4横綱
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4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。
概要
大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに16例発生している。以下、各事例ごとの、場所別成績を記す。
一覧
場所 | 四股名と成績(太字は優勝又は優勝相当成績) | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|
参考 | 18代大砲 | 19代常陸山 | 20代梅ヶ谷(2代) | 21代若島 | 大阪横綱の若島を交えての4横綱。当初は若島は吉田司家未承認。 この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。 |
1904年1月場所 | 全休 | 7勝1敗2休 [注釈 1] |
7勝1敗1預1休 [注釈 1] |
6勝1敗3休 | 常陸山と2代目梅ヶ谷が新横綱(東京相撲で3横綱になったのもこの時が初)。 常陸山は2日目からの出場。 常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。 |
1904年5月場所 | 全休 | 全休 [注釈 1] |
6勝1敗1分 [注釈 1] |
7勝1敗1分1休 | |
1905年1月場所 | 3勝1敗1預5休 | 2勝8休 [注釈 1] |
8勝1敗1休 [注釈 1] |
全休 | |
1905年5月場所 | 2勝1敗6分1休 | 5勝1分1預3休 | 5勝5休 | 8勝1分1休 | 若島吉田司家の追認を得る。 常陸山と梅ヶ谷は相手力士休場による1休がある。 |
1906年1月場所 | 1勝8分1休 | 9戦全勝1休 | 7勝1敗1分1休 | 全休 | |
1906年5月場所 | 全休 | 8勝2休 | 7勝1分2休 | - | 常陸山と梅ヶ谷は直接対戦で休場。 |
1906年6月場所 | - | - | - | 全休 | |
1907年1月場所 | 1勝1敗2分5休 | 全休 | 1勝9休 | 全休(引退) | 大阪相撲でも初めて明確に横綱の地位が現れる。 若島が引退。 |
参考 | 19代常陸山 | 20代梅ヶ谷(2代) | 22代太刀山 | 23代大木戸 | 大阪横綱の大木戸を交えての4横綱。当初は大木戸は吉田司家未承認。 この時代、東京大阪とも千秋楽には幕内力士は休場が通例。 |
1911年6月場所 | 全休 | 全休 | 10戦全勝 | - | 太刀山が新横綱。 |
1911年9月場所 | - | - | - | 6勝2敗2休 | |
1912年1月場所 | 5勝1敗4分 | 7勝3敗 | 8勝1敗1分 | - | 大阪相撲は1月場所を開催せず。 |
1912年5月場所 | 全休 | 1勝1敗3分5休 | 10戦全勝 | 7勝1敗1分1休 | |
1913年1月場所 | 6勝1敗3分 | 4勝1敗5分 | 全休 | 5勝3敗1休 | 大木戸吉田司家の追認を得る。 |
1913年5月場所 | 2勝1預7休 | 1敗1分8休 | 10戦全勝 | 全休 | |
1914年1月場所 | 1勝2敗7休 | 2勝2分6休 | 10戦全勝 | 全休(引退) | 大木戸が引退。 |
第1次 | 22代太刀山 | 24代鳳 | 25代西ノ海(2代) | 26代大錦 | |
1917年5月場所 | 全休 | 3勝2敗5休 | 2勝1敗7休 | 9勝1敗 | 大錦が新横綱。 |
1918年1月場所 | 全休(引退) | 7勝3敗 | 全休 | 8勝1敗1休 | 太刀山が引退。 |
第2次 | 24代鳳 | 25代西ノ海 | 26代大錦卯一郎 | 27代栃木山 | 1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。 |
1918年5月場所 | 0勝1敗9休 | 全休(引退) | 全休 | 9勝1敗 | 栃木山が新横綱。 東方に大錦、栃木山、西ノ海の3横綱、西方に鳳ひとりの現在の観点ではやや奇異な番付となっている。 逆に大関は東方に九州山ひとり、西方に千葉ヶ崎、伊勢ノ浜、朝潮3人で、大関以上東西4人ずつとバランスを取っている。 西ノ海が引退。 |
参考 | 24代鳳 | 26代大錦卯一郎 | 27代栃木山 | 28代大錦大五郎 | 大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。 |
