玉錦三右エ門とは? わかりやすく解説

玉錦三右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 07:17 UTC 版)

玉錦 三右エ門(たまにしき さんえもん、1903年明治36年〉12月15日[注 3] - 1938年昭和13年〉12月4日)は、高知県高知市出身で二所ノ関部屋 (一時期粂川部屋)に所属した大相撲力士。第32代横綱。本名は西ノ内 彌寿喜(にしのうち やすき)。


注釈

  1. ^ 1931年頃の強豪力士を指す言葉で、玉錦の他に天竜三郎武蔵山武男女ノ川登三がいる。
  2. ^ 寶川政治真鶴秀五郎銚子灘傳右エ門新海幸蔵、そして玉錦を表す総称であり、いずれも気性が荒く喧嘩っ早い力士であった。
  3. ^ 戸籍上は11月15日
  4. ^ はじめて5大関が出揃うのは戦後の1947年6月場所でのことで、のち2012年5月場所では6大関も実現したが、昭和初期の当時としては全く考えられないことだった。
  5. ^ 当時、年間場所数は東京:2場所、関西:2場所の年4場所制で、番付の昇降は毎場所ごとでは無く、2場所(東京・関西本場所)合算の成績によって、年2回だけ番付が移動した。従って、4場所連続で優勝しても「2連覇」という扱いになり、大相撲の東西合併から春秋園事件までの間は誰も横綱に昇進していない。
  6. ^ 年4場所から2場所に戻った後に横綱へ昇進した武藏山武男女ノ川登三は、大関時代に1度も優勝どころか優勝同点さえ記録していない。それなのにも関わらず、横綱へ昇進できた2人に対する番付上の優遇を考えれば、冷遇され続けた玉錦にとって納得できるはずのない結果だったと言える。
  7. ^ 玉の海正洋は玉錦の直弟子の佐賀ノ花勝巳が師匠だった当時の二所ノ関部屋入門で、同じく玉錦の直弟子だった玉乃海太三郎が二所ノ関部屋から独立して興した片男波部屋に移籍していた。
  8. ^ これはかつて出羽ノ海部屋に預けられていた頃、預かり弟子という理由で冷遇された自分に対して、ただ1人熱心に面倒を見てくれた栃木山に対して恩義を感じていたことによるという。
  9. ^ 1932年に入幕した双葉山は角界関係者からうっちゃり主体の相撲を皮肉られていたが、玉錦のみは「双葉の相撲はあれで良いのだ。今に力がつく。」と将来性を評価した上でその相撲振りを認めていた。
  10. ^ 他に男女ノ川と清水川元吉が、13尺土俵時代に優勝同点、15尺土俵時代に優勝を経験している
  11. ^ 夏場所後の12月4日に死去

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 【大相撲豪傑列伝】(10)協会幹部を日本刀で襲撃 玉錦三右衛門 産経新聞 2008.11.29 16:55
  2. ^ 横山健堂 著『日本相撲史』,富山房,昭和18.国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 『香南読本』七.友綱と玉錦,香美郡第二区職員会,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 石井代蔵『土俵の修羅』時事通信社「友綱再興に燃えた喧嘩玉錦」
  5. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p8-10
  6. ^ 小島貞ニ『物語相撲部屋』P156
  7. ^ 小島貞ニ『物語相撲部屋』P157
  8. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p42
  9. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号44頁
  10. ^ 『相撲』1975年5月号
  11. ^ 尾崎士郎 著『相撲随筆』玉錦について,野田書房,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ a b リベンジの機会を奪われた横綱 横綱玉錦(虫垂炎) THE STRATEGIC MANAGER 2008年12月掲載
  13. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p10
  14. ^ 玉錦三右衛門の墓”. 高知県香南市. 2021年10月2日閲覧。
  15. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p58-59
  16. ^ a b c 花籠 昶光 『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社P36
  17. ^ 近藤勝『名横綱玉錦伝』P202 高知新聞社、1992
  18. ^ 小島貞ニ『物語相撲部屋』P168
  19. ^ 近藤勝『名横綱玉錦伝』P205 高知新聞社、1992
  20. ^ 小島貞ニ『物語相撲部屋』P164
  21. ^ 消化試合に手を抜かぬ「米長哲学」と玉錦の教訓 2011年3月7日(月)08:00 産経新聞
  22. ^ 『相撲』1971年3月号
  23. ^ 1999年12月31日、NHK スポーツの20世紀 名力士・名勝負100年
  24. ^ 田岡一雄『山口組三代目 田岡一雄自伝』p.61-72。徳間書店、2006年
  25. ^ 大阪・岸和田の元ヤン芸人が語る「ケンカ甲子園」 『クローズ』に影響されたその内容とは”. ABEMA TIMES (2017年11月30日). 2020年5月25日閲覧。


「玉錦三右エ門」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「玉錦三右エ門」の関連用語

玉錦三右エ門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



玉錦三右エ門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの玉錦三右エ門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS