4横綱とは? わかりやすく解説

4横綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 06:21 UTC 版)

4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。

概要

大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに16例発生している。以下、各事例ごとの、場所別成績を記す。

一覧

場所 四股名と成績(太字は優勝又は優勝相当成績) 備考
参考 18代大砲 19代常陸山 20代梅ヶ谷(2代) 21代若島 大阪横綱の若島を交えての4横綱。当初は若島は吉田司家未承認。
この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。
1904年1月場所 全休 7勝1敗2休
[注釈 1]
7勝1敗1預1休
[注釈 1]
6勝1敗3休 常陸山と2代目梅ヶ谷が新横綱(東京相撲で3横綱になったのもこの時が初)。
常陸山は2日目からの出場。
常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。
1904年5月場所 全休 全休
[注釈 1]
6勝1敗1分
[注釈 1]
7勝1敗1分1休
1905年1月場所 3勝1敗1預5休 2勝8休
[注釈 1]
8勝1敗1休
[注釈 1]
全休
1905年5月場所 2勝1敗6分1休 5勝1分1預3休 5勝5休 8勝1分1休 若島吉田司家の追認を得る。
常陸山と梅ヶ谷は相手力士休場による1休がある。
1906年1月場所 1勝8分1休 9戦全勝1休 7勝1敗1分1休 全休
1906年5月場所 全休 8勝2休 7勝1分2休 - 常陸山と梅ヶ谷は直接対戦で休場。
1906年6月場所 - - - 全休
1907年1月場所 1勝1敗2分5休 全休 1勝9休 全休(引退) 大阪相撲でも初めて明確に横綱の地位が現れる。
若島が引退。
参考 19代常陸山 20代梅ヶ谷(2代) 22代太刀山 23代大木戸 大阪横綱の大木戸を交えての4横綱。当初は大木戸は吉田司家未承認。
この時代、東京大阪とも千秋楽には幕内力士は休場が通例。
1911年6月場所 全休 全休 10戦全勝 - 太刀山が新横綱。
1911年9月場所 - - - 6勝2敗2休
1912年1月場所 5勝1敗4分 7勝3敗 8勝1敗1分 - 大阪相撲は1月場所を開催せず。
1912年5月場所 全休 1勝1敗3分5休 10戦全勝 7勝1敗1分1休
1913年1月場所 6勝1敗3分 4勝1敗5分 全休 5勝3敗1休 大木戸吉田司家の追認を得る。
1913年5月場所 2勝1預7休 1敗1分8休 10戦全勝 全休
1914年1月場所 1勝2敗7休 2勝2分6休 10戦全勝 全休(引退) 大木戸が引退。
第1次 22代太刀山 24代 25代西ノ海(2代) 26代大錦
1917年5月場所 全休 3勝2敗5休 2勝1敗7休 9勝1敗 大錦が新横綱。
1918年1月場所 全休(引退) 7勝3敗 全休 8勝1敗1休 太刀山が引退。
第2次 24代 25代西ノ海 26代大錦卯一郎 27代栃木山 1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。
1918年5月場所 0勝1敗9休 全休(引退) 全休 9勝1敗 栃木山が新横綱。
東方に大錦、栃木山、西ノ海の3横綱、西方に鳳ひとりの現在の観点ではやや奇異な番付となっている。
逆に大関は東方に九州山ひとり、西方に千葉ヶ崎伊勢ノ浜朝潮3人で、大関以上東西4人ずつとバランスを取っている。
西ノ海が引退。
参考 24代鳳 26代大錦卯一郎 27代栃木山 28代大錦大五郎 大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。
1919年1月場所 3勝1敗1預5休 8勝2敗 9勝1休 1勝1敗8休
1919年5月場所 3勝6敗 8勝2敗 10戦全勝 6勝2敗2分
1920年1月場所 3勝4敗3休 8勝1敗1分 8勝2敗 1勝1敗8休
1920年5月場所 全休(引退) 9勝1敗 8勝1分1預 - 大坂相撲はこの年は6月場所を開催。
鳳が引退。
参考 27代栃木山 29代宮城山 30代西ノ海(3代) 31代常ノ花 大坂横綱宮城山を交えての4横綱時代。
なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。
1924年5月場所 10勝1敗 全休 5勝2敗1預4休 5勝2敗2分1預 常ノ花が新横綱。
1925年1月場所 10勝1分 4勝2敗1分3休 9勝2敗 0勝2敗9休
1925年5月場所 全休(引退) - 9勝2敗 3勝1敗1分5休 この年大阪相撲は6月場所を開催。