1919年1月場所 | 3勝1敗1預5休 | 8勝2敗 | 9勝1休 | 1勝1敗8休 | |
1919年5月場所 | 3勝6敗 | 8勝2敗 | 10戦全勝 | 6勝2敗2分 | |
1920年1月場所 | 3勝4敗3休 | 8勝1敗1分 | 8勝2敗 | 1勝1敗8休 | |
1920年5月場所 | 全休(引退) | 9勝1敗 | 8勝1分1預 | - | 大坂相撲はこの年は6月場所を開催。 鳳が引退。 |
参考 | 27代栃木山 | 29代宮城山 | 30代西ノ海(3代) | 31代常ノ花 | 大坂横綱宮城山を交えての4横綱時代。 なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。 |
1924年5月場所 | 10勝1敗 | 全休 | 5勝2敗1預4休 | 5勝2敗2分1預 | 常ノ花が新横綱。 |
1925年1月場所 | 10勝1分 | 4勝2敗1分3休 | 9勝2敗 | 0勝2敗9休 | |
1925年5月場所 | 全休(引退) | - | 9勝2敗 | 3勝1敗1分5休 | この年大阪相撲は6月場所を開催。 栃木山が引退。 |
第3次 | 32代玉錦 | 33代武蔵山 | 34代男女ノ川 | 35代双葉山 | |
1938年1月場所 | 10勝3敗 | 5勝4敗4休 | 7勝6敗 [注釈 1] |
13戦全勝 | 双葉山が新横綱。 |
1938年5月場所 | 10勝3敗 | 7勝6敗 | 6勝7敗(負越) | 13戦全勝 | 4横綱総当たりが実現。 場所後、玉錦が死去。 |
第4次 | 35代双葉山 | 36代羽黒山 | 37代安芸ノ海 | 38代照国 | |
1943年1月場所 | 15戦全勝 | 13勝2敗 | 12勝3敗 [注釈 1] |
14勝1敗 | 安芸ノ海と照国が新横綱。 安芸ノ海は千秋楽のみ休場、双葉山に不戦敗。 4横綱合計の成績が史上最高。 |
1943年5月場所 | 15戦全勝 | 14勝1敗 | 11勝4敗 | 12勝3敗 [注釈 1] |
|
1944年1月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 全休 | 11勝4敗 [注釈 1] |
|
1944年5月場所 | 9勝1敗 | 10戦全勝 | 5勝5敗 | 6勝4敗 [注釈 1] |
|
1944年11月場所 | 4勝3敗3休 | 7勝3敗 | 全休 | 4勝2敗4休 | |
1945年6月場所 | 1勝6休 | 5勝2敗 | 6勝1敗 | 5勝2敗 | |
1945年11月場所 | 全休(引退) | 10戦全勝 | 4勝6敗(負越) | 9勝1敗 | 双葉山が引退。 |
第5次 | 36代羽黒山 | 38代照国 | 39代前田山 | 40代東富士 | |
1949年1月場所 | 全休 | 全休 | 5勝3敗5休 | 10勝2敗1分 | 東富士が新横綱。 |
1949年5月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 4横綱全員皆勤。 |
1949年11月場所 | 12勝3敗 | 8勝2敗5休 | 1勝6敗(引退) | 10勝5敗 | 前田山が引退。 |
第6次 | 36代羽黒山 | 38代照国 | 40代東富士 | 41代千代の山 | |
1951年9月場所 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | 13勝1敗1預 | 9勝6敗 | 千代の山が新横綱。 4横綱総当たり。 |
1952年1月場所 | 15戦全勝 | 10勝5敗 | 7勝4敗4休 | 13勝2敗 | 照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗。 東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場。 4横綱総当たり。 |
1952年5月場所 | 7勝3敗5休 | 全休 | 13勝2敗 | 10勝5敗 | 羽黒山は7日目から休場、13日目から再出場。 |
1952年9月場所 | 4勝3敗8休 | 6勝6敗3休 | 7勝7敗1休 | 11勝4敗 | |
1953年1月場所 | 9勝6敗 | 0勝3敗(引退) | 2勝5敗8休 | 4勝4敗7休 | 千代の山は3日目から休場、11日目から再出場。 照国が引退。 入れ違いに鏡里が横綱昇進。 |
第7次 | 36代羽黒山 | 40代東富士 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | |
