豊山広光とは? わかりやすく解説

豊山広光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 13:06 UTC 版)

豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 - 2020年9月19日[1])は、新潟県新発田市大字新保小路出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は長濱 廣光(ながはま ひろみつ)。現役時代の体格は186cm、133kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り。最高位は東小結1972年9月場所・1977年11月場所)[2]


注釈

  1. ^ 新発田農業高校と新発田商工高校(当時)は、道を挟んで向かい同士である。
  2. ^ なお、自身の引退表明も、輪島の引退より1場所後の1981年5月場所でのことだった。

出典

  1. ^ 元小結豊山の先代湊親方が死去72歳、膵臓がん」『日刊スポーツ』、2020年9月24日。2020年9月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p24
  3. ^ 雑誌『相撲』2013年1月号「立田川親方(元小結・豊山)が停年」
  4. ^ 『朝日新聞』、2010年5月27日掲載分
  5. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p43
  6. ^ 1974年5月場所は魁傑將晃高見山大五郎の両関脇が共に8勝7敗、東小結の黒姫山秀男が9勝6敗で勝ち越し、大関の大受久晃が2場所連続負け越しで関脇陥落となった。この場所ではさらに東前頭4枚目の増位山太志郎も12勝3敗の好成績を残したため、7月場所では増位山が東小結となった。
  7. ^ 【真相解明】逸ノ城 引退の真相は?独自情報で貴闘力が語る! 貴闘力部屋 2023/05/20 (2023年5月21日閲覧)
  8. ^ a b ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39
  9. ^ 元小結豊山の先代湊親方が死去72歳、膵臓がん - 日刊スポーツ 2020年9月24日
  10. ^ a b 【連載 名力士たちの『開眼』】小結・豊山広光 編 土俵で得た教訓を人生に生かすも勝負のうち[その2] - ベースボール・マガジン社WEB」『』。2018年9月17日閲覧。
  11. ^ 雑誌・ 大相撲 (読売新聞社) 2001年4月号 P.129「角界面白今昔」より


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