伊奈忠敬とは? わかりやすく解説

伊奈忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 13:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

伊奈 忠敬(いな ただひろ、元文元年(1736年) - 安永7年3月12日1778年4月9日))は、江戸時代中期の旗本関東郡代柳沢吉里の六男。母は側室の大原氏。伊奈忠宥の養子。幼名大助。通称、半左衛門。妻は豊。子に伊奈忠善、美喜(伊奈忠尊室)。養子に伊奈忠尊(板倉勝澄の子)。

明和6年(1769年)12月7日、養父が没すると関東郡代に就任する。安永4年(1775年)、勘定吟味役首座となり同職を兼ねる。没後、婿養子の忠尊が跡を継いで関東郡代となる。忠尊に実子がなかったので忠善を養子にしたが、後に忠尊の側室に子ができた。このため内紛が起き、伊奈氏改易の口実となった。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊奈忠敬」の関連用語

伊奈忠敬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊奈忠敬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊奈忠敬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS