この制度下で幕内最高優勝を逃した力士とは? わかりやすく解説

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この制度下で幕内最高優勝を逃した力士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 06:34 UTC 版)

番付上位者優勝制度」の記事における「この制度下で幕内最高優勝を逃した力士」の解説

場所四股名地位成績対戦優勝力士地位成績)備考1916年1月場所 源氏山大五郎 東前13 9勝1敗 2代西ノ海嘉治郎東大関 • 8勝1分1休 源氏山はのちの3代西ノ海で、この場所新入幕2代西ノ海の1休は相手力士休場 1917年5月場所 大潮又吉 西前13 9勝1預 栃木山守也西大関 • 9勝1預 1920年5月場所 栃木山守也 西張出横綱 8勝1分1預 大錦卯一郎 • 西横綱 • 9勝1敗 1923年1月場所 源氏山大五郎 西大関 8勝1敗1分 分 栃木山守也 • 東張出横綱 • 8勝1敗1分 栃木山千秋楽1敗同士対戦勝てば優勝だったが引き分ける1925年5月場所 出羽ヶ嶽文治郎 西前2 9勝2敗 ● 3代西ノ海嘉治郎東横綱 • 9勝2敗 1926年5月場所 錦洋与三郎 西前12 10勝1敗 大蛇山酉之助西前頭8 • 10勝1敗 1927年10月場所 能代潟錦作 西大10勝1敗 ○ 常ノ花寛市東横綱 • 10勝1敗 常ノ花には不戦勝1あり。 1928年1月場所 三杦磯善七 西前13 10勝1敗 常陸岩英太郎東大関 • 10勝1敗 常陸岩には不戦勝1があり、この扱いめぐって紛糾した末三杦磯にも優勝額贈呈されている。 1928年10月場所 常ノ花寛市 西横綱 9勝2敗 ○ 宮城山福松東横綱 • 9勝2敗 直接対戦優勝決定後能代潟には勝利能代潟錦作張出大関 9勝2敗 10日目常ノ花敗れたことで、宮城山優勝決定1929年3月場所 玉錦三右エ門 東関脇 9勝2敗 ○ 豊國福馬 • 西大関 • 9勝2敗 不戦勝1あり。男女ノ川にも勝利男女ノ川三郎 西前4 9勝2敗 玉錦には敗戦1929年9月場所 宮城山福松 西横綱 8勝3敗 ○ 常ノ花寛市東横綱 • 8勝3敗 直接対戦優勝決定後豊國朝潮とは対戦なし。 豊國福馬 西大関 8勝3敗 ○ 直接対戦優勝決定後宮城山朝潮とは対戦なし。 朝潮三郎 西前2 8勝3敗 ● もと男女ノ川宮城山豊國とは対戦なし。 1930年1月場所 玉錦三右エ門 東関脇 9勝2敗 ○ 豊國福馬 • 西大関 • 9勝2敗 武藏山とは対戦なし。 武藏山武 東前2 9勝2敗 ● 玉錦とは対戦なし。 1930年3月場所 天竜三郎 東前頭1 10勝1敗 常ノ花寛市東横綱 • 10勝1敗 1930年10月場所 武藏山武小結 9勝2敗 ● 玉錦三右エ門 • 西張出大関 • 9勝2敗 朝潮清水川には勝利朝潮三郎 西前1 9勝2敗 武蔵山敗戦清水川とは対戦なし。 清水川元吉 西前3 9勝2敗 武蔵山敗戦朝潮とは対戦なし。 1931年1月場所 朝潮三郎 東関脇 9勝2敗 玉錦三右エ門東大関 • 9勝2敗 不戦勝1あり。鏡岩とも対戦なし。 鏡岩善四郎 東前14 9勝2敗 朝潮とも対戦なし。 1931年3月場所 武藏山武 西小10勝1敗 ● 玉錦三右エ門東大関 • 10勝1敗 千秋楽玉錦全勝と1敗で対戦、勝つか引き分け優勝の一番に敗れる。 1931年5月場所 清水川元吉 西前3 10勝1敗 ○ 武藏山武 • 東小結10勝1敗 1932年5月場所 清水川元吉張出大関 10勝1敗 ○ 玉錦三右エ門東大関 • 10勝1敗 1932年10月場所 沖ツ海福雄 東関脇 9勝2敗 ○ 清水川元吉 • 東張出大関 • 9勝2敗 高登敗戦、瓊ノ浦とは対戦なし。 高登渉 西前1 9勝2敗 ● 沖ツ海には勝利、瓊ノ浦とは対戦なし。 瓊ノ浦勇雄 西前6 9勝2敗 沖ツ海・高登とも対戦なし。 1933年5月場所 寶川政治 西前14 10勝1敗 玉錦三右エ門東横綱 • 10勝1敗 1935年1月場所 鏡岩善四郎 東前8 10勝1敗 玉錦三右エ門東横綱 • 10勝1敗 1941年1月場所 羽黒山政司 西大14勝1敗 双葉山定次 • 西横綱14勝1敗 1942年5月場所 安藝ノ海節男 西大13勝2敗 ● 双葉山定次東横綱 • 13勝2敗 千秋楽双葉山と1敗と2敗で対戦、勝つか引き分け優勝の一番に敗れる。照國とは対戦なし。 照國萬藏 西張出大関 13勝2敗 ○ 13日目に優勝可能性消滅双葉山との直接対戦14日目。安藝ノ海とは対戦なし。 1944年11月場所 東富士欽壹 西関脇 9勝1敗 前田山英五郎西大関 • 9勝1敗 若瀬川泰二 西前14 9勝1敗 1945年11月場所 千代ノ山昌治 東前10 10全勝 羽黒山政司 • 西横綱10全勝 この場所新入幕全勝土つかず優勝逃した最後の例。 対戦優勝者との直接対戦空欄対戦なし。

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