栃木山が引退。
第3次 32代玉錦 33代武蔵山 34代男女ノ川 35代双葉山
1938年1月場所 10勝3敗 5勝4敗4休 7勝6敗
[注釈 1]
13戦全勝 双葉山が新横綱。
1938年5月場所 10勝3敗 7勝6敗 6勝7敗(負越) 13戦全勝 4横綱総当たりが実現。
場所後、玉錦が死去。
第4次 35代双葉山 36代羽黒山 37代安芸ノ海 38代照国
1943年1月場所 15戦全勝 13勝2敗 12勝3敗
[注釈 1]
14勝1敗 安芸ノ海と照国が新横綱。
安芸ノ海は千秋楽のみ休場、双葉山に不戦敗。
4横綱合計の成績が史上最高。
1943年5月場所 15戦全勝 14勝1敗 11勝4敗 12勝3敗
[注釈 1]
1944年1月場所 11勝4敗 12勝3敗 全休 11勝4敗
[注釈 1]
1944年5月場所 9勝1敗 10戦全勝 5勝5敗 6勝4敗
[注釈 1]
1944年11月場所 4勝3敗3休 7勝3敗 全休 4勝2敗4休
1945年6月場所 1勝6休 5勝2敗 6勝1敗 5勝2敗
1945年11月場所 全休(引退) 10戦全勝 4勝6敗(負越) 9勝1敗 双葉山が引退。
第5次 36代羽黒山 38代照国 39代前田山 40代東富士
1949年1月場所 全休 全休 5勝3敗5休 10勝2敗1分 東富士が新横綱。
1949年5月場所 11勝4敗 12勝3敗 9勝6敗 8勝7敗 4横綱全員皆勤。
1949年11月場所 12勝3敗 8勝2敗5休 1勝6敗(引退) 10勝5敗 前田山が引退。
第6次 36代羽黒山 38代照国 40代東富士 41代千代の山
1951年9月場所 10勝5敗 11勝4敗 13勝1敗1預 9勝6敗 千代の山が新横綱。
4横綱総当たり。
1952年1月場所 15戦全勝 10勝5敗 7勝4敗4休 13勝2敗 照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗。
東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場。
4横綱総当たり。
1952年5月場所 7勝3敗5休 全休 13勝2敗 10勝5敗 羽黒山は7日目から休場、13日目から再出場。
1952年9月場所 4勝3敗8休 6勝6敗3休 7勝7敗1休 11勝4敗
1953年1月場所 9勝6敗 0勝3敗(引退) 2勝5敗8休 4勝4敗7休 千代の山は3日目から休場、11日目から再出場。
照国が引退。
入れ違いに鏡里が横綱昇進。
第7次 36代羽黒山 40代東富士 41代千代の山 42代鏡里
1953年3月場所 全休 12勝3敗 1勝5敗9休 10勝5敗 鏡里が新横綱。
1953年5月場所 0勝3敗12休 11勝4敗 全休 12勝3敗
1953年9月場所 全休(引退) 14勝1敗 11勝4敗 9勝6敗 羽黒山が引退。
第8次 40代東富士 41代千代の山 42代鏡里 43代吉葉山
1954年3月場所 5勝3敗7休 10勝5敗 10勝5敗 全休 吉葉山が新横綱。
1954年5月場所 全休 12勝3敗 11勝4敗 0勝1敗14休
1954年9月場所 4勝4敗(引退) 14勝1敗 11勝4敗 9勝6敗 東富士が引退。
入れ違いに栃錦が横綱昇進。
第9次 41代千代の山 42代鏡里 43代吉葉山 44代栃錦
1955年1月場所 12勝3敗 10勝5敗 5勝2敗8休 10勝5敗 栃錦が新横綱。
西方に大関不在、西第2位の吉葉山は張出ではなく枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(東方第2位の鏡里は張出)。
なお、前場所の成績も踏まえると、東正横綱千代の山、西正横綱栃錦、西2枚目横綱吉葉山、東張出横綱鏡里、という序列だったことになる。
1955年3月場所 13勝2敗 4勝5敗6休 3勝2敗10休 12勝3敗 西方に大関不在、西第2位の鏡里は枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(吉葉山は東張出)。
前場所同様、成績上位だった鏡里が西2枚目横綱に、吉葉山が東張出に配されている。
1955年5月場所 8勝7敗 11勝4敗 0勝2敗13休 14勝1敗
1955年9月場所 10勝4敗1分 14勝1敗 9勝6敗 4勝3敗8休 西方に大関不在、東西に張出横綱がおかれ、西正横綱鏡里も横綱大関とはされなかった。
1956年1月場所 4勝1敗10休 14勝1敗 9勝6敗 9勝6敗
1956年3月場所 8勝7敗 8勝7敗 11勝4敗 9勝6敗 4横綱全員皆勤。
1956年5月場所 11勝4敗 9勝6敗 8勝7敗 5勝5敗5休
1956年9月場所 全休 14勝1敗 12勝3敗 11勝4敗
1957年1月場所 15戦全勝 3勝5敗7休 10勝5敗 11勝4敗
