横綱土俵入りとは?

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横綱土俵入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 16:25 UTC 版)

横綱土俵入り(よこづなどひょういり)は大相撲の最高位である横綱本場所幕内取組前や巡業先などで行う土俵入りである。片屋入り(かたやいり)とも呼ばれる[1]




  1. ^ 彦山光三は横綱土俵入りを「手数入り」(でずいり)と称しており、読売新聞社の相撲雑誌『大相撲』では「手数入り」の表記で統一されていた。
  2. ^ 2013年9月場所の白鵬の横綱土俵入りについて、3回目の四股を踏む前の左脚を上げる際に、右腕を上げる動作を省略していたと、相撲ファンからクレームが付いたことがある。これについて白鵬は「(自らが尊敬する大横綱である)双葉山の土俵入りに倣い、5年前から所作を変えた」と発言、最終的には黙認する形となった。
    白鵬の土俵入りに異論、「所作省略」との指摘 読売新聞 2013年10月5日
  3. ^ 朝日新聞 2014年5月10日「土俵入り 所作の謎」
  4. ^ 本来は大関でも良いが、本場所で大関が務めた事例は大鵬の太刀持ちを大麒麟將能が務めたくらいで、あまり見られない。ただし、新横綱として明治神宮で土俵入りを奉納する際、同部屋の大関が務めることがある(例:1978年5月の2代若乃花で太刀持ち貴乃花健士、1983年7月の隆の里で太刀持ち若島津六男、1994年11月の貴乃花で露払い貴ノ浪・太刀持ち若乃花勝)。
  5. ^ 男女ノ川(佐渡ヶ嶽部屋)が旭川幸之丞立浪部屋)を、双葉山(立浪部屋→双葉山道場)が露払い東富士と太刀持ち前田山(両者とも高砂部屋)を、北の富士(九重部屋)が高鐵山孝之進朝日山部屋)を、千代の富士(九重部屋)が高望山大造熊ヶ谷部屋)を、北勝海(九重部屋)が旭道山和泰大島部屋)を、曙(東関部屋)が魁皇博之友綱部屋)を、朝青龍(高砂部屋)が安馬公平安治川部屋)を、白鵬(宮城野部屋)が翔天狼大士藤島部屋)、豊ノ島大樹時津風部屋)、臥牙丸勝木瀬部屋)、里山浩作尾上部屋)、時天空慶晃時津風部屋)、玉鷲一朗片男波部屋)、大栄翔勇人追手風部屋)、千代翔馬富士雄九重部屋)を、日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が時天空(先述)、大翔丸翔伍追手風部屋)、貴ノ岩義司貴乃花部屋)を、鶴竜(井筒部屋)が照ノ富士春雄伊勢ヶ濱部屋)をそれぞれ起用したケースがある。
  6. ^ この件について第61代横綱・北勝海信芳(取材当時、八角広報部長)は「大銀杏でなければ駄目というルールはないが、見栄えの問題」と語っている(日刊スポーツ 2014年1月25日付紙面より。当時まだ髷が結えなかった遠藤聖大の活躍を受け、同じ一門である白鵬の土俵入りで露払い・太刀持ちを務めないのかという問いに対して)。
  7. ^ 白鵬、新化粧まわし披露 徳島市で奉納土俵入り 徳島新聞 2013年6月16日
  8. ^ この原則は昭和以降では画一化しているが、3代西ノ海嘉治郎以前には右側に太刀持ち、左側に露払いが位置するパターンが見られた。加藤健治によれば、その頃は東方の花道から露払い→横綱→太刀持ちの順で入場すると、露払いはそのまま正面側まで進むので、自然に左側が露払いになったという。現在では、東方からの入場では土俵近くまで来ると、露払いと横綱が向正面側に逸れて太刀持ちが正面側に進むようになり、東西を問わず左側に太刀持ち、右側に露払いが並ぶ原則が貫かれている。
  9. ^ 2014年5月場所の例。この日は東正横綱・白鵬と東2番目の横綱・鶴竜の対戦が結び前に組まれた。
  10. ^ a b c d e 『大相撲ジャーナル』2017年6月号59頁
  11. ^ a b なお、2014年に成立した貴乃花一門は横綱昇進者がおらず、土俵入りの型についてはっきり決まらないまま2018年に消滅した。
  12. ^ 入門時の師匠である隆の里は不知火型、その師匠である初代若乃花は雲龍型で、隆の里と稀勢の里はそれぞれ師匠と異なる型を選択することとなった。
  13. ^ 平成19年五月場所 支度部屋より その2[リンク切れ] 大相撲コラム集 - 大相撲ホームページ:下家義久筆
  14. ^ 横綱は東京場所毎に綱打ちを行って新調するので以降の不知火型土俵入りに支障は生じない。
  15. ^ 白鵬 双葉山生誕地で雲竜型初披露「これが最後」 - スポーツニッポン・2011年12月5日閲覧
  16. ^ 公の場での雲龍型土俵入りは、2010年10月3日に朝青龍が引退相撲で披露して以来、1年2か月ぶりのことだった。
  17. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号56-57頁
  18. ^ このせり上がるという動作は、土俵入りの際に2回踏む四股の間でいったん腰を上げて体を引き立てる、この漠然とした動作が原形とする説がある。
    横綱(二十七)せり上がりの起源 相撲評論家之頁
  19. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号57頁
  20. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年6月号58頁
  21. ^ 1911年5月5日、日本新聞
  22. ^ 一方で伝記『太刀山』(1917年、p52)には、引退相撲における横綱土俵入りについて、「太刀山は鬼面山の式に拠れる土俵入を為し」と記述されている。
  23. ^ これに加えて、1911年5月5日の時事新報にも「最も土俵入りが巧いと評判の不知火光右衛門の型を取った」と報じられている。
  24. ^ 羽黒山の横綱昇進が決まった1941年5月場所の直前、4月3日に太刀山が亡くなっており、雲龍型と証言する本人がいなくなったことも「不知火型としての」定着の要因と思われる。
  25. ^ 不知火諾右衛門のみならず、雲龍にも両手を広げての土俵入り姿が描かれた錦絵が現存する。この両者とも、「立ってから両手を広げる」型と記録される不知火光右衛門と違って、せり上がりの詳細を示す証言などがないので、錦絵の場面がせり上がりとは必ずしも断定できない。
  26. ^ 『古今横綱大事典』(1986年読売新聞社)における小坂秀二、『横綱歴代69人』(2011年ベースボール・マガジン社)における小池謙一の指摘など。
  27. ^ 相撲1981年2月号の「しつぎおうとう」における池田雅雄の解答による。
  28. ^ 雲竜型は「攻防兼備の型」/横綱土俵入りメモ 日刊スポーツ 2017年1月27日
  29. ^ 毎年4月に開催されている『靖国神社奉納大相撲』にて行われている。
  30. ^ 過去には1998年の長野オリンピック開会式に於いて、曙太郎が横綱土俵入りを行った例や、1995年の硫黄島戦没者追悼式に於ける貴乃花光司と曙太郎の日米出身両横綱による土俵入りが行われた例が存在する。
  31. ^ 2003年5月場所時点で武蔵丸光洋(実際は前場所を休場)・朝青龍明徳と現役横綱が2人いたにも拘らず、露払い・太刀持ちのいずれも同部屋から貴ノ浪貞博安芸乃島勝巳(直前に引退したため年寄・藤島)が選ばれている。
  32. ^ 直前の1992年1月場所中に引退。
  33. ^ 直前の2003年5月場所中に引退。この場所の地位が西前頭15枚目。


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