「柏鵬時代」到来
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入門当初に伊勢ノ海から「未来の横綱だぞ」と言われた通りに横綱へ昇進し、その後も安定して二桁勝利を挙げていたが、1962年頃から期待されていたほどの相撲ぶりを見せることができなくなり、とりわけ相撲の守りの薄さが指摘されるようになった。神風正一からは「あれだけの体をしているんだから、何も慌てて立つことはないんじゃいんですか。むしろ立ち遅れたときのほうが、いい相撲になっていますよ。立ち合いをもっと研究せんと、いかんじゃないですか」と注文を付けられ、東富士欽壹からも「柏戸の稽古は、ただ攻めるだけのものだったが、やはり、受け身の場合の稽古も必要なんじゃないかと思います」と話した。1963年1月場所で右手首関節捻挫・肝機能障害・蓄膿症により初の休場に追い込まれると、その後はケガや病気によって休場することが相次ぐ。1963年5月から7月まで塩原温泉郷でリハビリしていたころは、毎日午前と午後に1回ずつ通院し、稽古ができない中で現地の中学生たちと球技を行って体を鍛えていた。また、東京の知人と一緒にそこへ訪れたマッサージとヨガを研究する女性から、有色野菜やカルシウムを多く摂取することやよく噛んで食べることを心がけるよう食事指導された。4場所連続休場から再起をかけた1963年9月場所には、玉ノ海梅吉の「柏戸に勝たせたいねぇ」の声が聞こえたかのように、大鵬との千秋楽全勝対決を制して全勝優勝を果たした。柏戸はこの場所を10勝でもできればという心構えで臨んでいたとされており、千秋楽の朝にも優勝できるとは思っていなかった。「一番うれしかったことは?」という記者の質問に対して「何といっても、塩原の生活から解放されて、晴れて巡業に出られるというときは、それこそ十枚目に上がる時とか、大関、横綱になったときよりもうれしく感じられました」とコメント。優勝旗手は豊山勝男が務め、オープンカーで北葉山英俊が賜杯を持った。これ以上はない復活劇に日本中が感動し、柏戸本人も支度部屋で号泣するほどだったが、この取組を見た石原慎太郎から八百長疑惑を新聞に投稿された。大鵬自身はビデオ映像を見て自分の驕りだったと感じたものの激怒し、時津風の問いに対して「絶対に(八百長は)やってない」と断言した。これを受けて協会は石原を告訴する準備をしたが、石原側から謝罪を受けて和解した。この騒動を二人で解決に持ち込んだことで、大鵬と柏戸の仲は改善された。このことから「柏鵬時代」と呼ばれ、高度経済成長期の相撲黄金時代を支えた。 横綱土俵入りは同門の先輩横綱である鏡里の型を継承したが横綱時代初期においては大鵬と同様に柏手を打つ際に首を振る癖があり、1963年3月場所後に二子山の談話でその点を指摘された上に「力を入れようと思うんだろうが、自然のほうがいいですね」と分析された。横綱時代全般において力み故にせり上がりが不安定であり、終盤期にはバランスの悪さが顕著化した。 1964年3月場所では再び大鵬と千秋楽全勝対決が組まれたが、今回は大鵬が勝利した。その後も病魔によって好不調の波が激しく、休場回数も徐々に増えたため優勝回数が伸びず連覇は無かった。しかも同い年(学年は柏戸が1つ下)の栃ノ海晃嘉・佐田の山晋松が先に引退してしまい、自分が引退すれば横綱が大鵬一人になる事情から引退できず、肝臓・腎臓も悪化させて成績不振も多かった。見かねた時津風が「柏戸の身体は瀬戸物で出来ているみたいだ」と嘆いたこともある。 下記に、柏鵬両雄の主な千秋楽対戦を記す。 場所柏戸成績大鵬成績優勝力士備考1962年11月場所 12勝3敗 13勝2敗 大鵬 千秋楽柏戸3敗・大鵬1敗で対戦、柏戸勝利。 1963年9月場所 15勝0敗 14勝1敗 柏戸 千秋楽全勝同士相星決戦で柏戸勝利。 1964年3月場所 14勝1敗 15勝0敗 大鵬 千秋楽全勝同士相星決戦で大鵬勝利。 1966年5月場所 12勝3敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦、大鵬勝利。 1966年7月場所 12勝3敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦、大鵬勝利。 1966年9月場所 13勝2敗 13勝2敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦、柏戸勝利。優勝決定戦では大鵬勝利。 1967年5月場所 13勝2敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬全勝で対戦、柏戸勝利。 柏鵬両雄の千秋楽優勝圏内の対戦は、5度実現した(相星決戦は2度で全勝対決)。 上記の場所において、柏戸は1963年9月場所を除いて、全て優勝同点もしくは優勝次点。 優勝回数こそ5回で、大鵬の32回と比べると少ないように見えるが、横綱在位47場所(歴代6位)、優勝に準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとは言えず、大鵬との相性の良さを差し引いても当時を知る人の中では柏戸を「弱い横綱」と評する人は少ない。 大関時代までの大鵬にとっては最強の壁で、大関時代までは柏戸:7勝・大鵬:3勝だった。その後、大鵬が10勝10敗で並んでから16勝16敗までは全く雁行し、真に両雄伯仲の柏鵬時代を顕した。「優勝大鵬、対戦柏戸」と言われたが最後は5連敗し、通算対戦成績は柏戸:16勝、大鵬:21勝(一方で大鵬の弟弟子・大麒麟將能を苦手としていて、通算成績でも8勝9敗で負け越している)。
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