1953年3月場所 | 全休 | 12勝3敗 | 1勝5敗9休 | 10勝5敗 | 鏡里が新横綱。 |
1953年5月場所 | 0勝3敗12休 | 11勝4敗 | 全休 | 12勝3敗 | |
1953年9月場所 | 全休(引退) | 14勝1敗 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 羽黒山が引退。 |
第8次 | 40代東富士 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | 43代吉葉山 | |
1954年3月場所 | 5勝3敗7休 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 全休 | 吉葉山が新横綱。 |
1954年5月場所 | 全休 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 0勝1敗14休 | |
1954年9月場所 | 4勝4敗(引退) | 14勝1敗 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 東富士が引退。 入れ違いに栃錦が横綱昇進。 |
第9次 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | 43代吉葉山 | 44代栃錦 | |
1955年1月場所 | 12勝3敗 | 10勝5敗 | 5勝2敗8休 | 10勝5敗 | 栃錦が新横綱。 西方に大関不在、西第2位の吉葉山は張出ではなく枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(東方第2位の鏡里は張出)。 なお、前場所の成績も踏まえると、東正横綱千代の山、西正横綱栃錦、西2枚目横綱吉葉山、東張出横綱鏡里、という序列だったことになる。 |
1955年3月場所 | 13勝2敗 | 4勝5敗6休 | 3勝2敗10休 | 12勝3敗 | 西方に大関不在、西第2位の鏡里は枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(吉葉山は東張出)。 前場所同様、成績上位だった鏡里が西2枚目横綱に、吉葉山が東張出に配されている。 |
1955年5月場所 | 8勝7敗 | 11勝4敗 | 0勝2敗13休 | 14勝1敗 | |
1955年9月場所 | 10勝4敗1分 | 14勝1敗 | 9勝6敗 | 4勝3敗8休 | 西方に大関不在、東西に張出横綱がおかれ、西正横綱鏡里も横綱大関とはされなかった。 |
1956年1月場所 | 4勝1敗10休 | 14勝1敗 | 9勝6敗 | 9勝6敗 | |
1956年3月場所 | 8勝7敗 | 8勝7敗 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 4横綱全員皆勤。 |
1956年5月場所 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 5勝5敗5休 | |
1956年9月場所 | 全休 | 14勝1敗 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | |
1957年1月場所 | 15戦全勝 | 3勝5敗7休 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1957年3月場所 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | 3勝3敗9休 | 11勝4敗 | |
1957年5月場所 | 全休 | 10勝5敗 | 5勝6敗4休 | 12勝3敗 | |
1957年9月場所 | 5勝8敗2休 | 8勝7敗 | 9勝6敗 | 13勝2敗 | |
1957年11月場所 | 全休 | 全休 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | |
1958年1月場所 | 12勝3敗 | 9勝6敗(引退) | 3勝6敗(引退) | 11勝4敗 | 鏡里、吉葉山が引退。 |
第10次 | 45代若乃花(初代) | 46代朝潮 | 47代柏戸 | 48代大鵬 | |
1961年11月場所 | 11勝4敗 | 2勝5敗8休 | 12勝3敗 | 13勝2敗 | 柏戸、大鵬が新横綱。 張出はつくらず4横綱全員枠内に書き出された。 またこの場所は3大関4関脇4小結がいたが、横綱以外はすべて張出がつくられた。 |
