「柏鵬時代」到来とは? わかりやすく解説

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「柏鵬時代」到来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:18 UTC 版)

柏戸剛」の記事における「「柏鵬時代」到来」の解説

入門当初伊勢ノ海から「未来横綱だぞ」と言われ通り横綱昇進しその後安定して二桁勝利を挙げていたが、1962年頃から期待されていたほどの相撲ぶりを見せることができなくなりとりわけ相撲守り薄さ指摘されるようになった神風正一からは「あれだけの体をしているんだから、何も慌てて立つことはないんじゃいんですか。むしろ立ち遅れたときのほうが、いい相撲になっていますよ。立ち合いをもっと研究せんと、いかんじゃないですか」と注文付けられ東富士欽壹からも「柏戸稽古は、ただ攻めるだけのものだったが、やはり、受け身場合稽古必要なんじゃないかと思います」と話した1963年1月場所右手関節捻挫肝機能障害蓄膿症により初の休場追い込まれると、その後ケガ病気によって休場することが相次ぐ1963年5月から7月まで塩原温泉郷リハビリしていたころは、毎日午前と午後1回ずつ通院し稽古できない中で現地中学生たちと球技行って体を鍛えていた。また、東京知人一緒にそこへ訪れたマッサージヨガ研究する女性から、有色野菜カルシウム多く摂取することやよく噛んで食べることを心がけるよう食事指導された。4場所連続休場から再起をかけた1963年9月場所には、玉ノ海梅吉の「柏戸に勝たせたいねぇ」の声が聞こえたかのように大鵬との千秋楽全勝対決制して全勝優勝果たした柏戸はこの場所を10勝でもできればという心構え臨んでいたとされており、千秋楽の朝にも優勝できるとは思っていなかった。「一番うしかったことは?」という記者質問に対して「何といっても、塩原の生活から解放されて、晴れて巡業出られるというときは、それこそ十枚目上がる時とか、大関横綱になったときよりもうれしく感じられました」とコメント優勝旗手豊山勝男務めオープンカー北葉山英俊賜杯持ったこれ以上はない復活劇に日本中が感動し柏戸本人支度部屋号泣するほどだったが、この取組見た石原慎太郎から八百長疑惑新聞投稿された。大鵬自身ビデオ映像見て自分驕りだったと感じたものの激怒し時津風問いに対して絶対に八百長は)やってない」と断言した。これを受けて協会石原告訴する準備をしたが、石原側から謝罪受けて和解した。この騒動二人で解決持ち込んだことで、大鵬柏戸の仲は改善された。このことから「時代」と呼ばれ高度経済成長期相撲黄金時代支えた横綱土俵入り同門先輩横綱である鏡里の型を継承した横綱時代初期においては大鵬同様に柏手を打つ際に首を振る癖があり、1963年3月場所後に二子山談話でその点を指摘された上に「力を入れようと思うんだろうが、自然のほうがいいですね」と分析された。横綱時代全般において力み故にせり上がりが不安定であり、終盤期にバランス悪さ顕著化した。 1964年3月場所では再び大鵬千秋楽全勝対決組まれたが、今回大鵬勝利したその後病魔によって好不調の波が激しく休場回数徐々に増えたため優勝回数伸び連覇無かった。しかも同い年学年柏戸1つ下)の栃ノ海晃嘉佐田の山晋松先に引退してしまい、自分引退すれば横綱大鵬一人になる事情から引退できず、肝臓腎臓悪化させて成績不振多かった。見かねた時津風が「柏戸身体瀬戸物出来ているみたいだ」と嘆いたこともある。 下記に、両雄主な千秋楽対戦を記す。 場所柏戸成績大鵬成績優勝力士備考1962年11月場所 12勝3敗 13勝2敗 大鵬 千秋楽柏戸3敗・大鵬1敗で対戦柏戸勝利1963年9月場所 15勝0敗 14勝1敗 柏戸 千秋楽全勝同士相星決戦柏戸勝利1964年3月場所 14勝1敗 15勝0敗 大鵬 千秋楽全勝同士相星決戦大鵬勝利1966年5月場所 12勝3敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦大鵬勝利1966年7月場所 12勝3敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦大鵬勝利1966年9月場所 13勝2敗 13勝2敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬1敗で対戦柏戸勝利優勝決定戦では大鵬勝利1967年5月場所 13勝2敗 14勝1敗 大鵬 千秋楽柏戸2敗・大鵬全勝対戦柏戸勝利両雄千秋楽優勝圏内対戦は、5度実現した相星決戦2度全勝対決)。 上記の場所において、柏戸1963年9月場所除いて全て優勝同点もしくは優勝次点優勝回数こそ5回で、大鵬32回と比べる少ないように見えるが、横綱在位47場所(歴代6位)、優勝準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとは言えず、大鵬との相性良さ差し引いて当時知る人の中では柏戸を「弱い横綱」と評する人は少ない。 大関時代までの大鵬にとっては最強の壁で、大関時代までは柏戸:7勝・大:3勝だった。その後大鵬1010敗で並んでから1616敗までは全く雁行し、真に両雄伯仲時代顕した。「優勝大鵬対戦柏戸と言われたが最後は5連敗し通算対戦成績柏戸16勝、大鵬21勝(一方で大鵬弟弟子大麒麟將能を苦手としていて、通算成績でも8勝9敗で負け越している)。

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