東照宮とは? わかりやすく解説

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とうしょう‐ぐう〔トウセウ‐〕【東照宮】

読み方:とうしょうぐう

【一】徳川家康を祭る神社初め東照社称された。家康初め久能山葬られたが、日光社殿営まれ東照大権現として奉斎。正保2年(1645)宮号授けられると、全国の社も東照宮と改称した

【二】栃木県日光市にある神社祭神徳川家康主神とし、源頼朝豊臣秀吉配祀(はいし)。元和3年1617)に駿河久能山より家康の霊を遷して祭ったのに始まる。本殿・拝殿唐門陽明門などは国宝平成11年1999)「日光の社寺」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

徳川家康祀る神社の名称。


東照宮

名称: 東照宮
ふりがな とうしょうぐう
名称(棟): 本殿
名称(ふりがな): ほんでん
番号 1196
種別1: 近世以前神社
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1953.03.31(昭和28.03.31)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 宮城県
都道府県 宮城県仙台市青葉区東照宮1
所有者名: 東照宮
指定基準
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 桁行三間梁間二間一重入母屋造向拝一間瓦葺
時代区分 江戸前期
年代 承応3(1654)
解説文: 随身門はすでに指定されている本殿等と同時に建立され三間一戸楼門で、質がよく、正背面中央にも組物備えるなどの特色をもつ。 石灯篭伊達藩一族重臣達が寄進したもので、すべて年号寄進者の刻銘がある。 社殿境内一部形成するものとして重要である。

東照宮


東照宮


東照宮


東照宮


東照宮


東照宮

重要文化財のほかの用語一覧
近世以前(神社):  東照宮  東照宮  東照宮  東照宮  東照宮旧奥社  東照宮本殿  東照宮社殿

東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

教団 神社本庁

所在 北海道函館市

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

教団 神社本庁

所在 岐阜県高山市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 権現さま

教団 神社本庁

所在 愛知県名古屋市中区

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 鳳来山東照宮

教団 神社本庁

所在 愛知県南設楽郡鳳来町

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 権現

教団 神社本庁

所在 和歌山県和歌山市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 権現様

教団 神社本庁

所在 岡山県岡山市


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 ごんげんさん

教団 神社本庁

所在 広島県広島市東区

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 津軽国東照宮弘前東照宮

教団 神社本庁

所在 青森県弘前市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 仙台東照宮

教団 神社本庁

所在 宮城県仙台市青葉区

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 権現さん

教団 神社本庁

所在 茨城県水戸市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

教団 神社本庁

所在 栃木県日光市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 権現様

教団 神社本庁

所在 群馬県前橋市

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 世良田東照宮

教団 神社本庁

所在 群馬県新田郡尾島町

祭神 徳川家康 ほか


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

教団 神社本庁

所在 東京都港区

祭神 徳川家康


東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

別名 おみくじ権現さま

教団 神社本庁

所在 東京都台東区

祭神 徳川家康 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

所在 宮城県仙台市青葉区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

東照宮

読み方:トウショウグウ(toushouguu)

所在 宮城県(JR仙山線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

東照宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 09:21 UTC 版)

日光東照宮(栃木県日光市)
久能山東照宮(静岡県静岡市)
滝山東照宮(愛知県岡崎市)
金地院東照宮(京都府京都市)
長崎東照宮(長崎県長崎市)

東照宮(とうしょうぐう)は、江戸幕府初代将軍徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。

沿革

元和2年(1616年4月2日、今際の徳川家康は金地院崇伝南光坊天海本多正純を呼び、次のように遺言した[1]

御大漸の後は久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし、京都には南禅寺金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし — 『徳川実紀』「台徳院殿御実紀巻四十二」

同年4月17日、家康は駿府城で薨去し、柩はその晩に久能山へ運ばれた。同年12月、江戸幕府は遺言に従って久能山に東照社(現・久能山東照宮)を創建した。これに伴い朝廷は翌元和3年(1617年2月21日、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位を贈位、さらに神格化された家康本人に対しても同年3月9日正一位を贈位している。幕府は日光にも東照社の建設を進め、家康薨去の一周忌にあたる同年4月17日に遷座祭を挙行、ここに二つの東照大権現が並び立つことになった。また、ほぼ同時期に2代将軍の徳川秀忠は、江戸城内の紅葉山にも東照社の社殿を造営した(紅葉山東照宮)[2]正保2年(1645年)には宮号の宣下があり、東照社は東照宮と号するようになった。

以後、東照社(東照宮)は各地の幕府領に建てられただけでなく、家康の子孫である御三家など親藩も独自に望んで勧請し、また3代将軍の徳川家光が諸大名に造営を勧めたこともあって、譜代大名および将軍家と縁戚関係がある外様大名も競って東照大権現を祀り、全国で500社超が建てられるに至った(廃絶されたものを含めると約700社が確認されている[3])。しかし、明治維新による江戸幕府の崩壊とそれに続く神仏分離廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社となっている。

これらの東照宮のうち、本宮の日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて「日本三大東照宮」と称す東照宮は多いが、規模・華麗さで劣る南禅寺塔頭金地院東照宮が幕府の正史に遺言が残り家康の遺髪及び持念佛を祀っている。

宣命

贈東照大権現

日光東照宮陽明門に掲げられた「東照大権現」の勅額(後水尾天皇の宸筆
天皇我詔旨良萬止、故柳營大相國源朝臣爾詔倍止、敕命乎聞食止宣、振威風於異邦之域比、施寬仁於率土之閒須、行善敦而德顯留、身既沒而名存勢利、崇其靈氐、東關乃奧域爾大宮柱廣敷立氐、吉日良辰乎撰定氐、東照乃大權現止上給比治賜布、此狀乎平介久安介久聞食氐、靈驗新爾天皇朝廷乎寳位無動久、常磐堅磐爾夜守日守爾、護幸給比氐、天下陞平爾、海內靜謐爾、護恤賜倍度、恐美恐美毛申賜閇久止申 元和三年二月廿一日 — 日光東照宮文書
天皇(すめら=後水尾天皇)が詔旨(おほみこと)らまと、故柳営大相国(もとのりうえいだいそうこく)源朝臣に詔(のら)へと、勅命(おほみこと)を聞食(きこしめせ)と宣(のたま)ふ、威風を異邦(とつくに)の域(さかひ)に振(ふる)ひ、寛仁を率土の間に施す、善を行ふこと敦(あつ)くして徳顕(あらは)る、身既に没(みまか)りて名存せり、其の霊(みたま)を崇(たふと)びて東関(あづまのくに)の奥域(おくつき)に大宮柱(おほみやはしら)広敷立(ひろしきた)て、吉日良辰(よきひのよきとき)を択(えら)び定めて、東照の大権現と上(のぼ)せ給ひ治め賜ふ、此の状(さま)を平(たいら)けく安(やすら)けく聞食(きこしめ)して、霊験(みしるし)新たに天皇(すめら)が朝廷(みかど)を宝位(あまつひつぎ)動くこと無く、常磐(ときは)に堅磐(かきは)に夜守日守(よのまもりひのまもり)に、護(まもり)幸(さきは)ひ給ひて、天下昇平(あめがしたむくさか)に、海内静謐(くぬちおだひ)に、護(まもり)恤(めぐみ)賜へと、恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申す 元和三年(1617年)二月二十一日

贈正一位

東照大權現贈正一位敕宣、仰太政大臣御諱、幼少之從昔敵之囲陣仁閒連、其囲於遁禮、若年之從時心武久、長年志而古代之名將爾越而、武威於日本爾輝志、逆亂於治、庶民安閑之思乎成、是彼朝臣我忠功多利、依而在世之忠義尾感志、神靈登仰、東之守護神多羅旡事尾敕命有而、宣旨尾宣給布 元和三年二月廿一日 — 日光東照宮文書
東照大権現に正一位(おほいひとつのくらゐ)を贈る勅(おほみこと)宣(のたま)ふ、仰(そも)太政大臣(おほいまつりことのおほいまちきみ)御諱(おんいみな)、幼少(おさな)き昔より敵の陣に囲まれ、その囲(かこみ)を遁(のが)れ、若年(わかきよはひ)の時より心武(たけ)く、長年(ながきとし)にして古代の名将に越えて、武威(たけきいかしきさま)を日本(ひのもと)に輝(かがやか)し、逆乱(あらがひみだるるよ)を治め、庶民(あをひとぐさ)安閑(うらやすし)の思(おもひ)を成す、是(これ)彼の朝臣が忠功(まめなるいさをし)たり、依って在世(うつしよ)の忠義(まめなるつかへ)を感じ、神霊(みたま)と仰ぎ、東の守護神(まもりのかみ)たらむ事を勅命(おほみこと)有りて宣旨を宣給(のりたま)ふ 元和三年 (1617) 二月二十一日

