江戸時代からの活動
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近世以降の明王太郎のあゆみは棟札や文書に多く残されている。関係の深い大山寺を中心に相州の寺社造営を広く手がけ、相模国の延喜式内社13社のうち半数の造営に携わるなど、格式ある神社からも信頼を寄せられていた。また相州以外にも活動範囲を広げ、幕府の事業である日光東照宮修復、江戸城西の丸普請、京都御所清涼殿普請、江戸城本丸造営にも参加している。 安永2年(1773年)、工匠明王太郎一門の祖神を意味する「明王工門霊神(みょうおうぐとのれいじん)」の神号を白川伯王家より授かり、以降は祖神として明王太郎文観を祀った。 江戸時代中期以降の明王太郎は神輿の造営も手がけている。相州二宮の梅宮流に対して「大山流」と呼ばれ、相州神輿の双璧を成した。 昭和26年(1951年)に手中明王太郎景堯が亡くなり跡を継ぐ者がいなくなったことで、宮大工棟梁としての明王太郎はその歴史に幕を下ろした。
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