かい‐えき【改易】
改易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 02:15 UTC 版)
改易(かいえき、「改め易(か)える」の意)は、原義では律令制度において現職者の任を解き、新任者を補任することである。中世以降は刑罰の一種と見なされ、鎌倉時代から室町時代においては守護や地頭職の変更と所領の没収、江戸時代においては大名や旗本の所領、家禄、屋敷の没収および士分の剥奪を意味した。なお、後者の場合、除封ともいい、所領を削減されることは減封という。武家社会においては蟄居より重く、切腹より軽い刑罰とされる。
- ^ 版籍奉還の後の出来事であるため、公式には「知藩事(藩知事)の免職」であるが、知藩事は江戸時代の藩主同様に世襲制のため、長知の子が後任に任命されない措置は実質改易に相当する。
- ^ 杣田善雄 『日本近世の歴史 2』 将軍権力の確立、吉川弘文館、2012年1月。ISBN 9784642064309。
- ^ 近藤瓶城 編「国立国会図書館デジタルコレクション 廃絶録」 『史籍集覧. 第11冊』近藤出版部、1926年、3頁 。
- ^ 黒田基樹『羽柴を名乗った人々』KADOKAWA(角川選書)、2016年 pp.107-111, 「青木重吉」
- ^ のち高直しにより6万石
- ^ 慶長15年(1610年)に領内再検地、幕府の了解を得て高直しにより36.9万石
- ^ 石高が確定するのは2代藩主・佐竹義隆の代からである。
- ^ 中野等「東京大学史料編纂所所蔵[徳大寺文書]・豊後國内御知行方目録』」『先哲史料館研究紀要』第3号(1998年)
- ^ キリシタンであったため、形式だけで切腹せず家臣の介錯により討たれたとの記録もある。
- ^ 寺井秀七郎 三上藩略年表『野洲町史第2巻 (通史編 2)』p864 野洲町 1987年3月31日刊 全国書誌番号:87037576
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