宮号宣下

天皇我詔旨度、掛畏岐日光乃東照大權現乃廣前爾恐美恐美毛申賜閇久止申左久、元和三年勸請世留良辰爾奉授正一位禮留以降、海內安全爾之氐、年序毛積禮利、殊朕以薄德氐天之日嗣尾承傳給布、又武運毛延長爾之氐、子孫相續之、公武繁榮奈留者、偏是權現之廣御惠美、厚御助奈利、故是有所念行事氐、今改社氐宮止崇奉留、吉日良辰乎撰定氐、正二位行前大納言兼前右近衞大將藤原朝臣經季乎差使氐、古御位記乎改氐、令捧持氐、奉出給布、權現此狀乎平久安久聞食氐、天皇朝廷乎寳祚無動久、常磐堅磐爾、夜守日守爾、護幸賜比氐、一天安穏爾萬國豐稔爾、護恤賜倍度、恐美恐美毛申賜閇久止申 正保二年十一月三日 — 日光東照宮文書
天皇(すめら=後光明天皇)が詔旨(おほみこと)らまと、掛けまくも畏(かしこ)き日光の東照大権現の広前(ひろまへ)に恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申さく、元和三年勧請(くわんじやう)せる良辰(よきとき)に正一位(おほいひとつのくらゐ)を授げ奉(たてまつ)れるより以降(このかた)、海内安全(くぬちおだひ)にして年序(としつき)も積もれり、殊(こと)に朕薄徳を以(も)て天之日嗣(あまつひつぎ)を承(う)け伝へ給ふ、又武運も延長にして、子孫相続(うみのこのつづき)し、公武繁栄なるは、偏(ひとへ)に是(これ)権現の広き御恵(おんめぐみ)、厚き御助(おんあなない)なり、故是(かれここ)に所念行(おもほす)の事有りて、今、社を改めて宮と崇(たふと)み奉(まつ)る、吉日良辰(よきひのよきとき)を択び定めて、正二位(おほいふたつのくらゐ)行(ぎやう)前大納言(さきのおほいものまうすつかさ)兼(かねて)前右近衛大将(さきのみぎのちかきまもりのつかさのかみ)藤原朝臣経季(=今出川経季)を差し使はして、古き御位記を改めて捧げ持たしめて、出(いだ)し奉(たてまつ)り給ふ、権現此の状(さま)を平(たひらけ)く安(やすらけ)く聞食(きこしめし)て、天皇(すめら)が朝廷(みかど)を宝祚(あまつひつぎ)動き無く、常磐堅磐(ときはかきは)に夜守日守(よのまもりひのまもり)に護幸(まもりさきは)ひ賜ひて一天安穏(あめのしたおだひ)に万国豊稔(よろづみのりゆたか)に護(まも)り恤(めぐ)み給へと、恐(かしこ)み恐みも申し賜はくと申す 正保二年(1645年)十一月三日

東照宮の一覧

正式名称は「東照宮」としながら、他との区別のため「<地名>東照宮」と名乗る神社も多い[4]

北海道・東北地方

渡島振興局(北海道)
青森県
宮城県
  • 仙台東照宮 - 仙台市青葉区。本殿や唐門は国の重要文化財。仙台を統治した伊達家は徳川家と縁があり、また大火や水害などによって疲弊した経済を幕府によって救済された恩義から、伊達忠宗が幕府への忠心の証左として東照宮を徳川家光に勧請したもの。
福島県

