「枢軸時代」の画期性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
ヤスパースは「枢軸時代」という観点から構想された世界史の構造について、以下のようにスケッチしている。 数千年にわたってつづいた古代高度文明、すなわち、かつて世界四大文明と呼ばれたエジプト、メソポタミア、インダス、中国の古代農耕文明は、枢軸時代の到来とともに終わりを告げ、古い文明の諸要素は互いに融け合い、同化ないし没落を余儀なくされた。もちろん枢軸時代以前にも古代バビロニアにおける「ギルガメシュ叙事詩」や「悔罪詩篇」など感動的な精神の発露がみられなかったわけではないが、いずれも直接には社会や後世に深い影響をあたえておらず、また、それが影響をもつ際には枢軸時代に再検討、再解釈がほどこされた上でのことであった。すなわち、枢軸時代はそれ以前の人類の発展にさまざまな問題と基準をあたえたといえる。 人類は、枢軸時代に実現され、創造され、思惟されたものによって、いわば「今日に至るまで生きている」のだと評価できる。この時代への回帰はそれぞれの文化圏において幾度となく繰り返される。つまり、この時代はそれ以後の人類の発展に対しても、諸問題および諸基準をあたえている。 枢軸時代は当初ごく限定された箇所で始まったものにすぎなかったが、そこに生じた潮流は、歴史的にはきわめて広い範囲におよんだ。この展開にあずからなかった人類は、いわば「自然民族」として「非歴史的な生き方」をつづける一方、この潮流との接触によって「西ではゲルマン民族やスラブ民族、東では日本人、マレイ人、タイ人」が世界史の担い手として加わった。この接触はしばしば多くの「自然民族」を滅亡させる原因ともなっており、換言すれば、枢軸時代以後の全人類は、あくまでも「自然民族」の状態にとどまるか、もしくはその潮流に同化して歴史運動のなかに身を投じ、そこに参画することで民族形成がなされた。 それぞれの文化圏の諸思想は、当初は互いに孤立していたが、3世界が相互に遭遇すると互いに地理的にも心理的にも相隔たっているにもかかわらず、ただちに三者間で深いところでの相互理解が可能となり、それぞれの関心事を互いに認め合うことができた。 ヤスパースは、このように記して、枢軸時代のもつ画期性を指摘している。
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