1957年3月場所 10勝5敗 11勝4敗 3勝3敗9休 11勝4敗
1957年5月場所 全休 10勝5敗 5勝6敗4休 12勝3敗
1957年9月場所 5勝8敗2休 8勝7敗 9勝6敗 13勝2敗
1957年11月場所 全休 全休 11勝4敗 12勝3敗
1958年1月場所 12勝3敗 9勝6敗(引退) 3勝6敗(引退) 11勝4敗 鏡里、吉葉山が引退。
第10次 45代若乃花(初代) 46代朝潮 47代柏戸 48代大鵬
1961年11月場所 11勝4敗 2勝5敗8休 12勝3敗 13勝2敗 柏戸、大鵬が新横綱。
張出はつくらず4横綱全員枠内に書き出された。
またこの場所は3大関4関脇4小結がいたが、横綱以外はすべて張出がつくられた。
1962年1月場所 11勝4敗 引退 10勝5敗 13勝2敗 4横綱全員枠内。
朝潮が場所前に引退。
第11次 47代柏戸 48代大鵬 49代栃ノ海 50代佐田の山
1965年3月場所 全休 14勝1敗 8勝7敗 12勝3敗 佐田の山が新横綱。
1965年5月場所 9勝6敗 9勝6敗 8勝7敗 14勝1敗 4横綱総当たり(ただし大鵬は千秋楽休場、佐田の山に不戦勝)。
1965年7月場所 12勝3敗 13勝2敗 7勝4敗3休 12勝3敗
1965年9月場所 12勝3敗 11勝4敗 10勝5敗 12勝3敗
(優勝同点)
4横綱総当たり。
1965年11月場所 1勝1敗13休 13勝2敗 10勝5敗 11勝4敗
1966年1月場所 14勝1敗 全休 全休 5勝6敗4休
1966年3月場所 10勝5敗 13勝2敗 10勝5敗 5勝5敗5休
1966年5月場所 12勝3敗 14勝1敗 1勝3敗11休 全休
1966年7月場所 12勝3敗
[注釈 1]
14勝1敗 全休 11勝4敗
1966年9月場所 13勝2敗
(優勝同点)
13勝2敗 全休 12勝3敗
1966年11月場所 10勝5敗 15戦全勝 2勝5敗(引退) 10勝5敗 栃ノ海が引退。
第12次 54代輪島 55代北の湖 56代若乃花(2代) 57代三重ノ海
1979年9月場所 10勝5敗 13勝2敗 11勝4敗 11勝4敗 三重ノ海が新横綱。
4横綱総当たり。
1979年11月場所 10勝5敗 10勝5敗 12勝3敗 14勝1敗
[注釈 1]
4横綱総当たり。
1980年1月場所 0勝3敗12休 12勝3敗 11勝4敗
[注釈 1]
15戦全勝
1980年3月場所 11勝4敗 13勝2敗 12勝3敗 1勝4敗10休
1980年5月場所 11勝4敗 14勝1敗 12勝3敗 10勝5敗 4横綱総当たり。
1980年7月場所 1勝4敗10休 15戦全勝 10勝5敗 4勝6敗5休
1980年9月場所 11勝4敗 11勝4敗 14勝1敗 全休
1980年11月場所 14勝1敗 12勝3敗 13勝2敗 0勝3敗(引退) 三重ノ海が引退。
第13次 58代千代の富士 60代双羽黒 61代北勝海 62代大乃国
1987年11月場所 15戦全勝 13勝2敗 13勝2敗 8勝7敗 大乃国が新横綱。
1988年1月場所 12勝3敗 廃業 11勝4敗 5勝5敗5休 双羽黒が場所前に廃業。
第14次 58代千代の富士 61代北勝海 62代大乃国 63代旭富士
1990年9月場所 全休 14勝1敗 全休 13勝2敗 旭富士が新横綱。
1990年11月場所 13勝2敗 9勝6敗 10勝5敗 12勝3敗
1991年1月場所 2勝1敗12休 12勝3敗 10勝5敗 11勝4敗
1991年3月場所 全休 13勝2敗 12勝3敗 11勝4敗
1991年5月場所 1勝3敗(引退) 全休 全休 14勝1敗 千代の富士が引退。
第15次 64代 65代貴乃花 66代若乃花(3代) 67代武蔵丸 以降、張出制度廃止により、全員枠内に書き出される。
1999年7月場所 13勝2敗
(優勝同点)
9勝6敗 全休 12勝3敗 武蔵丸が新横綱。
1999年9月場所 2勝2敗11休 0勝3敗12休 7勝8敗 12勝3敗
1999年11月場所 全休 11勝4敗 全休 12勝3敗
2000年1月場所 11勝4敗 12勝3敗 全休 2勝2敗11休
2000年3月場所 12勝3敗 11勝4敗 2勝4敗(引退) 11勝4敗 若乃花が引退。
第16次 69代白鵬 70代日馬富士 71代鶴竜 72代稀勢の里
2017年3月場所 2勝3敗10休 10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗 稀勢の里が新横綱。
2017年5月場所 15戦全勝 11勝4敗 1勝4敗10休 6勝5敗4休
2017年7月場所 14勝1敗 11勝4敗 2勝2敗11休 2勝4敗9休
2017年9月場所 全休 11勝4敗 全休 全休
2017年11月場所 14勝1敗 0勝3敗12休(引退) 全休 4勝6敗5休 日馬富士が引退。