関東地方

茨城県
水戸徳川家の水戸東照宮
栃木県
群馬県
  • 世良田東照宮 - 太田市。三大東照宮を称していたことがある。本殿は日光東照宮から移築されたもので、拝殿などを含め国の重要文化財。明治時代の神仏分離令によって長楽寺から移築された。この地に東照宮が鎮座するようになったのは、徳川家が新田氏世良田氏の裔を称していたため。
  • 徳川東照宮 - 太田市。世良田宮が建てられたのを機に地元郷士が私邸に建てたもの。
  • 前橋東照宮 - 前橋市。徳川家康の二男結城秀康の五男松平直基ゆかりの東照宮。創建時は当時直基の領地であった越前勝山に建てられていたが、直基流松平家(結城松平家)は転封を繰り返していたためにこれに伴い同社も移転を続け、現在の前橋に設けられたのは明治4年(1871年)となっている。
埼玉県
仙波東照宮の本殿・平唐門
  • 仙波東照宮 - 川越市。三大東照宮を称す。本殿など6件の建築は国の重要文化財。天海による創建で、久能山から日光への改葬に際し、後水尾天皇から東照大権現の勅額を下賜している。
  • 忍東照宮 - 行田市。家康の長女の亀姫が家康像を拝領し、姫の死後に安置したのに始まる。また川崎東照宮に置かれていた御神体が安置されているが、これは鳥羽・伏見の戦いで被災を免れるため持ち運ばれて合祀したものである。
千葉県
東京都
江戸城内にあった紅葉山東照宮(『江戸図屏風』)
  • 紅葉山東照宮 - 千代田区元和4年(1618年3月4日江戸城内の紅葉山にて創建され[5]、将軍にとって最も身近な東照宮であった[6]。江戸幕府により直接管理され、秀忠以降の歴代将軍の御霊屋(霊廟)も併設されたほか、家康の命日である4月17日には将軍が参詣する「紅葉山御社参」が執り行われていたが、戊辰戦争での江戸開城により江戸城が皇城となって徳川宗家が退去するに伴い、明治政府が徳川家達に社殿の撤廃を命じたため、明治2年(1869年)3月から8月にかけて破却された[7][8]。近代以後は跡地に紅葉山御養蚕所が置かれているが、扁額徳川記念財団所蔵)[9]、御簾(津山郷土博物館所蔵)[10]、石鳥居(上野東照宮の不忍口に移築)、鳳来山東照宮の宮殿(厨子)と神像など、所縁の資料や遺構が各地に保存されている。なお、江戸時代前期には、江戸城の本丸や二の丸にも東照社(宮号宣下前)が建っていた時期があった[6]
  • 上野東照宮 - 台東区。徳川家康の命によって藤堂高虎津藩下屋敷の敷地内(後に寛永寺の境内となる)に設けられた。寛永4年(1627年)創建、慶安4年(1651年)に徳川家光により造営替えした社殿が現存する。関東大震災と戦災を免れており、社殿・唐門・透塀・銅灯篭・大石鳥居が国の重要文化財に指定されている。三大東照宮こそは称していないが、下記の芝東照宮が「四大東照宮の一つ」に含めている。池の端参道にある不忍口石鳥居はかつての紅葉山東照宮から明治6年(1873年)に移築したもの。
  • 芝東照宮港区。当初は増上寺の管轄だったが、神仏分離令により明治6年(1873年)に独立の神社となる。その絢爛豪華さから「日光・久能山・上野に並ぶ四大東照宮の一つ」と称している。御神体の家康像は家康が還暦を迎えた折に作らせた物で、戦災を免れ都指定有形文化財になっている。ただし本殿は戦災で焼失し、昭和44年(1969年)に再建。
  • 東照宮 - 府中市大國魂神社の境内末社。久能山から日光山への遷座の際に霊柩が武蔵国府の斎場で一夜を明かし、大國魂神社の宮司が祭祀を務めたことを後世に伝えるため、徳川秀忠の命により建立された[11]

中部地方

新潟県
長野県
石川県
  • 金沢東照宮 - 金沢市加賀藩が勧請した。金沢城北の丸に建てられ、「北陸の日光」と呼ばれるが明治時代に現在地に移される。現在の尾崎神社。本殿・拝殿・幣殿等は重要文化財。
福井県
岐阜県
岐阜東照宮岐阜県岐阜市
静岡県
愛知県
尾張徳川家の名古屋東照宮
三大東照宮に数えられる鳳来山東照宮
  • 滝山東照宮 - 岡崎市。三大東照宮を称す。本殿・拝殿・中門・鳥居などは国の重要文化財。岡崎は徳川家康の生誕地で、岡崎城近辺に東照宮勧請を願った徳川家光によって滝山寺境内に創建された。明治の神仏分離によって滝山寺から独立したが、境内は同じ場所にある。
  • 大樹寺東照宮 - 岡崎市。松平家菩提寺。東照宮は現存せず不明。
  • 岡崎東照宮 - 岡崎市。かつて岡崎城内にあった。現在の龍城神社
  • 本宿東照宮 - 岡崎市。法蔵寺境内。
  • 松平東照宮 - 豊田市
  • 鳳来山東照宮 - 新城市。三大東照宮を称す。本殿や拝殿などは国の重要文化財で、境内は国の名勝及び天然記念物。鳳来寺が徳川家康を儲けた於大の方が参籠したことを知り、感銘を受けた徳川家光と遺志を継いだ徳川家綱の命によって創建された東照宮。
  • 名古屋東照宮 - 名古屋市中区。元々名古屋城三之丸にあったため、かつては三之丸東照宮とも呼ばれていた。尾張徳川家の藩祖徳川義直が、父家康の三回忌の翌年の元和5年(1619年)に創祀したのに始まる。明治8年(1875年)に現在の場所に移築される。かつては国宝にも指定されていた壮麗な唐様権現造で知られたが、昭和20年(1945年)の大戦の戦災により焼失したため、昭和29年(1954年)に建中寺にある義直の正室春姫(高原院)の御霊屋を移築して代わりに社殿としている。

