三重ノ海とは? わかりやすく解説

三重ノ海剛司

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 06:55 UTC 版)

三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - )は、三重県松阪市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会理事長、退職後は、相撲博物館館長を務めた。


注釈

  1. ^ これは1969年7月場所に「大関の地位で2場所連続負け越した場合は関脇へ降格。ただし降格直後の場所で10勝以上の勝ち星を挙げれば大関復帰」という「大関特例復帰」の制度が制定されてから最初の適用例となった。
  2. ^ 特に通算2回目の大関角番だった1977年7月場所は13日目で6勝7敗、あと1敗で負け越せばあわや2度目の大関陥落となる大ピンチだったが、14日目大関・貴ノ花に、千秋楽に前頭5枚目・大潮にそれぞれ勝利して8勝7敗、辛うじて勝ち越して角番を脱出した。
  3. ^ 1度目の大関在位時に成績不振だった一方、2度目の大関在位時にわずか2場所で横綱昇進を果たしたため。
  4. ^ 昭和20年代以降、短命横綱では前田山の6場所に次ぐ史上2位だが、年6場所制となった昭和33年以降は三重ノ海の8場所が最短記録となる(但し琴櫻と双羽黒も同じく横綱在位8場所だが、番付上で数えると二人共9場所となる)。
  5. ^ 一説によると、山科を直近で襲名していたのは最高位が十両の大平山だったため「元横綱の名跡に相応しくない」と入門時の師匠で相撲博物館館長を務めていた13代・武蔵川の出羽ノ花から武蔵川の名跡を譲られたという。
  6. ^ 三重ノ海が初土俵を踏んだ1963年7月場所の時点ですでに大鵬は幕内優勝11回を記録していた。
  7. ^ 「功」の廻しに「市川國一書」と本名(市川國一)が書かれている。
  8. ^ 急性肝臓炎により7日目から途中休場
  9. ^ 右足関節捻挫により14日目から途中休場
  10. ^ 左足首関節捻挫及び外傷性炎症により8日目から途中休場
  11. ^ 左膝内側側副靱帯損傷・左足首関節捻挫後遺症により10日目から途中休場
  12. ^ a b c 大関角番(全3回)
  13. ^ 関脇陥落
  14. ^ 大関特例復帰
  15. ^ 輪島と優勝決定戦
  16. ^ 左肘関節挫傷により5日目から途中休場
  17. ^ 外傷性坐骨神経痛・頸肩腕症候群・肝臓炎により10日目から途中休場

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p40-43
  2. ^ (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:2 68歳 朝日新聞DIGITAL 2016年11月1日16時30分
  3. ^ a b c d 元横綱三重ノ海の「相撲と故郷」…入門15歳、たんこぶで新弟子検査クリア(2/2ページ) 讀賣新聞オンライン 2023/02/12 17:00 (2023年2月13日閲覧)
  4. ^ a b c (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:4 68歳 朝日新聞 DIGITAL 2016年11月4日16時30分
  5. ^ a b c d (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:5 68歳 朝日新聞 DIGITAL 2016年11月7日16時30分
  6. ^ a b c d e 大相撲:「いい道を選んだ」…定年の武蔵川親方が会見 毎日新聞 2013年01月22日 20時20分
  7. ^ a b c d e (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:6 68歳 朝日新聞 DIGITAL 2016年11月8日16時30分
  8. ^ a b c おかみさんも伴走続けて半世紀「ボーッとする時間もなかった」…元横綱三重ノ海の「相撲と故郷」 讀賣新聞 2024/04/17 09:29 (2024年4月17日閲覧)
  9. ^ a b c d 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p22
  10. ^ a b (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:7 68歳 朝日新聞 DIGITAL 2016年11月9日16時30分
  11. ^ 『相撲』2018年3月号 p.87
  12. ^ a b c (人生の贈りもの)わたしの半生 相撲博物館館長・57代横綱三重ノ海、石山五郎:8 68歳 朝日新聞 DIGITAL 2016年11月10日16時30分
  13. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p64
  14. ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.83
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  16. ^ 佐藤祥子 57頁
  17. ^ 佐藤祥子 61頁
  18. ^ 元横綱白鵬は猛省して出直しを(浅香山博之) 日本経済新聞 2024年3月3日 5:00 (2024年3月3日閲覧)
  19. ^ a b c 大空出版『相撲ファン』vol.06 p120-125
  20. ^ 【25周年!三重ノ海親方が還暦土俵入り!】大相撲 武蔵川部屋の日々 2007年6月17日
  21. ^ 佐藤祥子 57-58頁
  22. ^ 武蔵川親方 大鵬との一番「少しでも長く体に触っていたかった」 Sponichi Annex 2013年1月19日 16:49
  23. ^ 武蔵川親方に相撲博物館長を委嘱 6代目館長に 日本経済新聞 2013/1/31 19:37
  24. ^ 元横綱三重ノ海、ライバル追悼 北の湖との時間 日刊スポーツ 2016年1月22日6時48分 紙面から
  25. ^ 「大関陥落→綱取り」照ノ富士に元横綱三重ノ海も注目「今後出ない」 日刊スポーツ 2021年7月10日4時59分(2021年7月12日閲覧)
  26. ^ 「すごい精神力」元三重ノ海驚き 横綱照ノ富士きょう誕生 | 全国のニュース 福井新聞 2021年7月21日 紙面から
  27. ^ 元横綱三重ノ海の石山氏が出羽海部屋の後輩御嶽海へエール「横綱になって」 日刊スポーツ 2022年1月24日9時47分(2022年1月24日閲覧)
  28. ^ 元横綱三重ノ海の石山五郎さん、相撲博物館館長を来月退任…「75歳で大相撲から卒業」 讀賣新聞オンライン 2023/01/15 05:00 (2023年1月21日閲覧)
  29. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p38
  30. ^ TBSアッコにおまかせ!』2008年9月14日放送分より
  31. ^ 非力を巧みな前捌きと闘志で補った三重ノ海 All About 2012年12月31日
  32. ^ 『相撲』2012年5月号67頁
  33. ^ 【私の“奇跡の一枚” 連載85】 半世紀前こんなライバルたちが 火花を散らしていた! BBM Sports 2020-09-15 (2020年10月21日閲覧)
  34. ^ a b 佐藤祥子 66-67頁
  35. ^ 1横綱3大関を育てた「武蔵川親方」の32年、二子山勢への対抗心に燃えて…元横綱三重ノ海の「相撲と故郷」 讀賣新聞オンライン 2023/11/14 09:48 (2024年3月27日閲覧)


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