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 番付上は横綱大関

出典

関連項目

外部リンク


4横綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:23 UTC 版)

横綱」の記事における「4横綱」の解説

番付上に最も多く横綱出揃ったのは4人までで、現在まで16通りの例がある。 例開始場所横綱太字新規昇進者)最終所場所数終了理由1 1917年大正6年5月場所 大錦卯一郎2代西ノ海嘉治郎鳳谷五郎太刀山峯右エ門 1918年大正7年1月場所 2 太刀山引退 2 1918年大正7年5月場所 栃木山守也大錦卯一郎2代西ノ海嘉治郎鳳谷五郎 1918年大正7年5月場所 1 西ノ海引退 3 1938年昭和13年1月場所 双葉山定次男女ノ川登三武藏山武玉錦三右エ門 1938年昭和13年5月場所 2 玉錦5月場所後に死亡 4 1943年昭和18年1月場所 照國萬藏安藝ノ海節男羽黒山政司双葉山定次 1945年昭和20年11月場所 7 双葉山引退 5 1949年昭和24年1月場所 東富士欽壹前田山英五郎照國萬藏羽黒山正司 1949年昭和24年11月場所 3 前田山引退 6 1951年昭和26年9月場所 千代の山雅信東富士欽壹照國萬藏羽黒山正司 1953年昭和28年1月場所 5 照國引退 7 1953年昭和28年3月場所 鏡里喜代治千代の山雅信東富士欽壹羽黒山正司 1953年昭和28年9月場所 3 羽黒山引退 8 1954年昭和29年3月場所 吉葉山潤之輔鏡里喜代治千代の山雅信東富士欽壹 1954年昭和29年9月場所 3 東富士引退 9 1955年昭和30年1月場所 栃錦清隆吉葉山潤之輔鏡里喜代治千代の山雅信 1958年昭和33年1月場所 14 吉葉山鏡里同時引退 10 1961年昭和36年11月場所 大鵬幸喜柏戸剛3代朝潮太郎初代若乃花幹士 1962年昭和37年1月場所相撲番付上) 1(2) 朝潮1月場所前に引退 11 1965年昭和40年3月場所 佐田の山晋松栃ノ海晃嘉大鵬幸喜柏戸剛 1966年昭和41年11月場所 11 栃ノ海引退 12 1979年昭和54年9月場所 三重ノ海剛司2代若乃花幹士北の湖敏満輪島大士 1980年昭和55年11月場所 8 三重ノ海引退 13 1987年昭和62年11月場所 大乃国康北勝海信芳双羽黒光司千代の富士貢 1988年昭和63年1月場所相撲番付上) 1(2) 双羽黒1月場所前に廃業 14 1990年平成2年9月場所 旭富士正也大乃国康北勝海信芳千代の富士貢 1991年平成3年5月場所 5 千代の富士引退 15 1999年平成11年7月場所 武蔵丸光洋若乃花勝貴乃花光司曙太郎 2000年平成12年3月場所 5 若乃花引退 16 2017年平成29年3月場所 稀勢の里寛鶴竜力三郎日馬富士公平白鵬翔 2017年平成29年11月場所 5 日富士引退 最初の4横綱は、1917年5月場所太刀山2代西ノ海大錦によって実現した。翌1918年5月には太刀山引退入れ替わり栃木山誕生し、同場所で西ノ海引退するまで連続3場所4横綱時代続いた東西制のため総当たり不可能だった。 4横綱総当りは、春秋園事件余波一門系統別総当たり制実施されていた1938年5月場所玉錦武藏山男女ノ川双葉山によって初め実現した(この顔ぶれ自体前場所の1月場所からだが、この時は武蔵山途中休場)。結果は、双葉山3戦全勝武藏山2勝、男女ノ川1勝、玉錦3戦全敗だった。この場所は武藏山男女ノ川は6勝6敗どうしの千秋楽対決という悲惨な結果となっている(武藏山が勝ち、男女ノ川負け越し)。 同じ顔触れで最も長く続いた4横綱時代千代の山鏡里喜代治吉葉山錦による14場所。