1962年1月場所 | 11勝4敗 | 引退 | 10勝5敗 | 13勝2敗 | 4横綱全員枠内。 朝潮が場所前に引退。 |
第11次 | 47代柏戸 | 48代大鵬 | 49代栃ノ海 | 50代佐田の山 | |
1965年3月場所 | 全休 | 14勝1敗 | 8勝7敗 | 12勝3敗 | 佐田の山が新横綱。 |
1965年5月場所 | 9勝6敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 14勝1敗 | 4横綱総当たり(ただし大鵬は千秋楽休場、佐田の山に不戦勝)。 |
1965年7月場所 | 12勝3敗 | 13勝2敗 | 7勝4敗3休 | 12勝3敗 | |
1965年9月場所 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗 (優勝同点) |
4横綱総当たり。 |
1965年11月場所 | 1勝1敗13休 | 13勝2敗 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1966年1月場所 | 14勝1敗 | 全休 | 全休 | 5勝6敗4休 | |
1966年3月場所 | 10勝5敗 | 13勝2敗 | 10勝5敗 | 5勝5敗5休 | |
1966年5月場所 | 12勝3敗 | 14勝1敗 | 1勝3敗11休 | 全休 | |
1966年7月場所 | 12勝3敗 [注釈 1] |
14勝1敗 | 全休 | 11勝4敗 | |
1966年9月場所 | 13勝2敗 (優勝同点) |
13勝2敗 | 全休 | 12勝3敗 | |
1966年11月場所 | 10勝5敗 | 15戦全勝 | 2勝5敗(引退) | 10勝5敗 | 栃ノ海が引退。 |
第12次 | 54代輪島 | 55代北の湖 | 56代若乃花(2代) | 57代三重ノ海 | |
1979年9月場所 | 10勝5敗 | 13勝2敗 | 11勝4敗 | 11勝4敗 | 三重ノ海が新横綱。 4横綱総当たり。 |
1979年11月場所 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗 | 14勝1敗 [注釈 1] |
4横綱総当たり。 |
1980年1月場所 | 0勝3敗12休 | 12勝3敗 | 11勝4敗 [注釈 1] |
15戦全勝 | |
1980年3月場所 | 11勝4敗 | 13勝2敗 | 12勝3敗 | 1勝4敗10休 | |
1980年5月場所 | 11勝4敗 | 14勝1敗 | 12勝3敗 | 10勝5敗 | 4横綱総当たり。 |
1980年7月場所 | 1勝4敗10休 | 15戦全勝 | 10勝5敗 | 4勝6敗5休 | |
1980年9月場所 | 11勝4敗 | 11勝4敗 | 14勝1敗 | 全休 | |
1980年11月場所 | 14勝1敗 | 12勝3敗 | 13勝2敗 | 0勝3敗(引退) | 三重ノ海が引退。 |
第13次 | 58代千代の富士 | 60代双羽黒 | 61代北勝海 | 62代大乃国 | |
1987年11月場所 | 15戦全勝 | 13勝2敗 | 13勝2敗 | 8勝7敗 | 大乃国が新横綱。 |
1988年1月場所 | 12勝3敗 | 廃業 | 11勝4敗 | 5勝5敗5休 | 双羽黒が場所前に廃業。 |
第14次 | 58代千代の富士 | 61代北勝海 | 62代大乃国 | 63代旭富士 | |
1990年9月場所 | 全休 | 14勝1敗 | 全休 | 13勝2敗 | 旭富士が新横綱。 |
1990年11月場所 | 13勝2敗 | 9勝6敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗 | |
1991年1月場所 | 2勝1敗12休 | 12勝3敗 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1991年3月場所 | 全休 | 13勝2敗 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | |
1991年5月場所 | 1勝3敗(引退) | 全休 | 全休 | 14勝1敗 | 千代の富士が引退。 |
第15次 | 64代曙 | 65代貴乃花 | 66代若乃花(3代) | 67代武蔵丸 | 以降、張出制度廃止により、全員枠内に書き出される。 |
1999年7月場所 | 13勝2敗 (優勝同点) |
9勝6敗 | 全休 | 12勝3敗 | 武蔵丸が新横綱。 |