近畿地方

三重県
滋賀県
  • 日吉東照宮 - 大津市。本殿と拝殿は国の重要文化財。「関西の日光」とも呼ばれている。東照宮が豪奢絢爛に装飾されるようになった嚆矢は天海上人の手による元和9年(1623年)創建の日吉東照宮で、これが唐様権現造と呼ばれる日光東照宮の雛形なったと言われている。日吉大社は権現信仰のモデルになった日吉信仰の総本社でもある。
京都府
  • 金地院東照宮 - 京都市左京区。臨済宗南禅寺派の名刹、金地院境内に設けられる。本殿、拝殿は国の重要文化財。幕府の公式記録に残る家康の遺言により建てられた3社の一つ。家康の遺髪を祀る。
  • 東本願寺東照宮 - 京都市下京区東本願寺境内にあったが焼失し現存しない。
  • 圓光寺東照宮 - 京都市左京区。家康の歯が埋葬されている。
和歌山県
紀州徳川家の紀州東照宮
  • 紀州東照宮 - 和歌山県和歌山市。本殿・唐門・楼門・廻廊などは国の重要文化財。元和7年(1621年)に紀州徳川家の藩祖徳川頼宣により南海道の総鎮護として景勝地の和歌浦に創建されたのに始まる。早くから江戸時代の観光娯楽だった参詣の地として知られるようになり、「和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津島、三に下がり松、四に塩釜よ、ヨイヨイヨイトナ」と民謡にも唄われる程だった。「関西の日光」または稀に「西の日光」とも呼ばれ、日光東照宮と同じく唐様権現造の社殿、左甚五郎作と伝えられる装飾、侍坂と呼ばれる急峻な108段の石段などで知られる。また和歌祭という例大祭は江戸時代屈指の壮麗な行事として知られ、毎年全国から見物客が訪れる程だった。
大阪府
  • 堺東照宮 - 堺市堺区南宗寺境内。昭和20年(1945年)の大戦の戦災により焼失し、以降に再建された「東照宮 徳川家康墓」が残る。
  • 佃東照宮 - 大阪市西淀川区田蓑神社境内。漁民と徳川家康との深い関わりによって奉られており、毎年5月17日には東照宮祭も営まれている。
  • 川崎東照宮 - 大阪市北区。元和3年(1617年)造営と他の東照宮より歴史は古かったが、豊臣色が強い地に造営したなど政治的思惑が強かった。鳥羽・伏見の戦いの直後、神体が忍東照宮へ移され、明治6年(1873年)に廃絶。跡地は造幣局などに転用された。
兵庫県
  • 圓教寺奥ノ院開山堂内 - 姫路市書写。圓教寺境内。開山堂の改築、寛文年間に内陣に設えられた。2代秀忠公以下13代家定公までのお位牌も安置されている。ご神体は明治期以来行方不明であったが平成22年(2010年)の修理にあたり、落慶法要時に久能山東照宮より分神を遷座した。明治以降初めてのこと。