1955年1月場所錦が昇進してから、1958年1月場所後に鏡里吉葉山同時に引退するまで続いた。4横綱の皆勤1956年昭和31年3月場所の1場所きりとなったものの、8場所で4横綱のいずれか優勝吉葉山優勝がないのを除き、他の3横綱複数回の優勝)を果たしている。千代の山錦は同門のため対戦しなかった。 4横綱の合計勝ち星最多は、1943年1月場所54勝(6敗)。双葉山15全勝羽黒山13勝2敗、安藝ノ海12勝3敗(双葉山への不戦敗あり)、照國14勝1敗で、横綱同士以外で喫した黒星2つけだった。この4人は翌5月場所でも52勝8敗で、4横綱皆勤場所に限ればこれが最高成績となる。逆に4横綱皆勤しての最少勝ち星1956年3月場所千代の山8勝、鏡里8勝、吉葉山11勝、錦9勝で36勝(24敗)。 1961年11月場所柏戸大鵬2人同時昇進となり、初代若乃花3代朝潮17場所ぶり4横綱となったが、翌場所の直前朝潮引退を表明したため、この4横綱は実質上1場所のみ(番付上では翌1962年1月場所あわせて合計2場所)だった。若乃花大鵬同門のため対戦なし。 現行の年6場所制定後で最も長かった4横綱時代柏戸大鵬栃ノ海佐田の山による11場所で、1965年3月場所から1966年11月場所までである。実質の4横綱皆勤1965年9月場所一度きりであったが(1965年5月場所では大鵬千秋楽のみ休場佐田の山不戦敗全盛期大鵬中心に11場所すべて4横綱のいずれか優勝している。 4横綱皆勤の最も多かったのは、輪島北の湖2代若乃花幹士三重ノ海で、1979年9月場所から1980年11月場所までの8場所中3場所となっている。4横綱総当り3回最多昭和末期1987年11月場所では千代の富士双羽黒北勝海大乃国の4横綱が全て皆勤となったが、11月場所後に双羽黒廃業となったため、この4横綱は1場所のみ(番付上では翌1988年1月場所合わせて合計2場所)となってしまった。千代の富士北勝海は同部屋のため対戦なし。 平成時代の1例目は千代の富士北勝海大乃国旭富士4横綱時代が、1990年9月場所から1991年5月場所までの5場所連続であるが、全員皆勤となったのは1990年11月場所の1場所のみだった。このときも千代の富士北勝海は同部屋のため対戦なし。その後1991年5月場所の千代の富士引退皮切りに大乃国旭富士北勝海が僅か1年の間に相次いで引退してしまい、横綱空位となった平成時代2例目の4横綱だった曙、貴乃花若乃花(勝)、武蔵丸1999年7月場所から2000年3月場所まで5場所続いたが、2000年平成12年3月場所若乃花引退となるまで、4横綱全員皆勤する場所も、4人全員そろって勝った日も一度も無いままに終わってしまった(4横綱が揃って出場1999年9月場所初日・2日目、及び2000年3月場所初日5日目の計7日間のみ)。2016年千代の富士逝去によって、4人全員健在最古の4横綱となった2017年1月場所で優勝した稀勢の里横綱昇進し同年3月場所稀勢の里白鵬鶴竜日馬富士による4横綱となった(17年ぶりに平成時代3例目)。4横綱となった時点4人目横綱昇進した時点)で外国籍を持つ横綱含まれるのはこのケースが初である(平成時代2例目の曙と武蔵丸外国出身だが、4横綱の時点では両方ともすでに日本帰化していた)。同年11月場所後に日馬富士不祥事引退したため、5場所で終了本場所総当たりする4横綱としては36年ぶりだったが、4横綱全員皆勤した場所はないまま終わった。4人全員そろって勝ったのは3月場所2日目5月場所3日目の2回しかなかった。

※この「4横綱」の解説は、「横綱」の解説の一部です。
「4横綱」を含む「横綱」の記事については、「横綱」の概要を参照ください。

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