「枢軸民族」とは? わかりやすく解説

「枢軸民族」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)

枢軸時代」の記事における「「枢軸民族」」の解説

ヤスパースは、「シナ人インド人イラン人ユダヤ人ギリシャ人」を「枢軸民族」と呼び、「破開」を担い自己の過去直接つながりながら飛躍なしとげた民族」としている。また、古来、高度文化有しながら「破開を経験しない民族」としてエジプトバビロニアの大民族をあげ、枢軸時代にあっても「破開」による影響をあまり受けておらず、しばらくは先行者としての地位にあったが、やがて新し勢力征服されて古い文化失ってしまい、後期サーサーン朝文化イスラーム文化ローマ文化キリスト教文化のなかに解消してしまったとするユダヤ人ギリシャ人エジプトバビロニアの両文化から学んで、それを乗り越えようとした。ヤスパースは、われわれ現代人エジプトバビロニアの両文化対しいかんともしがたい違和感あるいは疎隔感を覚えるが、それは「破開」の経験有無由来するとしている。 ところで西洋インド中国では同じ「枢軸民族」でも異な様相呈している。西洋では、活動舞台やその地理的中心、あるいは諸民族時代変遷みられるのに対し中国インドではきわめて安定しており、形こそ変わっても常に同じものが存続し、同じことが繰り返されているかにみえる。あるいはこれは「アジア停滞」とも受けとれるものである。これについては後述する。 ヤスパースは、「後続する諸民族」としてマケドニア人ローマ人掲げる。この両者は「破開」後の世界の内部にあって新し大帝国政治的に組織した勢力である。しかしながら、彼ら自身心底から破開を経験していないゆえに「精神的貧困」に陥っているとヤスパースみなしている。 「破開」以後大帝国崩壊すると、どこでも諸国家の相剋動乱さらには民族移動時代をむかえるが、このとき新たにゲルマン人スラヴ人日本人マレー人タイ人登場する。彼らは伝来した高度な文化対決しつつ、それを同化し、再構成することによって独自の新文化実現させた、とヤスパース主張する

※この「「枢軸民族」」の解説は、「枢軸時代」の解説の一部です。
「「枢軸民族」」を含む「枢軸時代」の記事については、「枢軸時代」の概要を参照ください。

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