三杦磯善七とは? わかりやすく解説

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三杦磯善七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 02:48 UTC 版)

三杦磯 善七(みすぎいそ ぜんしち、1892年11月26日 - 1951年4月22日)は、北海道爾志郡熊石村(現:北海道二海郡八雲町)出身で伊勢ノ海部屋(入門時は尾車部屋)に所属した大相撲力士。本名は小西 善七(こにし ぜんしち)。最高位は東関脇。明治時代以降初の北海道出身関取[1]


  1. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p97
  2. ^ 実際にはその前の1927年10月場所において、優勝した常ノ花寛市の勝利数にも不戦勝が含まれており、優勝同点で能代潟錦作がいた。この時と全く同じ状況だったが、その時は問題に発展しなかった。今回は前回と同様の事態、さらに幕内下位と大関という番付の差が大きかったことも騒動に発展した一因と思われる。
  3. ^ 三杉礒はこれ以降優勝経験が無いため、梅ヶ谷藤太郎 (2代)と共に「優勝経験が無いのに優勝額を所持する力士」となった。ただし、梅ヶ谷は優勝額掲額制度の制定(1909年6月場所)以前に、優勝相当成績を4回挙げている。


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