「枢軸時代」の吟味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
ヤスパースはまた慎重にも、自らの「枢軸時代」という観点の提言に際して、可能と思われるいくつかの異議を想定し、それに答えるスタイルを採って吟味を加えている。 この事実は存在したか ヤスパースはまず、 共通するのは見かけだけではないか 枢軸時代とは事実ではなく、一つの価値判断の産物にすぎないのではないか このような平行関係は何ら歴史的性格をもたないのではないか との異議を想定し、そもそも、この事実が存在したか否かを検討している。 1.に対しては、ヤスパースは自らの哲学における「限界状況」 の語を用い、枢軸時代における事実とは、「限界状況における人間存在の原則が突如として出現した事実」にほかならないとして、その事実を「破開(ドゥルヒブルツフ)」 と形容している。そして、これは世界中のいたるところで現れたものではなく、3つの源流が占める狭い空間から生じた歴史的事実であることを強調している。 2.については、「精神」を問題とするとき、「事実」とは意味を了解して判然とするものであると同時に、半面では価値判断でもあることをヤスパースは主張しており、「枢軸時代」という歴史観には「了解と価値判断の一体化」がみられることを、自身の「感動」に言及して指摘している。また、このことは、やがて共通に了解され、その了解に密接して評価もなされて、全人類にとって重要な意義を有することが承認され、明らかにされるであろうとしている。 3.については、接触がないまま起源を異とする同時並行的な歴史事象について、ヤスパースは、そこにおける多数の通路が「同一の目標に通じているように思われる」として目的論的な歴史観を示し、個々人の断続的な接触によって、統一された世界史が構成されるであろうとの見通しを展開して、問題は平行関係のあり方だとしている。 いかなるたぐいの平行論が主張されているか 「平行関係のあり方」について、ヤスパースは、ユーラシア大陸の歴史においては数多くの平行現象が見られるとして、そのなかで特に日本の鎌倉新仏教における親鸞の思想を取り上げて、そこにみられる絶対他力や悪人正機にみられる信仰中心主義的な主張、戒律による独身の廃止などを打ち出した非僧非俗の考えなどにふれ、ルター派の根本教義と同一と言ってよいほどであると述べ、「全く驚きに価する」と評価している。 つづけてヤスパースは、「枢軸時代」は世界史的もしくは普遍的に、全体として一つの平行をなす唯一の実例であり、この平行関係にみられる親近性はわずか数世紀間に限って認められ、それ以後はむしろ分散的傾向を示すが、しかし、われわれは歴史を遡上するにつれてむしろ相互に身近なものと感じるのであり、これは単に偶然の一致ではないとして、類似例として四大文明の開始を示しながらも、この場合は数千年の開きがあり、「魔術的宗教」 の存在に共通点があるが、いずれも哲学的意識を欠き、救済を求める契機をもたず、「限界状況」に直面しての自由へのドゥルヒブルツフ(破開)の体験をともなわないものであり、建築や造形物など芸術作品から察せられる、つかみどころのないものであるとしている。 この事実は何に起因するか なぜ異なる3つの箇所で相互に無関係に平行現象が生じたかについて、ヤスパースは、ドイツの古代史家エドゥアルト・マイヤー『古代史 Ⅰ』における見解、すなわち、人類に備わっている先天的能力ないし素質とも呼ぶべきものが同等の生物学的発展によって別個に発現したとする見解を、引き離されて育った一卵性双生児の生活史にみえる偶然の一致のようなものだとして批判し、また、歴史哲学者ラソーの「人類の全生命の共通の震動」に原因を求める見解、ヴィクトール・フォン・シュトラウスの「人類が統一的な起源をもつゆえの、人類の全機制」に由縁を求める見解、カイザーリンクの「歴史の転換期において、同じ意識をもつ変化が巨大な空間と相互に無縁であった諸民族の間に行きわたる」とする見解のいずれをも排している。 これらに対し、ヤスパースが方法論的に論議可能な唯一の答えであるとして評価するのが、社会学者アルフレート・ウェーバーの仮説である。 A.ウェーバー『文化社会学としての文化史』(1935)によれば、戦車を有し、騎乗を知った民族が中央アジアから中国、インド、西洋の各地に侵入して、3つの文化圏の人びとに広い世界の経験を味わわせ、冒険や破滅とともに生存への懐疑の意識を育て、英雄的ないし悲劇的な感性を生じさせて、従来の、社会的拘束力が強く、個人の意識はまどろんだままの「母権的文化」との対決を招いたというのである。 ヤスパースはウェーバー仮説に対し、中国ではどのような悲劇的意識(ペーソス)も英雄史詩(エポス)も生まなかったとし、パレスティナでは騎馬民族との間に文化的混淆は起こらなかったにもかかわらず預言者たちがあらわれ、また、インド・ヨーロッパ語族の侵入は長期間にわたるものであることを反証として掲げ、A.ウェーバーが最終的には「ユーラシア的連関」なる曖昧な主張に置換してしまっていることを指摘している。結局、この現象をより簡便に説明するのは、自身が前掲した諸条件、すなわち多数の小国家・小都市の群立と相互の闘争に終始する政治的分裂、破壊およびその不徹底、同時的繁栄とそれによって引き起こされる危機、また、以上のことがらに由来する従前の諸状態に対する懐疑などがその原因であろうとしている。 枢軸時代の意義の問題 ヤスパースは、原因とは別個に問題になるのはその意義であろうとして再び検討を加えている。 枢軸時代は普遍史の基礎となり、あらゆる人間をして精神的に枢軸時代につながる存在だとの意識に引き込んだ。このことは、信仰の違いを超えて全人類に共通する何ものかを勝ち取ることとなる。 中国、インド、西洋の3通りのプロセスがあることは、自らを明らかにし、それぞれの歴史性の閉鎖的な狭さを克服し、広がりをもったものとしてとらえ直すのに有用であり、一つの信仰が真理を独占しているというような錯誤から人びとを解き放つことができる。 枢軸時代を基準にしたとき、後世における真に新たなるもの、または真に偉大なるものを照らし出すことができる。 以上3点が、ヤスパースの掲げた「枢軸時代」の歴史的意義であった。
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