中国地方

岡山県
  • 玉井宮東照宮 - 岡山市中区、玉井宮と東照宮と同じ山に二社別々に鎮座していたが明治になり合祀された神社岡山城並びに岡山城下町の総鎮守と創建された。中国地方で初めて勧請された東照宮である。本殿並びに石垣は東照宮の建物で、県指定の重要文化財となっている。
  • 愛山東照宮 - 津山市。天和2年(1682年)美作津山藩の3代藩主森長武が徳川幕府に対する忠誠の意を込めて、天台宗愛宕山地蔵院の境内に東照大権現堂を建てた。その後文化11年(1814年)に津山藩主松平家によって現在の社殿が建てられた。明治4年(1871年)の神仏分離によって東照宮は村柱になり、土地建物を地蔵院と二分して松平家の所有となったのち、昭和38年(1963年)に松平家が津山市に譲渡。その後改めて地蔵院が引き継いで現在に至る。
鳥取県
  • 鳥取東照宮 - 鳥取市、別名:因幡東照宮。以前は樗谿(おうちだに)神社という名称だったが、平成23年(2011年)に改称。本殿・唐門・拝殿などは国の重要文化財。鳥取藩初代藩主池田光仲により創建。光仲は家康の曾孫にあたるが、一方で池田家は豊臣恩顧の大名でもあったため、幕府への恭順を示して勧進している。慶安3年に落慶。
広島県
島根県
  • 石見銀山東照宮 - 大田市、勝源寺境内。銀山があり公儀御料になっていた大森に設けられた。

四国・九州地方

香川県
長崎県

出典

  1. ^ 台徳院殿御実紀巻四十二』、2024年8月29日閲覧。
  2. ^ 東照社竣工と宮号宣下 - 国立公文書館、2024年8月29日閲覧。
  3. ^ 地形把握も兼ねていた家康のタカ狩り 遷霊行列は中原と府中で「御殿」に宿泊 産経新聞2015.1.25
  4. ^ 仙台東照宮 – 仙台東照宮”. s-toshogu.jp (2017年4月19日). 2025年5月17日閲覧。
  5. ^ 台徳院殿御実紀巻四十二』、2024年8月29日閲覧。
  6. ^ a b 入口, 敦志「二ノ丸権現様興廃記」『調査研究報告』第28号、人間文化研究機構国文学研究資料館、2007年1月31日、29-50頁、ISSN 0289-0410NAID 1200057224222024年5月23日閲覧 
  7. ^ 明治以降の東照宮と家康 - 国立公文書館、2024年8月29日閲覧。
  8. ^ 明治以降の紅葉山霊廟 - 東京都立図書館、2024年12月2日閲覧。
  9. ^ 紅葉山東照宮扁額「東照大権現」(徳川記念財団) - 東京文化財研究所、2024年9月12日閲覧。
  10. ^ 紅葉山東照宮御簾 付 由緒書(津山郷土博物館) - 東京文化財研究所、2024年9月12日閲覧。
  11. ^ 東照宮 - 大國魂神社、2024年1月13日閲覧。
  12. ^ 『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2021年6月3日閲覧。
  13. ^ 『岐阜新聞』2021年 (令和3年) 6月2日号朝刊
  14. ^ 『日光東照宮と板垣退助』一般社団法人板垣退助先生顕彰会編纂、2021年(令和3年)6月2日出版による。
  15. ^ 『岐阜東照宮奉賛会しおり』伊奈波神社、2021年 (令和3年) による。
  16. ^ 国宝御社殿”. 久能山東照宮. 2020年7月26日閲覧。

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東照宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:36 UTC 版)

金地院」の記事における「東照宮」の解説

重要文化財小堀遠州による築。徳川家康遺言建てられ家康遺髪念持仏祀っている。権現造り幕府公式記録である『徳川実紀によれば家康元和2年1616年4月2日側近以心崇伝南光坊天海本多正純召し、「(遺体は)久能山納め奉り御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌三州三河国大樹寺に置れ、御周忌終て後下野国日光山小堂営造して祭奠すべし。京都には南禅寺中金地院へ小堂いとなみ所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」と遺言したという。江戸期には京都所司代番所置かれ創建当初日光東照宮比されていた。 社殿寛永5年1628年)に造営され拝殿は総漆塗り相の間本殿は軸部()を丹で、壁や扉は白・黄・緑といった極彩色彩られている。また拝殿天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれており、さらにその欄間には土佐光起画・青蓮院宮尊純法親王の書になる「三十六歌仙」額が掲げられている。 元禄6年1693年)、幕府により1千両をかけて社殿回り修復御門廊下新設が行われ、正徳4年1714年)、同じく幕府により社殿回り、門柵の修理が行われた。『京都御役所大概覚書』には修理終えた社殿規模について「東照宮御宮御幣殿御拝殿、御廊下御門御供所、南指出、表御門、御唐門御成御門」とある。

※この「東照宮」の解説は、「金地院」の解説の一部です。
「東照宮」を含む「金地院」の記事については、「金地院」の概要を参照ください。

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