1999年9月場所 | 2勝2敗11休 | 0勝3敗12休 | 7勝8敗 | 12勝3敗 | |
1999年11月場所 | 全休 | 11勝4敗 | 全休 | 12勝3敗 | |
2000年1月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 全休 | 2勝2敗11休 | |
2000年3月場所 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 2勝4敗(引退) | 11勝4敗 | 若乃花が引退。 |
第16次 | 69代白鵬 | 70代日馬富士 | 71代鶴竜 | 72代稀勢の里 | |
2017年3月場所 | 2勝3敗10休 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 13勝2敗 | 稀勢の里が新横綱。 |
2017年5月場所 | 15戦全勝 | 11勝4敗 | 1勝4敗10休 | 6勝5敗4休 | |
2017年7月場所 | 14勝1敗 | 11勝4敗 | 2勝2敗11休 | 2勝4敗9休 | |
2017年9月場所 | 全休 | 11勝4敗 | 全休 | 全休 | |
2017年11月場所 | 14勝1敗 | 0勝3敗12休(引退) | 全休 | 4勝6敗5休 | 日馬富士が引退。 |
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 4横綱時代一覧大相撲≒おつかれマツェラート
4横綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:23 UTC 版)
番付上に最も多くの横綱が出揃ったのは4人までで、現在まで16通りの例がある。 例開始場所横綱(太字は新規昇進者)最終場所場所数終了理由1 1917年(大正6年)5月場所 大錦卯一郎2代西ノ海嘉治郎鳳谷五郎太刀山峯右エ門 1918年(大正7年)1月場所 2 太刀山が引退 2 1918年(大正7年)5月場所 栃木山守也大錦卯一郎2代西ノ海嘉治郎鳳谷五郎 1918年(大正7年)5月場所 1 西ノ海が引退 3 1938年(昭和13年)1月場所 双葉山定次男女ノ川登三武藏山武玉錦三右エ門 1938年(昭和13年)5月場所 2 玉錦が5月場所後に死亡 4 1943年(昭和18年)1月場所 照國萬藏安藝ノ海節男羽黒山政司双葉山定次 1945年(昭和20年)11月場所 7 双葉山が引退 5 1949年(昭和24年)1月場所 東富士欽壹前田山英五郎照國萬藏羽黒山正司 1949年(昭和24年)11月場所 3 前田山が引退 6 1951年(昭和26年)9月場所 千代の山雅信東富士欽壹照國萬藏羽黒山正司 1953年(昭和28年)1月場所 5 照國が引退 7 1953年(昭和28年)3月場所 鏡里喜代治千代の山雅信東富士欽壹羽黒山正司 1953年(昭和28年)9月場所 3 羽黒山が引退 8 1954年(昭和29年)3月場所 吉葉山潤之輔鏡里喜代治千代の山雅信東富士欽壹 1954年(昭和29年)9月場所 3 東富士が引退 9 1955年(昭和30年)1月場所 栃錦清隆吉葉山潤之輔鏡里喜代治千代の山雅信 1958年(昭和33年)1月場所 14 吉葉山と鏡里が同時引退 10 1961年(昭和36年)11月場所 大鵬幸喜柏戸剛3代朝潮太郎初代若乃花幹士 1962年(昭和37年)1月場所(相撲番付上) 1(2) 朝潮が1月場所前に引退 11 1965年(昭和40年)3月場所 佐田の山晋松栃ノ海晃嘉大鵬幸喜柏戸剛 1966年(昭和41年)11月場所 11 栃ノ海が引退 12 1979年(昭和54年)9月場所 三重ノ海剛司2代若乃花幹士北の湖敏満輪島大士 1980年(昭和55年)11月場所 8 三重ノ海が引退 13 1987年(昭和62年)11月場所 大乃国康北勝海信芳双羽黒光司千代の富士貢 1988年(昭和63年)1月場所(相撲番付上) 1(2) 双羽黒が1月場所前に廃業 14 1990年(平成2年)9月場所 旭富士正也大乃国康北勝海信芳千代の富士貢 1991年(平成3年)5月場所 5 千代の富士が引退 15 1999年(平成11年)7月場所 武蔵丸光洋若乃花勝貴乃花光司曙太郎 2000年(平成12年)3月場所 5 若乃花が引退 16 2017年(平成29年)3月場所 稀勢の里寛鶴竜力三郎日馬富士公平白鵬翔 2017年(平成29年)11月場所 5 日馬富士が引退 最初の4横綱は、1917年5月場所、太刀山、鳳、2代西ノ海、大錦によって実現した。翌1918年5月には太刀山の引退と入れ替わりに栃木山が誕生し、同場所で西ノ海が引退するまで連続3場所4横綱時代が続いた。