大麒麟將能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 05:38 UTC 版)
大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は堤 隆能(つつみ たかよし)。最高位は東大関。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり[2]。
- ^ 狐のような容貌であったことから兄弟子の大鵬が命名した。
- ^ a b c d e f g h i j ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p20
- ^ 【連載 名力士たちの『開眼』】大関・大麒麟将能編 相撲は理屈じゃないんだ――不完全燃焼の残り火[その2] ベースボールマガジン社WEB 2020-04-24(2020年4月24日閲覧)
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p49
- ^ 朝日新聞1971年7月16日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1971年11月16日付朝刊総合面
- ^ そのうち1972年(昭和47年)5月場所9日目に小結・魁傑(のち放駒)との取組で、魁傑のマゲを引っ張り反則負けとなっている。最近でも2003年(平成15年)7月場所で朝青龍が同様に反則負けとなっているが、過失も含めそれほど珍しいことではない。
- ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p39
- ^ 2004年11月27日 読売新聞 夕刊
- ^ 元大関の大麒麟死去 豪快なつりが人気 共同通信47News 2010年8月6日閲覧
- ^ 風化させるな 大相撲事件史(12/15ページ) JIJI.COM 2022年07月12日18時00分 (2022年8月10日閲覧)
- ^ 左脛骨上端骨折・左膝十字靱帯断裂により9日目から途中休場
- ^ a b c d e 角番(全5回)
- ^ 右尺骨亀裂骨折により4日目から途中休場
- ^ 右膝関節捻挫により9日目から途中休場
- ^ 流行性角結膜炎により4日目から途中休場
- 1 大麒麟將能とは
- 2 大麒麟將能の概要
- 3 取り口
- 4 主な成績
- 5 改名歴
固有名詞の分類
- 大麒麟將能のページへのリンク