江戸時代〜昭和時代とは? わかりやすく解説

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江戸時代〜昭和(戦前・戦中)時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:47 UTC 版)

取組」の記事における「江戸時代昭和戦前戦中時代」の解説

1778年安永7年3月場所より、それまで8日興行から10日興行延長されたが、千秋楽には幕内力士取組少なかった1826年文政9年1月場所から千秋楽原則的に幕下以下力士のみの取組となり1856年安政3年1月場所白真弓最後に幕内力士取組なくなった。これは1909年明治42年1月場所まで続いた本場所番付下位力士取組から進行する原則は、江戸時代から現在まで変わっていない。しかし、現在と違って屋外での興業だった時代天候打ち出しまでもつか不安があるよう場合役力士取組前倒し行ったり、最初から前半戦後半戦それぞれの最後に役力士登場するような割が組まれることもあった。 1909年6月場所、両国常設館(旧両国国技館)が開館され江戸時代より続いた晴天10日興行晴雨関わらず10日興行改められそれまで幕内力士千秋楽休場しいたもの10日皆勤出場となり、千秋楽にも幕内力士取組が行われるようになった1928年1月場所西前13目で10全勝優勝争い先頭立っていた三杦磯善七千秋楽11日制)の相手は東張出小結玉錦三右エ門幕尻近く力士三役力士当てられることは当時考えられないことで、世間ベテラン三杦磯の優勝応援したため騒動になった結果、三杦磯は玉錦破れ、同じ10勝1敗の東大常陸岩英太郎番付上位のため優勝。場所後、相撲協会幕内下位力士であっても成績次第上位対戦させる方針を公式に表明した1943年昭和18年5月場所開催4月10日目前頭17龍王山-同10青葉山戦は、再三取り直し勝負がつかず引き分け協会預りとなった。翌11日目の朝協会は「敢闘精神欠如」として2人無期限出場停止とする前代未聞裁定下す連合艦隊司令長官山本五十六元帥戦死の報が伝えられ国技館でも取組中断して黙祷などが行われた直後取組だったこともあり、戦局激化角界にも影響及ぼした形だった。その後力士会会長双葉山)の抗議によって両力士出場停止2日間で解かれ13日目今度こそ決着まで敢闘尽くすよう勧告の上両者再戦組まれ青葉山速攻勝利した

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「江戸時代〜昭和(戦前・戦中)時代」を含む「取組」の記事については、「取組」の概要を参照ください。

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