東西制のため総当たりは不可能だった。 4横綱総当りは、春秋園事件の余波で一門系統別総当たり制の実施されていた1938年5月場所に玉錦、武藏山、男女ノ川、双葉山によって初めて実現した(この顔ぶれ自体は前場所の1月場所からだが、この時は武蔵山が途中休場)。結果は、双葉山3戦全勝、武藏山2勝、男女ノ川1勝、玉錦3戦全敗だった。この場所は武藏山と男女ノ川は6勝6敗どうしの千秋楽対決という悲惨な結果となっている(武藏山が勝ち、男女ノ川が負け越し)。 同じ顔触れで最も長く続いた4横綱時代は千代の山、鏡里喜代治、吉葉山、栃錦による14場所。1955年1月場所で栃錦が昇進してから、1958年1月場所後に鏡里と吉葉山が同時に引退するまで続いた。4横綱の皆勤は1956年(昭和31年)3月場所の1場所きりとなったものの、8場所で4横綱のいずれかが優勝(吉葉山に優勝がないのを除き、他の3横綱が複数回の優勝)を果たしている。千代の山と栃錦は同門のため対戦しなかった。 4横綱の合計勝ち星の最多は、1943年1月場所の54勝(6敗)。双葉山15戦全勝、羽黒山13勝2敗、安藝ノ海12勝3敗(双葉山への不戦敗あり)、照國14勝1敗で、横綱同士以外で喫した黒星は2つだけだった。この4人は翌5月場所でも52勝8敗で、4横綱皆勤場所に限ればこれが最高成績となる。逆に4横綱皆勤しての最少勝ち星は1956年3月場所、千代の山8勝、鏡里8勝、吉葉山11勝、栃錦9勝で36勝(24敗)。 1961年11月場所で柏戸、大鵬が2人同時昇進となり、初代若乃花、3代朝潮と17場所ぶり4横綱となったが、翌場所の直前に朝潮が引退を表明したため、この4横綱は実質上1場所のみ(番付上では翌1962年1月場所とあわせて合計2場所)だった。若乃花と大鵬は同門のため対戦なし。 現行の年6場所制定着後で最も長かった4横綱時代は柏戸、大鵬、栃ノ海、佐田の山による11場所で、1965年3月場所から1966年11月場所までである。実質の4横綱皆勤は1965年9月場所の一度きりであったが(1965年5月場所では大鵬が千秋楽のみ休場、佐田の山に不戦敗)全盛期の大鵬を中心に11場所すべて4横綱のいずれかが優勝している。 4横綱皆勤の最も多かったのは、輪島、北の湖、2代若乃花幹士、三重ノ海で、1979年9月場所から1980年11月場所までの8場所中3場所となっている。4横綱総当り3回も最多。 昭和末期の1987年11月場所では千代の富士、双羽黒、北勝海、大乃国の4横綱が全て皆勤となったが、11月場所後に双羽黒が廃業となったため、この4横綱は1場所のみ(番付上では翌1988年1月場所と合わせて合計2場所)となってしまった。千代の富士と北勝海は同部屋のため対戦なし。 平成時代の1例目は千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士の4横綱時代が、1990年9月場所から1991年5月場所までの5場所連続であるが、全員皆勤となったのは1990年11月場所の1場所のみだった。このときも千代の富士と北勝海は同部屋のため対戦なし。その後1991年5月場所の千代の富士の引退を皮切りに、大乃国、旭富士、北勝海が僅か1年の間に相次いで引退してしまい、横綱空位となった。 平成時代2例目の4横綱だった曙、貴乃花、若乃花(勝)、武蔵丸は1999年7月場所から2000年3月場所まで5場所続いたが、2000年(平成12年)3月場所で若乃花が引退となるまで、4横綱全員が皆勤する場所も、4人全員がそろって勝った日も一度も無いままに終わってしまった(4横綱が揃っての出場は1999年9月場所初日・2日目、及び2000年3月場所初日〜5日目の計7日間のみ)。2016年の千代の富士逝去によって、4人全員健在の最古の4横綱となった。 2017年1月場所で優勝した稀勢の里が横綱に昇進し、同年3月場所は稀勢の里、白鵬、鶴竜、日馬富士による4横綱となった(17年ぶりに平成時代3例目)。4横綱となった時点(4人目の横綱が昇進した時点)で外国籍を持つ横綱が含まれるのはこのケースが初である(平成時代2例目の曙と武蔵丸は外国出身だが、4横綱の時点では両方ともすでに日本に帰化していた)。同年11月場所後に日馬富士が不祥事で引退したため、5場所で終了。本場所で総当たりする4横綱としては36年ぶりだったが、4横綱全員が皆勤した場所はないまま終わった。4人全員がそろって勝ったのは3月場所の2日目と5月場所の3日目の2回しかなかった。
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