伊奈忠政
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 天正13年(1585年) |
死没 | 元和4年3月10日(1618年4月5日) |
別名 | 通称:熊蔵 |
戒名 | 安養院殿前筑州大守万休一声大居士 |
墓所 | 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺 |
官位 | 従五位下、右馬助、筑後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
藩 | 武蔵小室藩主 |
氏族 | 伊奈氏 |
父母 | 父:伊奈忠次、母:深津氏 |
兄弟 | 忠政、忠治、日誉源貞(忠武)、忠公、忠雪、長直、忠氏、内藤正成室、宮田主馬室、 向井忠宗室 |
妻 | 酒井重忠の娘 |
子 | 忠勝、忠隆、加賀爪直澄正室、 片桐孝利正室 |
伊奈 忠政(いな ただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。武蔵小室藩第2代藩主。関東代官。
生涯
天正13年(1585年)、徳川氏の家臣・伊奈忠次の嫡男として誕生。
父に従って徳川家康の下で奉行職に就いていた。関ヶ原の戦いやその前哨戦である会津征伐などに従軍、主に小荷駄奉行などの後方支援などに従事したようである。家康が江戸に入ると父と共に検地や新田開発、河川改修に携わり、慶長15年(1610年)に父・忠次が死去すると、遺領を相続し関東代官職を継いだ。
その後も大坂の陣に従軍。冬の陣では外堀を埋め立てる際に普請奉行を務め、長柄川を堰き止める作業などに才を発揮、また夏の陣では首級を30挙げた。
元和4年(1618年)、死去。享年34。所領・家督は幼少の嫡男・忠勝が、関東代官職は弟の忠治がそれぞれ継いだ。
「日本一小さな東照宮」として知られる千葉県船橋市の船橋東照宮は、家康の命を受けた忠政が建立したものと伝わる。
脚注・参考文献
脚注
参考文献
- 『寛政重脩諸家譜 第1輯』国民図書、1922年、233頁 。
- 中村孝也『家康の政治経濟臣僚』雄山閣出版 、1978年 。
固有名詞の分類
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