美子) シャーミー(声: 幹本雄之フリーダ(声: 富山峰子ロレッタ(声: 小川菜摘

※この「なべおさみ(NHK第三期)(1981年 - 1985年)」の解説は、「ピーナッツ (漫画)」の解説の一部です。
「なべおさみ(NHK第三期)(1981年 - 1985年)」を含む「ピーナッツ (漫画)」の記事については、「ピーナッツ (漫画)」の概要を参照ください。

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